中村健之介氏が『永遠のドストエフスキー 病いという才能』(中央公論新社'04/7)のなかで、モチューリスキーの言う、ドストエフスキーがみずからの作品を通じて解明しようとした、「自分という人間 своя личность」という言葉を、紹介されている(「まえがき」)。“自分”とはドストエフスキー本人を指す。
そう訓えられて気がついてみれば、ロシア語のличностьとは不思議な語彙である。-ностьという語形が示すように、本来「(各人で異なる)人間性、個性」という抽象名詞のはずなのに、「社会における(その人の)社会的人間としてのありかた」という中間的意味を経て、「(誰彼という)具体的な人間存在」までも意味することになっている。