神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

癒し旅 最終回まとめ

2021年06月05日 20時49分53秒 | 旅行 東北
私の行動範囲としての北方面は、ちょいとドライブなら新潟県長岡市あたりが限界
少し遠くまで足を延ばす日帰りドライブなら新潟市や、更に福島県会津若松市
あるいは群馬県高崎市くらいまでだ
それより北は一泊が必要だ、それでも経験上では山形県内が限界だった、秋田県以北はまさに「未知の区(陸奥)」であった
やはりどう考えてみても二泊以上でなければ見たいところも見られない、今回は二泊三日の予定だったが、大雨予報で実質二泊二日で終わった
それでもずっと行きたかった秋田県内を巡ることができて7分通りは満足している
距離感、タイムスケジュールがほとんどわからない中で、まずまずうまくまとめたと思っている
これは今後行いたい東北一周旅行の為の参考になった、余裕をもって行うには最低5泊は必要だと思った、青森、岩手はさらに遠い

1日目朝4時頃に出発、
新潟上越ICまで国道8号 上越IC=北陸道ー日東道荒川胎内ICー県道ー国道7号
ーあつみ温泉IC= 日東道無料区間=酒田ICー国道7号ー象潟ー金浦IC=日東道無料区間=松ヶ崎亀田ICー秋田南バイパスー県56船川街道ー脇本ー寒風山ー能代17:00着 ほぼ海岸線ばかり走っていた 走行距離550km
鳥海山が山形、秋田どちらからも見えた  天気は山形まではやや曇り
秋田から晴


寒風山から八郎潟干拓地





海の向こうにかすかに見えたのは岩木山かな?

2日目 7:15能代出発ー小阿仁村-県道309ー太平湖(狭い九十九折りの山道続く)ー比内町ー八幡平ー国道341(山の中の道、景色良い)ー田沢湖ー秋田道協和IC=日東道=鶴岡ICーホテル到着18:00 走行距離440km

八幡平まで緑と自然の中を行く



八幡平

岩手山




田沢湖へ









玉川の合流とダム湖




田沢湖





たつこ像

三日目6時出発、ひたすら嵐を避けて逃げ帰るだけ
ところが山形、新潟はほとんど風もなく、雨も少なく、夜まで普通の曇り時々雨でしかなかった
慌てて帰ってきたので11時前には着いたのだった

3日間の旅で、やはりもやもやは吹っ切れて頭も体も軽くなった

                 おわり

一人旅
1. 能登和倉温泉で一泊
2. 宇都宮泊り 黒羽ルーツ探しの旅
3. 南紀白浜温泉、奈良市内2泊 和歌山、奈良、安土
4. 秋田県の癒しの旅 能代、鶴岡2泊 男鹿半島、八幡平、田沢湖


癒やし旅 一人旅の掟

2021年06月04日 19時48分16秒 | 旅行 東北
旅立つ朝さえ「やめようかな」と思った、だがやめてしまえば元の木阿弥
どんどん気持ちは落ち込むばかりだ
やっぱり思い切って出てよかった、行き先はこのコロナ下では自ずと決まる
秋田県は全国でも山陰二県と共に最小感染者数の県だ
そんなところを訪れるにはそれなりの仁義をわきまえて行かねばならない
まずは最小人数で 他人が一人でもいるならマスクをする
もちろん自分が感染者でない確かな自信があること
ホテルでは不要不急の部屋出をしない
大浴場も利用できるが室内のバスにした 朝食付きだがバイキング形式でもあるし二日とも利用しなかった
この旅行中は誰とも話をしなかった。 フロントマン、夕食の食堂の担当と短く用件を伝えただけ
夕食は50席ほどの部屋に二日とも他人は五名ほどいただけ、八幡平の食堂も他に二組4名だけだつた
観光は館内施設に入らず、全て外で自然の風景を見るだけ 男鹿半島、八幡平、田沢湖、あとは山の中の景色
人のそばには近寄らない トイレや買い物以外は車の中
買い物、トイレのあとは毎回手指消毒、これを三日間守った、だから立ち寄り温泉もあきらめたし、秋田市や酒田市には立ち寄らず、ホテルも小さな町のホテルを利用した けっこう自己縛りの旅になった


