書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

湯浅幸孫 『中国倫理思想の研究』

2014年07月25日 | 東洋史
 張載は、気は不生不滅であり集散を繰り返すとした。「第二部 中國倫理思想の諸問題 三 思想家としての王廷相 張載と王廷相」、本書205頁。では張のこの発想は何処から出てきたのか。
 朱子は仏教と見たらしい。「朱子は氣は絶えず生産され、一旦散じた氣は復た聚まらず、遂に消滅すると考え(「文集」四五、「答廖子晦」)、張氏の聚散説は、『釋子の輪廻の説』であると貶した(「語類」九九)」(本書206頁)。

(同朋舎 1981年4月)

高令印/楽愛国 『王廷相評伝』

2014年07月25日 | 伝記
 王廷相(1474-1544)の気一元論が張載に由来する事実とともに、王が、朱子の理気二元論ではさまざまな矛盾が生じることを種々の例を挙げて指摘している事実を紹介する。その例には自然観察や天体観測から得られた諸現実が
多く含まれる。 彼は儒学者・文学者だが科学者でもあった。天文暦学の他、その関心は今日の地学・生物学に該当する分野へも渉っている。さらには王は、気は集合分散を繰り返すが存在としては不滅とした。これは極めて特異な発想と思える。この点について、張載の意見はどうだったのか。

(南京大学出版社 1998年12月)

王俊彦 『王廷相與明代氣學』

2014年07月25日 | 東洋史
 なぜ明学が理気二元論ではなく、気一元論を採ったのかについて、説くところがない。
 同様に、王廷相の気一元論が張載のそれに由来する事実を指摘するが、ではなぜ王が儒学(宋学)において大勢の理気二元論を採らず、張の一元論を採ったのかについては稽えるところがない。

(臺北 秀威出版社 2005年10月)