書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ヘロドトス著 青木巌訳 『歴史』 上下

2010年06月17日 | 西洋史
 阪急梅田駅、古書のまちのある古本屋で見かけてから20年、いつかこの青木訳を読もうと思い続けてきて、ようやく辿り着いた。

 これはハリカルナッソスのヘロドトスによる研究であって、人間の功業が時のたつうちに忘れ去られるような事、また、ギリシャ人と異邦人によってそれぞれ示された驚嘆すべき偉業が顧みられなくなるような事、特に、彼等が互いにしのぎを削るに至った原因が不明になるような事がないようにするために発表するものである。 (「巻一」 上巻13頁)

 巻頭このヘロドトスの言が、具体的にはペルシア戦争(紀元前492-449年)のことを言っているのは、言うまでもない。したがって、“異邦人”とは、当時のアケメネス朝ペルシア人であることは、言うを俟たない。ヘロドトスの偉大さは、ヘラスに住まうヘレネスのギリシア人も、バルバロイのペルシア人も、人間としては同列と見、その両者が激突するまでの各々の営みを“偉業”、その“偉業”が織りなす結果を“功業”としたところにある。

 かくて、どんな点から見ても、私にはカンビュセスが、はなはなだしい狂人であった事は、明白である。さもなければ、神事や習俗をばかにするような事を企てなかったであろう。いうまでもなく、もし人がどこの人間に尋ねようと、世界中の風習のうちから最もすぐれたものを選び出せと命ずるならば、すべてを調査した上、彼等は各自いずれも自国のものを選ぶであろうというわけで、かくいずれも自国の習俗をもって、断然最も優秀なものと信じているのである。したがって、かかるものをばかにするのは、狂人以外には恐らく皆無であろう。 (「巻三」 上巻179頁)

 所変われば人の日々の営みも、ものの考え方も異なってきて当たり前である。人はその住みなす環境のなかで、そこで最適最善と思われる道を選ぶ。紀元前5世紀の人ヘロドトスにとって、それは、ことごとしく論じる必要もない自明のことであった。

(新潮社 1960年11月・12月)