ホテルは二日とも同系列のビジネスホテルにしたが、スタッフ、安全管理、部屋、衛生管理は同料金でありながら全くレベルが違っていた
これは我が身でもあり一番の勉強になった、これだけでも旅の価値があった


秋田県の感染者がなぜ少ないかすぐにわかった
観光地もホテルの駐車場も道の駅もたくさん車があるが、ナンバーをみると90パーセント以上が秋田、青森、岩手のものだった
ところが山形県ではホテルの駐車場は我が町同様、他県ナンバーが70パーセントくらいだった





とにかく誰も居ないところ 大勢いる所では人のいない場所を見つけてそこに行く

3日間、1300kmの行程で海岸線半分、深い山道を半分、町中と言うところには近づかなかった
まさに自然の中を巡る旅だった
















癒やし旅3

2021年06月03日 20時05分43秒 | 旅行 東北
今回は今日のこと 明日はホテルのこと 明後日はまとめ

ついに憧れの八幡平に来ましたよ、能代からつづら折りの山道を五時間
能代を出たのが7時すぎ、能代川を見に行ったり
よしのしゆんけい 桧山納豆 大館曲げわっぱ の納豆へ立ち寄ったりで
ずいぶん時間をロスした
でも体からあふれ出るほど森林浴をしてきました




わが愛車よ、良く走ってくれた 少しも疲れないシートは最高
惚れ込んだだけの価値はあるの

志賀、白根のルートに似ている
食堂で稲庭うどんの素うどん800円 高すぎる






次は、これも憧れだった田沢湖に向かう
書けば簡単だけど、凄い事なんですよ 71歳には
実は朝まで岩手県まで行く八幡平は無謀と考えて田沢湖に直行する気でホテルを出た
でも二度と来られないのではと言う気持ちになって、悔いが無いように
ここまで来たのです


それにしても田沢湖のブルーは初めて見た湖の色です
午後六時、山形県鶴岡市のホテルに到着
地酒二合とつまみはニンニクの効いたギヨウザとわかめの唐揚げ
すると、お店のおねえさんがホテルオリジナルのお酒をサービスに持ってきてくれた
なんか嬉しい、酒飲み認定してもらった気分、他にも何人かいたのに

本当は新潟県まで行きたかったけど盛りだくさんで鶴岡市がやっとだった
明日は大雨の新潟県を行くことになりそう

癒やし旅2

2021年06月03日 06時47分57秒 | 旅行 東北
男鹿半島、子供の頃は八郎潟がまだ海水?をたたえていた
なぜか昔からここに行きたいという憧れがあった
ようやく実現した、とはいえ急に思い立ち、吉日と後先考えずに飛び出した一人旅
一昨日の夜決めて、遠いからと3時起き4時に出発、実は起きたときまず思ったのは「やめようか」と言う弱気
その時、頭に流れた歌「行くと言ったら行くのが男」水前寺清子の歌だった
もう迷わない、家に三日いても何も変わらない

遠いからと高速を使えば数万円になる、今回は省エネケチケチ旅にする
温泉宿よりビジネスホテル、高速道路より下道、新潟県以北は高速道が整備中なので無料区間が多くて助かった

男鹿半島で知ったこと、驚いたことを書いてみる
なまはげの本場らしい
5m以上ありそうなオブジェ、7mはあるかな?10m?

男鹿半島、八郎潟のイメージで平だと思っていたら、けつこう穏やかな山がいくつかあった
そして寒風山を知った、そこへ向かった、パラグライダーが飛んでいる
斜面は緑の草原、埋め立てられた八郎潟の全貌
海の向こうにかすむのは岩木山なのか、相棒がいたら、ゆっくり過ごしたい場所だ

群馬県嬬恋村には愛妻の丘があるが、ここは愛妻峠



一番驚いた!何これ?は風力発電の風車、30mもありそうな巨大なものから家庭的なものまで至るところで群立している
半島全体で1000基はありそうだ、風の強いところなのだろう
防風林らしき木は瘦せこけ枯れて海の反対に傾いていた
風車は現代の防風林だ



