カヤックと過ごす非日常

大人は水辺で子供に返ります。男は無邪気に、女はおバカに。水辺での出来事を通してそんな非日常を綴っていきます

882.ここは川か海か ― 伊勢の川と海

2018年07月20日 | Weblog

このところの暑さでどこにも出かける気がしない。おかげでたまった記録が片付いて行く。

先日の事、日本中が熱中症対策をやり始めた日、風も波もなくこの上なく穏やかな日、そんな日に川も海も漕いだ日の記録。

 

猛暑でなければ晴れて風も波もないのは絶好の漕ぎ日和と言うのだが、この暑さの中では雨が降ってくれた方がありがたい。今回は「謎の島」があると言うので、2つの川をちょこっと漕いで、1つの海をちょこっと漕いで、「何かがありそうなのでちょこっと行ってみる」ツーリング。

 

清流宮川と言われるが、それはたいていの川がそうであるように、河口近くに来ると「清流」と言うには難がある。更に、出艇地は潮が引いて足元は泥。バナナの皮で滑ったことはないが、きっとこんな風なのだろうと、恐る恐る歩く。

 

大きく引いた川にカヤックを浮かべそろりと漕ぎだす。水に浮かべは爽やかな風が吹き、これなら熱中症は大丈夫、と散歩気分のカヤック漕ぎを楽しむ。

 

漕ぎを妨げる要素は何もないのだが、ここはいったい川なのか海なのか。川の流れも海の波もないだだっ広い河口は単調で漕ぐ気が失せる。ある意味、ありがたくも贅沢な話なのだが。

やがて遠くに見えていた灯台が目の前を過ぎ、いつ海に出たのかわからない内に、いつの間にか堤防の中に居て、ここはもう別の川の河口の中。河口と言い難いほどに広い水域にちょっとした島がある。

 

所々に海面へと続く階段やスロープが見えるのだが潮が引いた島はカキ殻で囲まれ、これでは上陸できない。 『島はあっても“取りつく島もない”』 一句浮かんだのだがどうも字数が合わない。これはボツにしよう。

 

一面の「カキヶ原」、手のひら程の大物がひしめき合っている。食べ応えがありそうだが泥地に育つカキは味はどうなのだろう。これだけ多いというのは、食べられないので誰も取らないという事だろうか。それはともかく、このカキ殻に手を突きたくない、カヤックを擦りたくない。SF映画の未知の彗星がこんな光景だっただろうか。異様な光景でもある。

「針地獄」と言うものがあると言う。さぞかし痛かろうと思うが、カキ殻の上を裸足で歩かされる「カキ殻地獄」、なんてものがあったら・・と思うと背中がゾゾッとする。

 

島をぐるりと回れるはずなのだが、潮が引いた水路は浅くて通れない。行かれる所まで行き、ランチの岸を探す。カキ殻がないと思えばそこは「ドロ地獄」。一度踏み込めば足を取られるか靴を取られるか。河口まで戻り、居心地良さそうな岸で上がる。

炎天下の浜の小石は「岩盤浴」し放題。色にしたらこんな色になるだろうか。

 

それでも小さなタープを張れば、楽園の心地良さとは言えなくとも、昼寝ができる涼しさにはなる。 心地良い潮風とバロックの曲。暑さで体が疲れたのだろうか、たいした距離は漕いでいないがたっぷりと昼寝をする。

 

このところの夏模様、河口の岸には黄色の星が煌く。

 

ハマボウ。1本、また1本。群生している。夏場、ハマボウはいろいろな所で見られるが、群生はそう多くはない。潮が引いている時には浜となるこの岸は、大潮の満潮時にも浜なのだろうか。水の流れた跡がある。もしかするとこの浜も水路になるのかもしれない。そうなればハマボウ水路のカヤックツーリングができるだろう。

和歌山の川にハマボウ群生の水路があり以前その水路を漕いだことがある。上流から下って来るのでその水路に着くのは夕方。しかも満潮時でないと通れない水路。花の咲く時季に夕方の時間帯に満潮となる日は一夏の内でもそう多くはない。一緒に漕ぐ人の仕事の都合の良い日で、更に川の状態も大きな要素。そんな幾つもの条件をクリアしてハマボウ水路を漕いだ。

今回漕いだハマボウ群生地も水路となって漕げるだろうか。花の準備はできている。満潮時は夕方でなくても良い。ハードルは低い。他の条件は・・

 

