幕末時の書簡や献策文で勝が屡々使った「条理」という言葉は、「公共の条理」という意味のようだ。あるいは「社会正義」。それに基づいて大は幕府の君臣は官軍の前に恭順せねばならず、小は市井の犯罪者は裁かれねばならないという原理原則である。それがもっともよく現れているのが、「丁卯十二月二十三日閣老へ一書を呈す」(本書440-442頁)である。
夫政府は、全国を鎮撫し、下民を撫育し、全国を富饒し、奸を押、賢を挙、国民其向かふ処を知り、海外に信を失はず、民を水火の中に救ふを以て真の政府と称すべし。(441頁、原文旧漢字、以下同じ)
後来天下の大権は、門望と名令に帰せずして必ず正に帰せん、私に帰せずして、公に帰するや必せり。 (440頁)
(『解難録・建言書類』所収、原書房 1968年4月)
夫政府は、全国を鎮撫し、下民を撫育し、全国を富饒し、奸を押、賢を挙、国民其向かふ処を知り、海外に信を失はず、民を水火の中に救ふを以て真の政府と称すべし。(441頁、原文旧漢字、以下同じ)
後来天下の大権は、門望と名令に帰せずして必ず正に帰せん、私に帰せずして、公に帰するや必せり。 (440頁)
(『解難録・建言書類』所収、原書房 1968年4月)