夜は能代市のホテル泊、地酒の生を二合
ソーセージの鉄板焼、三陸わかめの唐揚げをつまみに
シメは、煮干しだしのラーメン 秋田のラーメンはこれがご当地ラーメンらしい
うまかった
食べてから国道沿いを一時間さんぽした
つづく

ルーツの一人旅 第二日 ふくろう神社

2019年09月11日 19時35分31秒 | 旅行 東北

12時前、急に激しい雷雨になった、朝から涼しげな感じだっただけに急変に驚いた

でも予報通りなんだな、これが・・・

 

さて二日目は快晴、朝5時半に目覚めた。

地理不案内な場所なので6時にホテルを出発しようかと思ったが、せっかく

朝食券ももらったことだし、飯抜き旅じゃシャレにもならないから食べることにした

そうなると食事の開始時間の6時半が待ち遠しい

やっと6時半になって食堂へいき海苔と納豆とサラダと味噌汁で朝食を済ます

コーヒーを一杯飲んで、さあ出発だ、相変わらずここも中国人客が多い

カーナビまかせで7時半に出発したが、通勤ラッシュの始まり、国道4号を抜けるまで

渋滞が続く、やっと県道に出て速度が上がった

やはり予想より遥かに遠くて、宇都宮から50km位はあったようだ

広い道で神社の看板を見つけた、細くて薄暗い林道に入った、神社まで3kmくらいか

急に気持ちが昂ぶってきて、右腕がしびれるような感覚になった、なぜ緊張してるんだろう?

いったん車から降りて、杉の木のオゾンを吸ってみた、ようやく落ち着いた

直に神社の入口に着いた、なんだか音楽や神楽の曲が混じって流れていて、賑やかだ

凛とした神聖な場所には思えない、どちらかと言えばメルヘンチックといった方が近い雰囲気

すぐに駐車場を見つけて外に出たら、もう蒸し暑さが始まっている

私が今日の参拝者で一番早いようだ

 

最初に7mの大フクロウの参道へ、急な石段を登るとすぐに四柱に乗った大フクロウの下に

着いた、おじさんが二人掃除をしていたので「おはようございます」と声をかけた

それから、中央にある芯柱を見たら、「バチで三回叩いて苦労をたたき出してください」と

書いてある、まず最初のおつとめ、すり減っている柱を叩いた

それから四柱の一本一本に両手を触れて、それぞれの柱の効能を願った

そこで願い事を書き、お金を入れてポストに入れた

次は本殿に参拝、この石段左右は茨城県と栃木県に別れている、二県にまたぐ珍しい参道なのだ

鳥居をくぐると仁王門がある、その手前で身を清めて急な長い石段を上がる、苦労にかけて96段

往復すると2×96でフクロウ(不苦労)になる

本殿横からは散歩道になっていて、様々な紫陽花が咲く

道を上り下りして歩く、見晴らし台やお稲荷さんなどもあって参拝しながら歩いた

帰りになったら、3グループが上がってきた、いずれも女性ばかりだった

 

おおよそ一時間神社で過ごし、神社の方と少しおしゃべりをして、みんなへおみやげにお守りを

買い、神社を後にした

父の義祖父の故郷、馬頭町を見て、更に北へと走っていくと那珂川の流れが見えてきた

古くから、河口の那珂湊から栃木県の黒羽まで水運が繋がっていて、それぞれの海産物や

農産物が上り下りしていたという

地図を見ると馬頭や黒羽は、川を挟んだ山の中というイメージがあるけれど、それは3000m

の山を背にする私の感覚であって、低い山はあれどもほとんど平らで、場所によっては、我が町より

遥かにひろい平野が広がっていた

栃木県にも2500m級の山が連なるが、それは北西部の日光市に集中していて、県央の東側は

茨城との県境付近が300~500mの小山が並び、黒羽から大田原にかけては200m程の

扇状台地の様に見える、豊かな農業の村だったような気がする

我が家も私の祖母が幼年時代までこの地で産まれ過ごし、小作人を雇って年250石の米が

あがる(現代の1500万円から2000万円に相当とか)豊かな家だったと言うことだ、

祖母はお蚕ぐるみ(絹の着物)を着せてもらったと、父に言ったそうだ

その家が急に衰退して、娘、母、祖母の女三人で故郷を追われるように宇都宮へ出たのが

明治40年の事だった、さらに南下して茨城の古河に落ち着いたのは大正の初めだった

そこで父は生まれて、貧しい暮らしの中で生きてきたのだった

古河は3度行ったけど、黒羽は初めてなのだ、那珂川を見た瞬間、感無量であった

次回はこの町に宿を取って、歩いて見てまわりたい、車ではゆっくり見ることもできず、狭い農道にも

入れず消化不良だった

 