浜で、やけにゆっくりした。そのおかげで潮がだいぶ満ちてきた。あの島をぐるりと回る水路も通れるだろう。と、また漕ぎだす。

 

船の通り道を示す杭が続く。こういう杭があるのは浅い所。潮が引いている時間は漁船も通らないのでのんびり通れる。

 

島の西側には鵜が多い。岸の木々には巣が多く、しきりに出入りする姿が見える。びわ湖にも鵜の営巣地があるがその糞害が問題となる。鵜は、子孫を増やすために子を育て、その糞で木を枯らし、結局次の巣を作る木を失う。人はどうだろう。暮らしやすいように目先の便利さを追い、結果将来の危機をもたらしている事はないだろうか。

朝、カキ殻の鎧をまとっていた岸は麻縄の衣ほどに落ち着いてきた。しかし、晒のゆかた程にならないとFRP艇は接岸できない。

 

もうずいぶん前の事となったが、MTシリーズで大阪湾に出た日、淀川が終わりとなる所を記したプレートに行くために、カキ殻だらけの岸に上がったことがある。FRPの自艇だったが「傷もまた勲章」と果敢にカキ殻に挑んだ日があった。 この時は他の人が「ムリ!」と言って後に続かなかったので、結局プレートに行かずに引き返した。せっかく上がったのに、ボトムの傷を増やすだけに終わった日だった。今回は、そんな無謀は?しない。

無謀はしなかったが、覗き見た先には思いがけない光景が広がっていた。それは・・

 

ジャングルの中の遺跡を発見した時の興奮のような、見てはいけない物を見てしまった時の後悔のような、そんな鼓動が高鳴る。ここは知る人ぞ知るの秘密の場所として、そっと蓋をしておこう。

 

秘密めいた湿地を後にして満ちた潮道を帰る。

 

ここはもう河口。どこから川でどこから海なのかわからないほどに広い。時々ボラが飛び跳ねカヤックにぶつかりそうになる。ボラにぶつかったことはないが、魚とは言え30センチの魚が顔に勢いよくぶつかってきたら、かすり傷では済まないだろう。しかし、コックピットの中に入ってほしいとは思う。

 マズイ魚の例としてボラを挙げることがあるが、それはマズイ水で育ったボラで、ウマイ水で育ったボラは刺身にしても美味しいのだそうだ。ここのボラはどうだろう。

 

何度もお世話になった伊勢の川。今日の水域は清流ではなかったが、「川を下って海に出る」、「川を上って岸に着く」。そんな小さな旅を楽しんだ夏の日だった。

 

次の夏の楽しみはシュノーケリングだな。 

 


881.あれもこれも一つの川へ ― 山の水・滝の水・宮の水 

2018年07月17日 | Weblog

ある日の午後、久しぶりのバルトさんと。ランチはどこにしようかと思っていたら、良い所があるので行きましょうとお誘いがあり、その後は面白い所があるので行きましょうと誘われ、即決した午後の日の記録。   

 

ランチの良い所とは、宮川の上流の鮎の店とか。 鮎、好きなのだが、鮎と言えばびわ湖、わざわざ三重県に来てまで鮎ランチでなくても良いのだが・・   と、言いはしなかったが内心思っていた。そしてその店に行くと。

 

おぉ、これは! これはわざわざ食べに来る値打ちがあると頷く。渓流に大きくせり出した「川床」のような設え。瀬音を聞くだけでもごちそうだ。注文はもちろん鮎。鮎のだし汁のそうめんと小鮎の天ぷら。

 

味は、舌で感じる化学反応と言う。しかし同じペットボトルから注がれた水でも、100均のプラスチックのお椀で飲む水と、切子のガラスのコップで飲む水とでは、全く味が違う。つまり、器の素材の違いという物理的触感も味の一つと言えよう。更に、織機工場の騒音の中で飲む時と、清流のせせらぎの音を聴きながら飲む時でも、味が違う。 また、猛暑のグランドで負け試合にイライラして飲む時と、風呂上りにテレビを見ながら飲む1杯の味も、同じ『〇〇のおいしい水』と銘打っていても味が違う。  

「味」とは、舌だけでなく、耳でも肌でも心でも、五感+αの全てが動員されて起こされる感覚なのだろう。五つ星レストランのメニューではなかったが、季節限定の清流の茶屋での一食は、全ての感覚を満足させる一食だった。

