美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

探偵小説の勃興時代(森下雨村)

2024年03月20日 | 瓶詰の古本

 探偵小説を今日の盛大に導いた直接の功績が、雜誌「新靑年」にあることは、恐らく何人も承認するところであらう。同誌が創刊されたのは大正八年のことで、爾来、海外探偵小説の紹介を専門として、旧い新しい海外作家の作品を十年間にわたつて紹介して来た努力が一面に於ては読者の開拓となり、一面にあつては探偵作家の出現を促し、翻訳と創作と両々相まつて日本の探偵文壇を今日に至らしめたのである。
 一体、文芸上の新興味が世に迎へらるゝ所以は、凡そ二つある。一つは文芸そのものゝ価値であり、一つは一般読書界の時代的傾向である。探偵小説の流行についても、その由来するところは、やはりこの二つに帰着する。涙香、綺堂両氏の探偵小説なり、捕物帖なりが世に持てはやされたことは事実であるが、海外作品のプロツトのみを取り、単なる興味的読物として翻案された涙香物に対して大した文学的価値を認めることができないと同時に、綺堂氏の捕物帖に対しては、ローマンス的興味とその円熟した手法に敬意を表するに止つて、近代探偵小説の立場からするならば、その内容と手法に於てこれを探偵小説と呼ぶことに躊躇せざるを得ない。それに慊らずして、試みられた新しい努力が、雜誌「新靑年」によつて提供された近代探偵小説の忠実なる紹介であつた。ドイル、フリーマン、モリスン、ビーストン、オルチー、チエスタトン、フレツチヤー等の英国作家をはじめ米、仏、独その他殆ど全般にわたつての現代作家の作品紹介がいかに探偵小説の愛好者を満足せしめ、またその普及に力があつたかは云ふまでもなく、その結果は翻訳より創作への必然的機運を醸成することゝなつたのである。一方、読書界の傾向は大衆文学への時代的転機に向ふと同時に、近代文明の影響は漸次刺戟と高速度的新興味に読者を誘導して、探偵文学に対する感興は近代人のやみがたい要求ともなつて来た。そしてその機運と要求との合流が今日の探偵小説を生み出したのである。
 日本の探偵文壇を今日あらしめた功労者の一人は故小酒井不木博士である。東北大学教授の栄職にあつた氏が犯罪並に犯罪文学の研究から入つて、自ら創作の筆を執り幾多の名篇を発表した事は、探偵文学の発達に貢献するところ多大であつたは勿論、探偵小説に対する一般読者の見解を覚醒せしめたゞけでもその功績は永久に記念さるべきものがある。次いで江戸川亂歩、甲賀三郎の両氏も日本の新興探偵文壇の先達として感謝を捧ぐべき人々である。江戸川氏は怪奇的作品を以て他の追随を許さゞる独歩の地位を占め、甲賀氏は本格派作家として、また多産の作家として探偵小説の普及に功績があつたことを認めねばならぬ。その他、創作の方面では大下宇陀兒、平林初之輔、横溝正史、水谷準、松本泰、山下利三郎、久山秀子、夢野久作、橋本五郎、河田功、牧逸馬の諸君があり、翻訳の方面では延原謙、保篠龍緒、妹尾韶夫、坂本義雄、田中早苗、淺野玄府、上塚貞雄の諸君の努力を忘れてはならぬ。
 尚ほ探偵作家ではなく、またその作品も探偵小説ではないが、谷崎潤一郎、佐藤春夫、里見弴諸氏の作品中に探偵小説として見るべきものが多く、それらの作品が日本の探偵文学にいろいろな影響を与へてゐることを見逃してはならぬ。

(『日本探偵小説發達史』 森下雨村)

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