昼食は3km程離れた道の駅「与一の里」で、大盛りとろろ蕎麦を食べた、なかなか美味しい

那須与一資料館にも入ったが、客は私一人で、館の受付の女性が最後までつきっきりで説明して

くれた

那須与一は弓の名手で源平の合戦で屋島の戦いの時、挑発する平氏の小舟に揺れる扇を

波打ち際から射て、見事に命中させた有名な逸話である

館の案内の女性から聞いた、与一伝説

*与一から扇までは75mくらいだった、これは道の駅の与一の銅像から、資料館の入口までの

長さなので確認して実感を味わってください

*与一は11人兄弟の末子で、10人、余り一人で「余一」=与一と名付けたとか

*与一、この時18歳とも20歳ともいう、いずれにしても若武者

*与一の兄弟は源氏に味方したのは与一と兄一人、残りは平氏に味方した、しかし平氏は負けて

滅んだ、与一は兄たちを探して、自分の功績とひきかえに許してもらい、那須地方の領地を

分けてやり、それぞれが那須地方の領主として繁栄した。

 

お客さんはいなかったが、館内の劇場で上映される人形劇シアターはなかなかの見物であるから

行ったら是非、見てほしいと思います、15分ほどの寸劇ですが面白い、あっと驚く!

 

コンビニに車を置いて先祖の地に向かって5分ほど歩いたが、35度の猛暑でとても無理だった、

片道5時間かかる遠い所だけれど、来年もう一度来て、今回行くことができなかったゆかりの

雲巌寺にも行ってみたい、那珂川縁を歩きたい、遠い祖先の地を歩いてみたい。

 

 


ルーツのひとり旅 第一日「宇都宮で餃子を食べた」

2019年09月10日 19時51分01秒 | 旅行 東北

8日、日曜日いつもの如く、夜の宴会予約は無く、珍しい事に月曜、火曜も閑で

気分的に空虚だった・・・・・だが逆転の発想・・・・・・一人旅に出るチャンス」と思った

それも明日朝から一泊二日で

思い立てば吉日で、社員に急遽旅立つことを伝えて、月曜日は臨時休業に

そして、すぐに宿の予約をした、本命の大田原の温泉宿は急すぎて対応出来ず、宇都宮の

ルートインを予約した

それからルート作り、目的は大まかに四つ 1.フクロウ神社(鷲子山上神社) 2.馬頭町小口

3.大田原市黒羽  4.雲巌寺

フクロウ神社への理由は、四年ほど前にフクロウ(みみづく)が我が店の玄関に突然やってきて、

玄関先で10分間立ち続け私とマネージャが対面、ドアを開けても、写真を撮っても、

後ろに回っても身動きせずにずっと居たのだった。

何らかの天啓を感じてネットで「フクロウ 神社」で調べたら、この神社がヒットした しかも

この神社は、我が父を育てた義祖父(父の祖母の後添え夫)が生まれた栃木県の町と、

養子に行った茨城県の村にまたがっている神社だったのだ

不思議な因縁を感じずには居られなかった、それで是非一度は・・と思い4年が経った

2はその義祖父の生まれ故郷  3は我が家のルーツの地  4は有名な由緒ある寺

このフクロウが私のブログのタイトル写真になっている

 