 

腹も膨れたところで次はどこ? 案内してもらった所はこんな所。

 

八重谷湧水。案内の表示板はあったが途中の道を見ると、本当にここで良いのだろうか、心配になること2,3回。しかし、道は間違いなく目的地へと案内してくれ、それとはっきりわかる所に到着する。

湧水から引いた水汲み場の先にこんな道が続く。

 

いつ作られたのだろう。所々朽ちた板が、「ぜひ見に来てほしい、でも、あんまり大勢は来てほしくない」。そんなふうに言っているようだ。

瀬音を立てて水が流れる。

 

緑の苔が、しぶきで光り夏の日差しで輝き、奥入瀬にも似ている。以前、姉川上流のダム湖に注ぐ川に行った時、サッチモさんが「滋賀の奥入瀬」と言っていた。ならばこの川は「三重の奥入瀬」と言おうか。

渓流にはこんな滝もある。

 

夏には(もう夏なのだが)この滝つぼに浸かって遊んでみたい。冷たくて1分と浸かれないだろうが。 水の色が面白い。青とも緑ともつかない色。ターコイズブルーと言おうか。 最近よく聞くのだが、川や池の名を付けて「〇〇ブルー」とか「△△グリーン」とか呼んで、その青、その緑は〇〇川、△△池でしか見られない特別の色であるかのような言い方をして人の関心を呼ぶ。

しかしその色は、多くの川のいろいろな所にあり、特別の存在ではない。 切り取って、額入りの写真にした者勝ちの色となる。名もない小さな流れの中に生まれる色も、いつか飛び立たせてくれる誰かを待っているのかもしれない。

 

ドクドク流れる川を遡ると、突然川が消える。

 

あの川は、いったいどこへ行ったのだろう。川が消えるなんて。

わかった! 川が消えたのではなく、川は、ここから生まれていたのだった。ここが探していた「八重谷湧水地」。どうってことのない小さな岩の下から突然に川が湧きだす。 何年か前、「木津川源流探し」をしたことがある。大阪湾に注ぐ大きな川を遡り、次第に細くなる流れを辿り、最初の一滴を掌に受け、小さな命に感動したものだった。そして今日のこの川。そのダイナミックな生まれ方にまた感動する。 すくって口にする。癖のない柔らかい味だ。私の「天恵水」に堂々の殿堂入り。

 

この辺りは石灰岩が広く分布している。そのため、鍾乳洞が幾つかあるという。その一つ、「風穴」と呼ばれる洞窟がある。

 

 さりげなく立つ表示板の近くにこんな穴がある。穴は下に降りる梯子が付いている。という事は、「どうぞお入り下さい」という事だろう。さっそくに降りてみる。

      

広くはない洞内、ザラザラした砂の先には澄んだ水が流れている。天井にはコウモリ。襲われてはたまらないので恐る恐る見上げる。足を濡らさない所までしか行かなかったが、この先どれ程の大きさがあるのだろう。ちょっと、かなり、気になる風穴だった。今度来る時には水中探検もしてみよう。

束の間の探検を済ませ、「上界」?に戻ると、洞窟内の涼しさが実感された。

 

さて、これから先、今来た道を戻るか、先へ行くか。迷うことなく先へと進む。道は益々林道の風情を増し、落石も所々ある。もちろん対向車が来たらどうするか、と思案しながらの進行はいつもの事。それでも昔は立派に道路として使われていたようで、ガードレールやカーブミラーも残っている。我ら「狭道愛好家」にとっては難易度65%位だろうか。まだ可愛い道だ。「つづら折れ」という洒落た言い方がある。その言葉を楽しむ余裕がある道だ。

箱根の山は「羊腸の小径は苔滑らか」言うが、この小径は落石多し、の道だった。戻るなら今の内、と言いつつ進めばいつの間にか里に下り、県道に出る。出てみれば何度も通った道。なんだ、ここに出るのか。と納得し、林道探検の旅は終わった。 

幾つかの発見をして、そう言えばあそこの確認がまだだった、と性懲りもなく、いや、込み上げる探求心を抑えきれず、また探索に出る。

 

とある集落の道に「不動尊」の表示。どんなお不動様かとご挨拶に行く。獣除けのフェンスを開けて行くとそこに鳥居と二筋の滝。そしてお不動様の社。

 

