美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

日本小説文庫の踪跡

2008年04月26日 | 瓶詰の古本

  世界名作文庫と日本小説文庫、この二大文庫シリーズは、春陽堂ならではの文庫の大伽藍と称すべきものであり、叶うことなら後世まで独り占めしておきたい文庫群なのである。目録を瞥見し稀少この上ない文庫本の壮観な集積に接したら、均一台に身を屈めたことのある者は誰しも魂を奪われるだろう。
  古本を追い求める人間の、一度は必ず見る夢がある。過ぎた世に溯り、忽然と本屋に現われ、幻の本、憧れの本を買い込んでは今に舞い戻って来るという夢想がある。しばし、その幸福な夢想の世界で、日本小説文庫と世界名作文庫の完蒐を目指す鬼となり、ときに夢想に溺れ過ぎては、不審を抱かれずに昭和十二、三年の東京の街角に立つためには、振る舞い、言葉使いの周到な修練を積まなければとか、紙幣、貨幣の準備、調達はどこそこでするかとか、いっそ笑い話のような妄想にまで嵌まり込み、はっと我に還って正気に戻れば、暗くなった部屋の中に電燈もつけず、古本を摑んだまま黙然と座っている自分を見出す。
  それもそうだが、実は先立つはずの文庫の総目録が用意できない。かろうじて手元にある古本を開き末尾の文庫目録を借りて一部を記し置けば、世界名作文庫では、鴎外訳のポー、イプセン等々、谷崎訳のワイルドから始まり、内田魯庵のトルストイ、水上於莵吉のデューマ、平井呈一のホフマン、以下適宜に摘出すれば、ベックフォード、レニエ、コクトウ、アポリネル、ロープシン、ピリニヤーク、ロオデンバッハ、イバニエスと続いて行く。
   日本小説文庫の方の目録も、と思ったが、江戸川乱歩、夢野久作、小栗虫太郎、海野十三、國枝史郎、白井喬二とわずかに書いているうちに、さらに陸続と起ち上って来る作家、作品の際限のない面白さから遮断されている空虚感と、これら書目のほんの一部も蒐められそうにない無力感とが沁み出してきて、これ以上は書けそうにない。
   とにかく、日本小説文庫とは日本の文学の真の性根と底力が見える渾身の集大成である。

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