行くのはいいが、台風が関東直撃で、栃木のルーツ周辺も通りそうな感じで心配もあるが

それでも最後のチャンス!行くしか無い

天気予報を徹底的にに調べたら、私が台風を追う形で、明日の午後に向こうに着くならば

天気が回復していることがわかった、火曜日も午後までは快晴らしい

だが午後着だと果たして目的の神社にたどり着けるかわからない・・考えても仕方ない

行くしか無いのだ

翌朝、こちらは小雨、風も無い、走るには良い日だ、10時に出発した

関越道に出た理由は昨日書いたとおり、それは正解だった

途中で蕎麦を食べたり、休憩をしたりしてのんびり行ったものだから、結局この日の

見学は諦めた、そして日帰り温泉へ

民家を改装したような感じで、いかにも農家風 温泉を掘り当ててまだ20年は経っていないとか書いてあった

風呂は男女一つずつだが、食堂や休憩室もあって地元のオアシスのようだ

今時、珍しい秤が置いてある

高速道、宇都宮ICで下りたから、ホテルも近いと思ったが、とんでもはっぷん、45分ほど

市内の幹線道路を走って、ようやく着いた、どうも見知らぬ土地では距離感がわからない

だが迷わず到着出来るカーナビはありがたい

ホテルで夕食とも思ったが、メニューを見たら好みのものが無く、酒もホテルのオリジナルラベル

せっかく初めての宇都宮だから、地の物を食べたい、それも名物を

と言うことで探したら近くに餃子の店を発見、近いと行っても反対方向に歩いたりで30分近く歩いた

食前の散歩と思ったら元気が出た、看板だけ見つけたが店が無い、それも書いた通り

店を見つけたが、チェーンのレストランぽい大きな店だと想像していたが、テーブル席二つ、

カウンター席8席足らずの普通の食堂だった

地元らしくていいじゃん、喜んで入店したが馴染みらしい客が二人居ただけだった、メインストリートの

いろんな今風のレストランや焼き肉屋はかなりの客数が入っていたが

この店は焼き手の店長らしき人と、サービスの若い兄ちゃん二人でやっている

兄ちゃんの感じはいい、特に愛想がいいわけでも無いが、何かと「なんかどこかの客が来たぞ

ちょっと変わった奴かな?」的にちょこちょこと話しかけてくれたり世話を焼いてくれたり

「何にしましょうか?」というから、メニュー表を指さして「これ純米酒一合」いきなり酒を注文

ホテルでいきなり缶ビール1本飲んできてからのここ

酒を持ってきたから、「餃子のセットはない?」と聞いたら「これがお得です」と、海老餃子とオリジナル餃子

水餃子風のスープとライスのセットを勧めてくれたの注文

すぐに来たけど、ライスも来た、ライスは隅に置いて餃子を肴に飲み始め、直に一合飲んだのでお替わりを

頼んだ、持ってきた兄ちゃん「あれ! ライス冷めますね、あとにします?」と取り替えてくれそうな感じだから

「いいよ、あとで食べるから大丈夫、酒が好きなもんだから」というと、兄ちゃんも微笑んだ

そして小皿に大盛りにした漬け物を持ってきてくれたことも書いた通り

「キムチって、餃子にキムチ入っているの?」「はいキムチ入ってますよ、白菜も入ってますよシャキシャキして

旨いですよ」 「それ一皿」

餃子のウンチクが書いてあったのでそれもやってみた、「ラー油の底に沈んでいる様々なスパイスを

地元では砂といいます、これを直接餃子にかけて食べるのが通の食べ方です」

やってたら兄ちゃんがびっくりしたような顔して、・・・?と言ったから

「ここに書いてある通りにやってみた」と言ったら、なぜか「へ~?」と言った

熱々の餃子が来た、旨い! これは旨い、しかし猫舌なので水を自分でコップに入れてたら

「辛いですか?」というから「そうじゃないよ辛いのは強いけど、猫舌でねえ」と言ったら笑った

それに日本酒を飲むときは酒一合に水一合飲めば悪酔いしない、だから水も二合以上飲んだ

古河へ行ったときは居酒屋で二合飲んだだけでむかえのホテルに着く前に気持ち悪くなった

経験があるから、今回は慎重に飲んだ

ラーメンどんぶり並みの大きさのスープを三分の一残しておいて、冷えた御飯の四分の三を

スープに入れて雑炊風にしてサラサラと食べた

残りの御飯は兄ちゃんが持ってきてくれたキュウリの醤油漬けを振りかけて美味しくいただいて

完食、もう一合飲みたかったけど、もう閉店したそうなので諦めた

兄ちゃんが居たおかげで退屈しなかった、気持ちよく飲んで名物の餃子も食べたし満足