ここにも水汲み場があるが先ほどの湧水の川沿いになる。あの湧水の水だろうか。これも又、天恵水。この水がやがて宮川になると言う。 一口頂き、宮川でまた会いましょう、と約束してその川を後にした。

 

 

ダム湖のせせらぎも、茶屋の清流も、谷の湧水も、不動の滝も、みな宮川へとつながっている。となると、次は宮川漕ぎに決まりだろうか・・

 

 

                                      


880.夏のダム湖 ― 奥伊勢の湖で

2018年07月16日 | Weblog

私の街では劇的に梅雨が明けた。寒暖計が上昇しているこの町ではどうだろう。あの水辺はどうなっただろうと、久しぶりのダム湖を漕いだ日の記録。

 

道の駅で待ち合わせ、さっそくに出艇地へと向かう。前回漕いだのは3月の終わり。岸には桜がほんのり咲き、湖水に迫る木々の葉はまだ幼かった。4ヵ月近く経ちその間に、桜は力強い緑を茂らせ、いろいろな人がここを訪れていた。カヤックの人が、ボートの人が、サップの人が、釣りの人が、大人も子供も・・。

私だけの(私たちだけの)秘めた湖水だと思っていた愚かさを恥じながらまた浮かぶ。

 

春に漕いだ時よりだいぶ水位が下がっている。遠くの街では大雨が続き、ダムの水位が上がり決壊しそうになったという。びわ湖の水位もあがり、堰を越えて水が流れた。しかしこの辺りではそれほどの雨は降らなかったようだ。もしかすると、大雨を予想して水位を下げていたのかもしれない。水位が変わると岸の様子も変わる。今日はどんな水辺に会えるだろう。

 

前回はダム湖の西方に向かい、往復11キロほどだった。今回は前回と重複する区間も合わせ東へ往復12キロ。のんびり湖水遊びに出掛ければ、ほどなくして小さな支流。これは川と言うのだろうか、入り江と言うのだろうか。ちょっと気取って、クリークと言ってみる。

 

小さな滝も懐かしい。浅い川床は石の模様がわかるほどに透明度が高い。カヤックに驚いた色鯉が慌てて逃げていく。寺や旅館の池で見る錦鯉はくすんだ池の彩として目立つが、透明な川で見る錦鯉はその背模様さえ川床の石と同化して、その存在に気が付かない。

 

水位が下がると小さな瀬ができる。水位が高い時には見られなかった瀬だ。同じ湖でも別の姿で現れる。もう少し先まで行ってみよう。

 

久しぶりに瀬音を聞いた。川と言えないほどの小さな流れを遡り、パドルの力を止めた瞬間に、ふわっと後ろに流される。あの感覚を、久しぶりに味わった。一瞬、頭から被る瀬の水しぶきを思い出した。

          そう言えば、長いこと、瀬を漕いでないな・・

 

こんな小さな流れ込みをいくつか入り、広い湖面に出ればまた別の世界が広がる。

 

この色合いは、夏色だ。いつも思うのだが、写真は、実際の色より水に映った色の方が濃く映る。きっと、波長だの透過率だのと言う小難しい理由があるのだろうが、「写真は真実を語らない」と言う持論の根拠でもある。それにしても青すぎる空だ。いや、本当に青い空だった。

 

こんな浮きが見えたらダムもすぐそこ。三瀬谷ダム。

 

これ以上先へは行かれない。ダムは、どのダムでも思うのだが、ダム湖の湖水から見ると優しそうな姿をし、どこかの湖畔の宿の雰囲気がある。旅の疲れを癒す湖水に映る一軒家。それが放流口の下から見上げると、エジプトの砂漠に立つ神殿遺跡のようにも見える。力強さと荒々しさ、厳かさ。

 

アブシンベル大神殿。この遺跡の向こう側には広大なダム湖が広がり、洪水の前には古代エジプトの王の口から何万トンもの水が吐き出される。 そんなダムを想像する。 そう言えば、私はこのダム建屋を湖水から見ていても、放水口側から見ていない。どんなだろう、アブシンベル神殿にも匹敵するほどの迫力なのだろうか。次にこのダム湖を漕ぐ時には、必ず見て来よう。

 

水位が下がった湖面はテクニカルなコースを作っていた。

 

