書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ロバート・C・クリストファー著 徳山二郎訳 『ジャパニーズ・マインド』

2007年02月06日 | 政治
 副題「すれちがう善意、すれちがう悪意」。
 つねづね思うことだが、米国リベラルの日本異質・特殊論(この書もその一つ)は、歴史的中国への畏敬・近代中国への同情(その裏返しとしての日本嫌悪)の現れではなかろうか。さらにその背後にあるのはコミュニズムに対する憧憬。
 その一方で、米国コンサーバティブの日本異質・特殊論には、背景に近代日本への恐怖(かつての強敵)、現代日本への潜在的恐怖(ふたたび復活するかもしれない強敵)があるかと思えるのである。
 
  例:「Time.com」, Monday, Feb. 05, 2007, "In Japan, a Revolution Over Child Bearing"
   →http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1585798,00.html
 
 双方に共通している点は、日本人を程度の差はあれ究極的には相互理解不能、共存不可能な存在と見なしているところである。
 両者の違っているところは、リベラル派が議論をほぼ文化的な特殊性――いわゆる“差異”――の面に限って展開するのに対し、コンサーバティブの日本異質・特殊論は、文化的な特殊性のさらにその背後には日本人の生理的な特殊性があるかのような言い方を時にするところである。
 ただしその言辞は極めて暗示的であり、日本人だけが特殊だと言っているのか、東洋人一般が特殊という話なのか、それとも白色人種からすれば有色人種はすべて特殊――もしくは劣等――だと言いたいのかは、俄に判別し難い。

(講談社 1984年2月第4刷)