書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

加地伸行編 『孫子の世界』

2018年02月19日 | 東洋史
 川原秀城論文「『孫子』における天文と地理」と明珍昇論文「『孫子』の表現と構成」とを読む。前者はひたすら教えを受けるのみ、そして後者は自分とは異なる観点――詩人ということばの専門家の方――からの、目の付けどころとテクストに対する貴重な指摘とを、有難く拝受する。

(中央公論社版 1993年3月)

中村健之介氏が『永遠のドストエフスキー』(中央公論新社'04/7)のなかで、・・・

2018年02月19日 | 思考の断片
 中村健之介氏が『永遠のドストエフスキー 病いという才能』(中央公論新社'04/7)のなかで、モチューリスキーの言う、ドストエフスキーがみずからの作品を通じて解明しようとした、「自分という人間 своя личность」という言葉を、紹介されている(「まえがき」)。“自分”とはドストエフスキー本人を指す。
 そう訓えられて気がついてみれば、ロシア語のличностьとは不思議な語彙である。-ностьという語形が示すように、本来「(各人で異なる)人間性、個性」という抽象名詞のはずなのに、「社会における(その人の)社会的人間としてのありかた」という中間的意味を経て、「(誰彼という)具体的な人間存在」までも意味することになっている。


お悔やみ

2018年02月19日 | 
 土居晴夫氏が亡くなった由。祖父君の坂本直寛は、血縁的には千鶴の子、系譜的には権平の養嗣子である。氏からは、龍馬の千葉道場の皆伝が長刀すなわち薙刀のそれであること、唯一遺る姉お栄の歌、そしてその墓石の発見にまつわる奇妙な話など、御著書を通じていろいろ教えていただいた。合掌。

谷沢永一編 『なにわ町人学者伝』

2018年02月19日 | 伝記
 唯一執筆・出版当時に存命中の人物を扱っているのが「佐古慶三」伝である。
 その佐古伝、筒井之隆氏の描くところによれば、京大系の某大家の論著の内容の間違いと方法論の安易さを指摘して以後、それ系が大部分を占める関西の「研究誌に原稿を送っても取り上げてもらえな」くなった佐古氏は、授業内容の水準に関し学業に無関心な県知事あがりの校長や、氏の能力に脅威を感じていた畑を同じくする研究者の教頭と衝突して高校の講師も辞め、民間企業数社で雑誌編集の仕事に携わりながら、「こっちがだめなら、何か違うことをやりまひょ」と、商業史から郷土史へ転換して十数年間、時期を待った由。
 批判された報復に氏を生き埋めにしようとした京大系の大家は、原文(筒井氏の伝及び佐古氏からの聞き書き)にはちゃんと名が出ていて、本庄栄治郎という。その股肱の臣もしくは眷属と評すべきお弟子さん達も名が挙げられてい、黒羽兵治郎氏などは、「古文書が読めんようですな」と評されている。
 
 ところでこの書は出版時に買って読んだのだが、のち2003年か4年ごろ、中―日翻訳をしているとき、ある種の中国知識人の金と地位と評判に対する余りの浅ましさを描く原文表現を日本語に訳すのに「名聞乞食」という語をすらりと思いついたのはどうも、その20年前にこの本で使われていたためらしい。

(潮出版社 1983年4月)