書籍之海 漂流記

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ファン・ゴク・リエン監修 『ベトナム中学校歴史教科書 ベトナムの歴史』

2010年06月02日 | 東洋史
 「世界の教科書シリーズ」第21巻。今井昭夫監訳、伊藤悦子/小川有子/坪井未来子訳。 
 ベトナムの学制は、小学校(5年)、基礎中学校(4年)、普通中学校(3年・日本の高等学校に相当)の5-4-3年制である(坪井未来子「付録 ベトナムの教育の現況」本書764頁の記述による)。
 本書は、そのうち基礎中学校過程の歴史教科書を訳出したもの。
 以下は、興味深かった点。

 ●日本について、田中上奏文を本物としてある(「8年生の歴史」「第19課 戦間期の日本」本書443-444頁)。
 ●同じく日本について、歯舞・色丹・択捉・国後の北方四島を、日本の領土としてある(「8年生の歴史」「第12課 19世紀半ばから20世紀初めの日本」本書407頁の図「19世紀末から20世紀初めの日本帝国」)。
 ●第二次世界大戦後の東欧諸国について、ハンガリー動乱(1956年)やチェコ事件(1968年)、ポーランドの「連帯」結成(1980年)に端を発する同国の民主化運動などについては、まったく触れられない(「9年生の歴史」「第1課 1945年から1970年代半ばまでのソ連と東欧諸国」および「第2課 1970年代半ばから90年代初めまでのソ連と東欧」本書528-536頁)。
 ●紀元前8-7世紀の文郎(ヴァンラン)国の成立とともに、今日の基準による民族意識をもった駱越(ラクヴィエト)人が出現したとされ、さらにそれが現在のヴェトナム民族とまったく同じ物として扱われている。こんにちヴェトナム国民の大多数を占めるところの、狭義のヴェトナム民族であるキン族との関係についてはまったく説かれないし、この教科書がべつの箇所で歴史的ヴェトナムにおける少数民族として認める、たとえばチャム族との関係も、まったく説明されない(「6年生の歴史」「第12課 文郎(ヴァンラン)国」および「第13課 文郎(ヴァンラン)国の住民の物質的・精神的生活」本書55-62頁)。

 ちなみにヴェトナム以外の国家の研究者のあいだでは、文郎国は現在までのところ存在したことをしめす証拠(文献史料・出土史料)に乏しく、半ば伝説上の存在と見なされており、その実在はまだ認められていない。つまりヴェトナムの歴史教科書(私が見たのは中学校第一年用のそれ)は、神話を歴史として教えていることになる。
 ベトナムでは2000年以降、ドイモイ政策の一環として、カリキュラムを含む教育制度全般の見直しが始まっていて、これは改訂された教科書の邦訳なのだが、案外固陋なという感想。

(明石書店 2008年8月)