書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ジョセフ・ニーダム著 王鈴協力 『中国の科学と文明』 11 「航海技術」

2011年11月02日 | 東洋史
 東畑精一/藪内清日本語版監訳、坂本賢三/橋本敬造/安達裕之/松本哲訳。

 「ウィキペディア」英語版の「Joseph Needham」項にある、「ニーダムは中国の技術的な諸々の成果とその水準をあまりに高く評価しすぎている」という批判は、当たっている("Evaluations and critiques")。
 「ウィキペディア」ではその理由がかかれていない。全巻を読み終えた上での私の意見は以下の通りである。

 1. みずからの知的枠組み(近代(西洋)科学技術の、また近代(西洋)文明の)で中国古代社会や技術・文明をとらえ、いわば好意的に解釈している(→このことは以前に触れた)。
 2. さらに、原史料(古代漢語)の読解の際も、その枠組みを通して観ているため、原文にない分析的思考や補足説明的表現が施されて、その結果原文と訳文では位相がずれて、翻訳として正確でなくなっている。

 2は、研究書としては致命的である。論拠となるべき史料がちゃんと読めていないということだからだ。(注)
 引用された諸史料を自分で読み直す(もちろん原典に当たってだ)なら、この大部の労作は、有益であろう。個人的な興味と必要から、第2・3巻(「思想史」上下)および第7巻(「物理学」)は、手元に置こうと思っている。そして第1巻(「序篇」)。第1巻は、全体の概説もしくは要約となっている(不完全だが。だいたいの見取り図としてなら使える)。

 。というより、私に云わせればあれは翻訳ではない。翻案である。同じ(と訳者が推測した)内容を、英語の文体と形式論理学に則って表現したら(そしてそれを明治以後の欧文脈に基づく日本語で翻訳したら)こうなるというもの。

 というわけで、いよいよ第7巻にかかりますかね。ネットで古本屋から買った本が到着したら。

(思索社 1981年1月第1刷 1983年11月第2刷)