カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

980.やっぱりガッツリだった ― 猫さん、また今度

2022年06月13日 | Weblog

若狭の海、常神の海の2日目。いつもの行き当たりばったり、いや、臨機応変・多数派尊重の海漕ぎとなった日。そんなことは朝飯前、と出艇地へ車を回送する。5時前に起き、朝食前に小一時間の回送ドライブし、珍しくお代わり飯を食べ、食後のコーヒーで寛ぐと、誰言うともなく「はぁ、今日の仕事は終わったな。お疲れさまでした」などと聞こえてくる。いやいや、これからが今日の本番。今日は昨日の倍近く漕ぐらしい。私は「それじゃ、また、どこぞでお会いしましょう。お元気で・・」な、心と体だった。 しかし、動かなくては。そんな日の記録。

 

前日よりだいぶ風・波は収まっているが天気は芳しくない。しかし、暑くなく寒くなく風もないなら、これ以上臨むのは贅沢と言うものだろう。 海辺には釣り人だろうか、車がたくさん並んでいる。私たちも早速に海に浮かぶ。

出艇の岸は油を流したようにとろりとし、これが1日続きますようにと願って漕ぎ出す。いつだったか海をあまり知らない人がこんな写真を見て、「あの白い物は何? ビニールシートが浮いているの?」と聞いて来た。「いいえ、あれは、龍宮の使いが乗って来た乗り物で、浦島太郎もあんな乗り物で龍宮城に行ったと言う話です・・」。心清い善人は、この地にはそんな伝説もあるのかと信じてしまう。

伝説と言えばあの島も。ネコ島。

昔から朝倉氏の埋蔵金伝説がある。本気で探す人たちもいるが、たいていの人は夢物語と聞いている。しかし、先日、『ついに200億円の埋蔵金の場所、判明! 発掘隊員緊急募集!』の記事が、F新聞社から出た。 ついに出たか! 新聞に出るのだから事実だろう。とときめいたのだが、4月1日の記事だった。F新聞もやるもんだ。 私が以前から愛読している某「K新聞」と競う記事ではないか。

そんなネコ島のすぐそばまで行ったのだが、沖にはうねりが残り、それに今日は天気も悪いので? 洞窟には入らずに行く。残念。

昨日より波は収まっていたが、島を回るとうねりが大きい。岩に打つ波が白く泡立ち、思いがけない所に隠れ岩がひょっこり頭を出す。こんな所は離れて行かねば。 先に見えるのは私が「ゴリラ岩」と名付けた大岩。ゴリラの横顔に見えるのだが、他のメンバーはそんな事には頓着せず、ぐんぐん進む。風と波とに逆らいながらメンバーについて行くので、ゴリラにゆっくり挨拶する暇もない。

沖は大きくうねり、隣の波の谷に入った人はパドルの先しか見えない。しかし、私はこういううねりは好きだ。遊園地の子供の乗り物に、回りながら上下に動く飛行機のようなものがあるが、あの乗り物の様で、波は嫌いだがうねりは好きだ。楽しい。

漕ぐにつれ山の様子も変わっていく。あれは土砂崩れの後だろうか。

西伊豆の海で、龍が昇るがごとく、の地層を見た。びわ湖には龍となった姉妹が川を作ってびわ湖に下ったと言う伝説の川がある。ここの崩れた土の跡は海獣が山に駆け上った跡なのだろうか。私が話をまとめる間、先人達には漕ぐ手を止めてほしいのだが。

向こうの山にこんなものが見える。痒い。

オーストリッチの製品を持つ人はこの先、少し読まない方が良いかと思うのだが。 

これは崩れた土に生てきた木か草か。「コキアのような」と言えばかわいいのだが、しかし、私はこういうブツブツは苦手だ。何というか・・ 水疱瘡や、写真で見る天然痘の、あのブツブツに見えて来る。オーストリッチのロングブーツを見ると、背中まで痒くなる。貧乏人は高級品はやめた方がいい、と言う忠告なのだろう。

さっきまで悩まされた風や波もこの辺りに来ると鳴りを潜める。やれやれ。

岸辺に生える白い花の木。(たぶん)シナアブラギリだろうか。若狭の海が見える辺りには至る所に咲いている。ちょいと匂いでもかいできたいのだが手が届かない。荒波寄せる日本海、とは言うがここは大きな湾の中、洞窟は殆どない。小さな窪みを覗いてみよう。

休憩にいい具合の浜の端に上陸して昼休憩。

穏やかそうに見えていて、実は意外とカヤックに悪戯する波打ち際である。数年前まではこんな位の岸、見栄を張って助けはいらないと強引にでも乗り降りしていたのだが、今は素直に「ちゃんと押さえて」とお願いする。と言うか、言いつける。

ゆっくり過ごした浜を出発する時、あとどの位か聞いてみた。岬を2つ越えた先、とのことだった。岬2つか、ならあと少しだな、と思ったのが大間違い。カヤックではよくある話だが、あそこを回ってすぐ、あとちょっと、もう少し、ここまで来たら着いたも同然、そんな言葉に惑わされたことが何回あっただろう。岬2つの更に先までまだ10キロ近くあったことは、漕ぎ終わってから知った。

思った以上の風に四苦八苦したが、時折後ろから押す波に乗ると、まだ何十キロでも漕げそうな気にもなる。しかしゴールの5キロ手前ではもうクタクタになっていた。久しぶりにあの歌を歌った。私が漕ぎながら「それ碇あげ」を歌うのは、歌でも歌わなければもう一漕ぎもできないほどに辛い時なのだ。

それでも何だかんだと言う内に本当にゴールの浜が見えてきた。その手前、岩の上に立つ鳥居、この海に鎮座する神様に、今日の無事を報告した。

 

やっぱり今日は、ガツン漕ぎだった。久しぶりに20キロ近く漕いだ。私としては久しぶりに風のある長距離、次の日から3日間背中も肩も痛かった。 猫さん、次回はゆっくりお話ししましょう。次はくまなく漕ぎがいいな。