またここに来たら、絶対食べに行く

専門店だった、やはり本場は旨い

宇都宮市御幸町、国道4号から少し入ったところ、ルートインから10分くらいかな

ホテルに戻って10時にホテルの風呂に入った、先客は1名だけだった

5~6人は入れる大理石風の風呂で、ラジウム泉、気持ちよかった

出てから缶ビールをまた一本自販機で買って部屋で飲んだ、部屋にはオイルマッサージの

出張のパンフがあったが、今回はやめておく、7500円のホテルに泊まって12000円の

マッサージにかかるなら、もう少しランクのいい温泉宿に泊まった方がいい・・・・

なんていうのは歳とった証拠だね、4年前まではこれホテルでやって会員にまでなってたんだから

23時ころ寝てしまった、二回風呂に入ったし、辛口の地酒も旨かったし美味しい餃子も

食べたし満足満足

明日はスケジュールが込んでる、忙しくなるぞ!

暑い一日だった、栃木の佐野市は37度とか、暑いわけだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


会津~三春~母畑温泉の旅(3)2日目足利フラワーパーク

2018年11月11日 18時44分28秒 | 旅行 東北

母畑温泉「八幡屋」のつるつるの湯大浴場と露天風呂を充分堪能

朝食バイキングも食べ過ぎで、日頃から運動不足の我々は、お腹だけが膨らんで・・この姿

部屋担当のお嬢さんなど仲居さんとスタッフが帰りの道をずらっと並んで見送ってくれた

東北道を一路、足利まで南下する、福島、栃木の県境を越えれば奥羽の入り口「白河の関」

白河城は戊辰戦争で会津藩と仙台藩が守っていた、守将は会津藩筆頭家老、西郷頼母

他家から養子として殿様になった松平容保とは意見が合わず、先祖代々この城の家老として

会津藩に尽くしてきた自負がある西郷は若い殿様さえも説教する力を持っていた

多分、容保は煙たがって西郷家老を白河に送ったのでは、「八重の桜」では西田敏行が演じていた

非戦を主張していた西郷には、おそらく闘志などわかなかったのではないだろうか、新政府軍の

4~5倍の兵力で、しかも有利な城にあったのに、あっという間に会津、仙台連合軍は崩れ去り

たやすく重要拠点の白河城を奪われてしまった

会津は四方八方に通ずる道があり、兵力分散の会津軍は不利であった、結局西の三春藩が

寝返り、友軍の二本松城も1日で陥落、頼りの長岡藩も陥落し東方、西方と南方を破られた会津は

城で持ちこたえて東北の諸藩の援軍を待つしかなかった、西郷頼母の家族、女子供幼児のことごとくが

短剣で喉や胸を刺して自害した悲劇もこの時起こった

今朝放送の「八重の桜」の再放送は、まさにその場面であった、会津武家屋敷にも人形で説明してあった

 

そんな思いを巡らせながら通過すると、その先は那須の原である、我が家のルーツが今も存続している地

広い原野が続く

約一時間遅れで足利フラワーパークへ到着、直ちに予約のレストランで昼食、煮込みのうどんが旨かった

ここの最大の売りは「巨大な滝のような藤の花」、今は季節はずれで花も少なくちょっとはずれだった

入場料も500円、最盛期の何分の一で客もまばらだった、でも探せば美しい花があるものです

 

 

 

 

 

さあ故郷目指して帰りましょう、東北道から北関東道、関越道、そして上信道、北陸道と乗り継ぐ

妙義山から軽井沢、上田近辺の山の紅葉は会津街道に負けないほどの美しさだった

まさに良い時に実行したものだ

日が暮れてきた、女子は今さら家で炊事する気も無し、途中下車で寿司屋に直行、ここで夕食となった

そしてまた高速で30分

故郷到着は夜8時でした、走行距離900km、マスヤンと私二人で運転してきました、お疲れ様でした

また来年が楽しみです。

 


会津~三春~母畑温泉の旅(2)

2018年11月10日 07時36分44秒 | 旅行 東北

今年の同級生旅行は見学カ所をしぼって、出来るだけ移動せずじっくり一カ所を見る

そんな方針での旅です。 足が痛い、歩くと息が切れると言う声もかなり増えてきた

初日の観光は会津武家屋敷と三春のデコ屋敷の2カ所、武家屋敷は私が是非みたいと希望(初)

デコ屋敷は、私が是非みんなを連れて行きたいという場所です(2回目)

デコ屋敷の「デコ」とは何か?、誰もが聞く言葉です、この店の人にお聞きしました・・・でも忘れました!