S字・クランク。30年前の教習所を思い出す。しかもクランクの中は浅く、両側は岩が飛び出す。その中を長さ5メートル近くのカヤックを、右に左に巧みに操作して上流へと進む。と、言っても言い過ぎだという人は、一人しかいない。

この先はいよいよ流れが細くなり、清水となって流れ落ちている。これ以上は行かれない、では戻ろう。と言っても回転できるほどの幅はない。あのクランクも振り向きながら右に左に華麗なパドル捌きを披露しながらバックで戻る。と言っても、ほら吹きだという人も、一人しかいない。

まぁ、私の操船技術はたいしたもんだという事で話を収めておこう。

 

湖面には木々が枝を伸ばし、心地良い木陰を作る。岸の葉を揺らし、枝をくぐる。

 

 

いつの間にか、見覚えのある橋に来た。そうそう、この先にはあのお方がおいでになる。お不動様、お元気だろうか。

 

水位が下がった入り江は流れの様子も変えていた。3月に来た時には見えなかった堰が小さな段差を作り白い線を書く。これではあの先へは行かれない。お不動さまはどうだろう。

 

何もおっしゃらないが、いや、この4ヵ月ほどの間にずいぶん水位が上がったことがある、と熱を込めておっしゃっている。

桜の咲く日に来た時はきれいなお顔でおいでだったが、今は泥や枯葉がまとわりつき、どんなにかご苦労なさったのか、と心が痛む。前回お供えした100円玉は、浄財としてお納めくださったようだ。今回は、10円玉しか手元になかったが、私が来たことのしるしにお受け取り願った。

 

 

今日の湖面は一面「ささにごり」。「にごり」と言うと、「汚れ」と勘違いする人がいるが、ささにごりは川の美しさを表す表現の一つだろう。水道水の透明さを「美しい」とは言わないが、湖水のミルキーグリーンは、とろけるような美しさ。藻が繁殖しているアクのある諄い緑とは全く違う。産院で生まれたばかりの新生児に男女別の帽子を被せるが、あの帽子の、小さなとんがりにしたい色だ。

その緑色にも濃い薄いがある。木々の映り込みと相まって色見本のサンプル表のようだ。この色はオパールグリーン、あそこはジュウェルグリーン、それからエメラルドグリーン、コバルトグリーン、リーフグリーン、ピーコックグリーン・・

 

日本のことばにも豊かな言い方がある。花緑青、翡翠色、青緑、青磁色、若竹色、若緑、若菜色・・ 無限にある色を限られた言葉で語り、それでも言い尽くせない色を一つの景色として見せてくれているのだろう。

 

各地に土木遺産として残っている古い橋がある。素材やシルエットや装飾や技法などが後世に残すべきものとして評価されている。この橋は・・

 

これは古い橋脚の一部でしかないが、敢えて残しているのか、撤去しそびれて残っているのか、それとも何らかの理由で取り壊し不可能なのか。このダム湖の歴史を、もしかするとダム湖ができる前の谷の歴史を知っているのかもしれない。草に覆われ、意味ありげに建つこの橋脚もまた、私の「橋脚遺産」として登録しよう。

 

そんなこんなの湖水を巡り、気が付けばもうゴールの岸に着く。朝出発した時より水位が上がっている気がする。しかし、ダム湖の水位が3時間余りで変わるのだろうか。 後で調べてみると確かに10センチほど上がっていた。 

ダム湖は、眠っているようでいて密かに活動していた。 次に来た時にはワルツでも踊ってくれるだろうか。

           奥伊勢湖。いいダム湖だった。

 


879. 小さな島で思い出す事 ― 五ケ所湾の風

2018年07月04日 | Weblog

関東は梅雨が明けたと言うが、関西の梅雨は明けたのだろうか、さっぱり雨が降らない。明けると言うか、梅雨に入っていたのだろうか。50年に一度の豪雨と言うニュースはどこの国の事だろう、と思うほどに雨が降らない。 そんなある日に出かけた海の記録。

 

今回は「チーム・気まま」+ペンタさん。以前行ったことのある五ケ所湾の海に、この時季限定の場面があり、それを「チーム・気まま」のメンバーにぜひ見せたいと思い、この日のこの海にした。

さてその日、前日の予報では風は1~2メートルと出ていたのだが、これはどうした事か、ずいぶん吹いている。

 

