書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

中島敦 『山月記・李陵 他九篇』

2009年10月21日 | 文学
 漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い、辺塞遮虜鄣を発して北へ向かった。阿爾泰山脈の東南端が戈壁沙漠に没せんとする辺の磽确たる丘陵地帯を縫って北行すること三十日。朔風は戎衣を吹いて寒く、如何にも万里孤軍来るの感が深い。 (「李陵」冒頭 本書6頁)

 漢語は思考を停止させる。「辺塞遮虜鄣」はなんだかよくわからないが、出発するからには場所の名だろうし、「辺塞」とあるからにはたぶん「とりで」のことだろう、「磽确」というのもよくわからないが、いかにもごつごつした荒れはてた感じの音のことばだからたぶんそんな意味だろう、石がへんについているし。「朔風」はそんな荒野に吹いている風のことかしらん、「戎衣」はとにかく着ている服のことにちがいない。中島敦の中国物は、こんな誑かしの上に成り立っている。この岩波文庫版では懇切丁寧にルビがいちいちついているが――中島敦の原稿にもとから付せられていたのかもしれないが――、読みがついているかどうかは、ここではさして問題ではない。
 言っておくが、私は誑かしが悪いと言っているわけではない。文学作品では読者を作品世界に引き込むための誑かしの技術は大いに必要であろう。だが漢語の怖いところは、よくよく注意していないと誑かす筈の本人まで誑かされてしまうことである。

 武帝は李陵に命じてこの軍旅の輜重のことに当たらせようとした。未央宮の武台殿に召見された李陵は、しかし、極力その役を免ぜられんことを請うた。 (同上、本書7頁)

 「未央宮」は宮殿の名、「武台殿」はそのうちの一棟の名、というだけで十分なつもりになって、それ以上に具体的に踏み込んだ描写の必要を感じなくなる。そしてほとんど漢語の持つあやかしに依っ掛かっただけの、それらを取り去ってみればほとんどト書きのような文章しか書かなくなる。

(岩波書店 1994年7月第1刷 1997年4月第5刷)