慶應義塾大学『法学研究』84-5(2011年5月)、35-80頁掲載。
このタイトルで『脱亜論』が名すら出てこないのは、奇異の念を抱く。そもそも、今回読んだ著者の論文3本全て、福沢の言説の出典として現行の『福沢全集』(つまり石河幹明編集版が基礎)を使っているが、断らないまでも何らかの基準で取捨選択を行っているのだろうか。
このタイトルで『脱亜論』が名すら出てこないのは、奇異の念を抱く。そもそも、今回読んだ著者の論文3本全て、福沢の言説の出典として現行の『福沢全集』(つまり石河幹明編集版が基礎)を使っているが、断らないまでも何らかの基準で取捨選択を行っているのだろうか。