そんなはずはないはず。2つの天気予報サイトでどちらも風はない事を確かめていたのだが、実際には

5~6メートルは吹いている。あの白波は1,2メートルの風ではない。

 

しかし、まぁ、その風の外海を漕ぐのではないので、ちょいと風を受けながら漕ぎ、風裏の入り江に入り込む。

 

この入り江は5年前のKW-Gシリーズで来たことがある。入り組んだ入り江の一つ一つの岸を、舐めるようにぐるっと回った。覚えている物、初めて気が付いた事、そのどれも新しい記録となる。

ここから数分歩くと別の入り江に出る。

 

カヤックだと3キロ近く漕がないと来られない所なのだが、細くくびれた地形は200メートルほどで2つの海を繋ぐ。5年前のこの時季に、この岸から上がって探索し、こんな物を見つけた。

 

ハンゲショウ。よほどの物好きでも来ないだろうと言う湿地の中に、優しい緑と清々しい純白のその植物が一面に広がり、梅雨のうっとおしさとは別世界の空間に感動した。この辺りには湿地が多く、ハンゲショウの大きな群落が何ヶ所もある。少なくとも5年前には3ヶ所は見た。

実は、この時季限定のこの別世界を「チーム・気まま」のメンバーに見せたくて今回の海漕ぎはこの海を選んだのだったが・・

今回、「別世界探索」に出ることはなかったので、白い群落も見ることはできなかったのが残念だった。しかしまぁ、あの時の幻想的な光景はしっかりと記憶にも記録にも残っているし、チームのメンバーには次に来た時に(いつになるやら)見てもらおう、と言う楽しみができたので、これはこれで良しとしよう。

                                                                        

漕ぎだせば、依然として強い風が吹いている。

 

力を入れて漕ぎ進み、小さな島影で一休み。

 

それでも朝よりは落ちて来たようだ。その証拠に「それ碇あげ」を歌う事はなかった。もう少し風があっても面白かったのに、と漕ぎ終わってからうそぶいた。

 

風の弱まった湾の中を進み、小さな島に上陸する。ハマジンチョウが自生する浜がある。これは珍しい事らしい。

 

この近くの歩いて行かれる岸にも群落があり、花の時季には毎年見に行っている。今年も例年と同じ頃に行ったのだが、花はさっぱり咲いていなかった。異例の暖かさで、花はとっくに終わっていたのかもしれない。あるいは異常気象で咲きそびれたのかもしれない。残念だった。チンチョウゲに似ているが、香しい匂いがしないのも残念だ。

こんな木がある。

 

ホルトノキ とのこと。特に珍しい樹ではないが、この樹も又その筋の人たちには特別の樹のようだ。小さな島だが、植物界にとっては貴重な存在の島らしい。この島を大切に次の世代に引き継いでいくことも、海で遊ばせてもらう者の務めだろう。

こんな樹もある。これは私にとって特別なのかもしれないが。

 

「ゾンビ」と言う生き物?がいる。あるいは「エイリアン」なんて物も、生き物だろうか。気持ち悪いと言う人が多い中で、わざわざ高い金を払ってそれを見に行く人がいる。「お化け屋敷」は怖くても行きたい所の筆頭だろう。

そんな「ゲテモノ」扱いされる者達と同じように見られる「こんな樹・こんな根」。 気持ち悪いと言われても、必死で生きることに執着する姿は健気と言うより神々しい。サッカーで、最後まで食らいついて走り回る選手の汗が美しいと言うなら、この樹ののたうち回る根も又美しいと思うのだが。ともに称賛される姿ではないだろうか。

枯草の中にこんなキノコがあった。

 

これも特に貴重という種類ではないだろうが、キノコはその姿形が印象的で、そのキノコとの出会いの場が思い出されて面白い。

アミガサタケは志摩の小路で。後で高級食材だと知ったが、食べる気にはなれなかったのに、ちょっともったいないとも思った。 

オオシロカラカサタケと思っているキノコは和歌山の浜で。朝は白っぽかったのに夕方には水色になっていた。本来の変化なのか、誰かが色を付けたのか、いまだに謎のキノコだ。

ヒイロチャワンタケは奥利根で。熊の足跡のある水辺で見た。襲われなくて良かった。

ムラサキフウセンタケは尾鷲の島で。見つけた人が忍者の色だと言った。言い当てていて納得した。

イボテングタケはびわ湖の浜で。おとぎ話の小人が出て来そうで、部屋に飾りたかった。

 

