副題「近年発見の百済人『袮軍墓誌』の理解をめぐって」
『白山史学』50、2014年5月、1-22頁。
中国西安で見つかった678年作成の同墓誌(袮軍は同年に死去、葬られた百済人の名前)には、「日本」の名が記されていた。この年は、普通日本の国号を定めたといわれる大宝律令(701年制定)より遥かに早く、あるいは別に唱えられる飛鳥浄御原令の681年よりもまだ早い。その結果として、筆者は、663年白村江の戦いからほど遠からぬある時期に、天智天皇がこの国号を定めた可能性を示唆する。
『白山史学』50、2014年5月、1-22頁。
中国西安で見つかった678年作成の同墓誌(袮軍は同年に死去、葬られた百済人の名前)には、「日本」の名が記されていた。この年は、普通日本の国号を定めたといわれる大宝律令(701年制定)より遥かに早く、あるいは別に唱えられる飛鳥浄御原令の681年よりもまだ早い。その結果として、筆者は、663年白村江の戦いからほど遠からぬある時期に、天智天皇がこの国号を定めた可能性を示唆する。