『武将列伝』 4 (文春文庫版 1975年4月第1刷)所収。
前項より続き。
私個人の次のステップとして、海音寺氏の史伝を見てみる。だがここにもない。
ちなみに海音寺氏はこの史伝シリーズを書くにあたって大先達露伴の史伝を踏まえ、その誤りを正したうえで、さらに新しい何かを付け加えようとしたのが、執筆のひそかな狙いのひとつだったのではないかと私は推察しているのだが、この二人が触れていないということは、かなり信憑性があやしくなってきたように思える。氏郷が「猿め、死に場所がのうて狂うたか」と言ったとエッセイや小説で記した司馬遼太郎氏の言は、何に基づいてのものだったのだろう。
いま思いつくかぎりですぐにアクセス可能なもう一手を、試してみることにする。
(1990年10月第12刷)
前項より続き。
私個人の次のステップとして、海音寺氏の史伝を見てみる。だがここにもない。
ちなみに海音寺氏はこの史伝シリーズを書くにあたって大先達露伴の史伝を踏まえ、その誤りを正したうえで、さらに新しい何かを付け加えようとしたのが、執筆のひそかな狙いのひとつだったのではないかと私は推察しているのだが、この二人が触れていないということは、かなり信憑性があやしくなってきたように思える。氏郷が「猿め、死に場所がのうて狂うたか」と言ったとエッセイや小説で記した司馬遼太郎氏の言は、何に基づいてのものだったのだろう。
いま思いつくかぎりですぐにアクセス可能なもう一手を、試してみることにする。
(1990年10月第12刷)