キノコと言えば「リスノコシカケ」を忘れてはいけない。SRJKの枯れた木で出会い、何年か観察を、いや、出会いを重ねたキノコだったが、宿主の木が朽ちてリスノコシカケもいつしか消えてしまった。

 

リスが腰かけるのにちょうどいい小さなキノコだったが、私がSRJKに行く目的の一つとなっていたキノコだった。サルノコシカケを見ると「親愛なるメル」と共に、ちょっと感傷的な気持ちで思い出す。

島には弁天様の小さな社がある。

 

弁財天が神か仏か。お参りする時に柏手を打つのか打たないのか。仏様なので柏手は打たないという人がいる。私は、鳥居があるのは皆神様かと思っているのだが。その辺り、神も仏も区別しがたい超越的な、あるいは混沌とした存在なのだろう。

真珠の供養塔もある。

 

以前、真珠を養殖したことがある。と言うと大そうなことに聞こえるだろうが、養殖業者に手伝ってもらい、母貝に核入れをし、半年後に育った真珠を取り出したことがある。10個使った母貝の内、育ったのは6個。素人としては上出来の成功率だと言うが、育たなかった4個の貝と、取り出した6個の貝は共に私の犠牲となった。

「真珠」は生きてはいないが、それを育てる貝には命がある。真珠をアクセサリーとして付ける事はめったにないが、小さな命が作る輝きであること、この供養塔を見て、改めて思い起こした。       

    真珠を取り出した後、母貝の貝柱を刺身で頂いた。食べることもまた供養と。旨かった。

 

今回の海漕ぎ、予想外の風に邪魔されて、心残りの海だった。それでも距離にすればほんの一漕ぎの海で懐かしさを振り返ることができた。

        それにしても、風予報はどれを信じたら良いのだろう・・。

 


878.優しそうでイケズな海 ― 舞鶴の海と岩と石

2018年07月02日 | Weblog

記録の順番が後先になってしまったが、ちょっと前、京都の海を漕いだ。3年ぶりの舞鶴の海は優しそうな顔をして、イケズな振舞で私たちを悔しがらせた。そんな海漕ぎの日の記録。

 

3年ぶりに成生岬を目指して、懐かしい浜にカヤックを並べる。前日に漕ぐはずだったのだが風があり陸漕ぎをした次の日、今日は申し分ない海漕ぎの日とばかりに皆、気が逸る。 いざ、洞窟入り放題! とばかりに漕ぎだした。

まずはあの島の洞窟へ。

 

手前に見えるむっくりした島。貫通洞窟があり、成生岬を目指す者たちの玄関口だ。17キロ程先の沓島もはっきりと見える。覚えておいでだろうか、4年前の夏の日を、

 

 

 日の出前に漕ぎだして 
 遥か遠くの島を目指した日

 朝日を背に、

 シルエットに浮かぶカヤックが 
 とてもきれいでした


 
 

 

GONN」さんや「コーヒー牛乳」さんとあの島を目指した日の事を。手前の冠島(大島)までのつもりで漕ぎだしたのだが、その先の沓島(小島)まで漕ぎ進んだ日の事を。帰りは向かい風が強く、中々岸にたどり着けなかった日の事を。何だかんだで37キロ程を9時間かけて一度も上陸せず漕いだ日の事を。 

あの日の島々が遠くに、しかしくっきりと浮かんでいる。あの日と同じ、懐かしい光景だ。今日はあんな所までは行かない。今日は岸沿いにのんびりと洞窟・洞門へ。

 

 漕ぎだしてほどなく、「今日は絶好のべた凪だ」、と言っていたはずなのだが、おや、これはおかしい。なんで洞門内に白波が唸っているのだろう。 漕ぎを邪魔する波はなかったのだが、前日のうねりがまだ残っているようで、ここの洞窟は入るを拒まれた。残念だが、洞窟はまだたくさんある。では先へ進もう。

言っているそばからあそこにも洞門が見える

見えてはいたのだが・・。ここも先客のうねりが占領してどいてくれない。ここも諦めて次に期待する。

 

天を突くような見上げる断崖はないが、百畳敷きの巨大な洞窟もないが、それでも日本海の荒波削る岸、奇想天外な岩が続く。奇岩が続き、洞窟も続く。しかし・・

 

どれもこれも、イケズなうねりのせいで、どれとして入れる物がない。それほどに大きなうねりではないが、私の得意とする「岸すれすれ漕ぎ」もできない。海漕ぎと言うより、しょっぱいびわ湖漕ぎ、のようでちょっと残念だ。

 

小さな浜に上がって休憩する。ここも何度か上がったことがある。

 

「象の鼻」と名付けた覗き穴。これは洞門と言うには小さいが、潮が満ちていた時に通り抜けたことがある。今回は潮が引いていて、これまた通れない。ことごとくに運が悪い。岬先端まで1キロを切った辺りで、その先に岩に打ち付ける白波が見える。

 

 

残念だったがここで引き返すこととなった。今回で3回目となる大浦半島。毎回、成生岬まであと1キロ、という辺りで引き返す。人を、いや、私を寄せ付けない成生の岬だ。 行けそうに見えるのだが・・ 

岸にはいろいろな見せ場がある。私が「滑り台の岩」と呼ぶこんな岩。

 

この岩の表面がどんなふうになっているのか、上がって見てみたいと思うのだが、他のメンバーはそんな事にはとんと興味がないようだ。

 

岩と島の違いの定義で言うならこれは「島」だろうか、それとも「岩」? 遠く伊根の山々を後ろに控え、何かの目印のように立つ。

 

 

沖には岩、岸には崖、そして水辺にはこんな物。

 

この石標、覚えておいでだろうか。3年前にこの海で見つけた石標。「舞鶴要塞第三地區地帯標」と読める漢字が彫られている。その上にアルファベットのような文字があり、3年前からその意味が分からずにいたのだが、最近やっと解明した。

この石標は誰が、何のために、誰のために、立てたのだろう。戦時中、この辺りを通る漁師にだろうか。軍の施設があるから近づくなとの警告のためか。それなら別にこんな小さな石標を建てなくとも、地元民は誰でも知っていただろう。

それとも戦後、戦争と言う愚かな行為が行われた記憶を風化させないため、戒めと鎮魂のために建てたのだろうか。それなら、こんな、カヤックでしか来られない岸には立てないだろう。

あるいはこの一帯を「戦争遺産」として登録するための布石なのだろうか。意外と、全く関係ない理由で立てられたもので、これを知っている人が腹を抱えて笑っているかもしれない。

三重県の海岸線で、100メートルと空けずに「三重県」と書かれた石標の立つ辺りがある。思わず、「はいはい、そんなに何度も言わなくても、ここが北海道でも沖縄でもないことはわかりますよ」と言いたくなる。いったい何のためにあんなに何本も、わざわざ費用をかけて立てているのだろう。

たった1本の石の杭だが、時空を越えて海辺の話題をさらっている。

 

また、海にはよくあるこんな岩。

 

ありふれていて、取り立てて名前を付ける程の事はないような岩でも、縦に横に刻まれた筋を見ると、さぞ痛かっただろうと、その健気さに特別の名前を付けてあげたくなる。彼には(彼女には)どんな名前が似合うだろう。

かと思えばこんな岩もある。

 

『貴重な地層を隠すためにありふれた土をかぶせておいたのに、気が付けばその土が剥がれ落ち、「あっ、しまった、見つかってしまった!」と慌てふためいている岩』 ちょっと長すぎる名前だろうか。 こんな模様の2段構えの形状ははこの海のこの岩しか知らない。

 

荒々しい岩が続いた岸の終わり頃にはこんな長閑な浜がある。

 

やけに緑色をしている。笹濁りの緑ではない。サンゴ砂の緑でもない。どうやら藻が繁殖しているようだ。びわ湖の夏の菅浦でよく見る色だ。ペンキを流したようなグリーンはどぎつくて疲れる。それでも海からの景色、浜からの景色には長閑けさが溢れている。

そんなこんなの海を見ながら漕げば、いつの間にか元の浜に戻っていた。 

 

優しいようでいてイケズな海は、洞窟入りを許さなかったし、成生の岬は今年も私の訪問を断った。しかし3年ぶりの海は変わらずにそこにあり、時の移ろいが滞りなく存在していたことが嬉しかった。

              いつかきっと、岬の先端まで行ってみよう。 連れてってもらおう。