三春駒はご存じでしょう、そんな郷土の伝統民芸品を製作している工房が4~5軒ある地域です

大きな古民家といった風情の建物の中には、七福神や天狗にお亀、様々な面、そして干支人形

今も一人の年輩の職人さんが無愛想に作っています、みんな静まりかえってそっと見ています

 

 

そこに別の男性がにゅ~っと現れて、いろいろ説明を始めてくれました、年頃は我々より少し上くらい

この店の主でしょうか?、作っている人が主でしょうか?・・・わかりません

静けさの中で頑固な職人が静まりかえった空気の中でせっせと仕事に集中している・・・と突然

鳴り響く歌謡曲、それも外まで聞こえるような大きな音で・・・・ええええぇ?

説明してくれたおじさんが衣装を代えて、面をやおらかぶり、歌謡曲に合わせて踊り始めました

満面の愛嬌を振りまいて

 

 

そしてこの工芸民家は明らかに生活の場でもあるようです、なぜなら仏壇も

あり遺影写真も鴨居に足下に無造作に飾られています

遺影のおばあちゃんの表情が良い、ニコニコと笑っています、飯田蝶子さんに似ています

いやあ愉快愉快、一気に場の雰囲気が変わりました、毎年5月の最終日曜にお祭りコンクールが開かれ

全国からファンが集まって、面をつけて踊りまくるとか

ポスターを見たら、踊ってくれたおじさんが一番目立って写っていました

男面と女面を付け替えて、女踊りも見せてくれます

私はここで達磨2ヶと寅を一ヶ購入、なかなかユーモラスで味わいのある一品です、達磨も既に目が入っています

高崎の達磨とはずいぶん違った手作り感満載の達磨さん、一個は人にあげましたけど、「絵手紙に書きたくなるような

達磨さんだね」なるほど、そういえば。

寅年の私は、この尻を持ち上げて、今にも飛びかかりそうな勢いのこの寅がとても気に入りました

外には絵付け前の張り子が干してありました

デコ屋敷をあとにして、今夜の宿、母畑温泉「八幡屋」へ向かいます、30~40分、5時前には到着しそうです

私は約25年ぶりの八幡屋です、当時は「プロが選ぶ宿100選」で10位くらいの人気温泉宿だったが

今はなんと、絶対王者、能登和倉温泉の加賀屋に次いで、第二位になっていました

因みに、この宿の設計者は「加賀屋」の設計者と同一人物です

さあ、そんな八幡屋の湯というと、つるつるすべすべのお湯です、温度も丁度よい湯加減、最高最高

若い女性スタッフの多い宿です、きびきびと動いているかというと、いえいえ、おっとりゆったりと動いています

なぜか癒やされます、ああ福島だなあ~~ってほっこりした気持ちになれます

東北地方のアクセントを、あくずんでいない純朴そうに見えるお嬢さんが話すと、ほんと癒やされるのです

都会のホテルの「できる女」の殺伐とした雰囲気はここには少しもありません

 

さあ宴会宴会、待ちに待った宴会です、今年も抜群のエンターティナー、「スターどんちゃん」はいません

ここは我々が「全員野球」でスターの穴を埋めなければなりません

最初の一時間は、ゆっくり食べて飲んで、語り合って、おいしいお酒を飲んで、「一時間が過ぎました、恒例の

ショータイムの始まり」、トップバッターはマスヤンの「まつり」でオープニング

続いて踊りの師匠のご指名により私が歌い、つーくんと師匠が日舞を踊ります

このあとつーくんは暫く内股歩きを忘れられなくなったそうで、来年が期待されます

去年まで「僕はカメラマンだから」と逃げ切っていましたが、今年はとうとう捕まってしまいました

  

「いやあ、これは面白い」と、面白いおじさんたちが笑っていますが、間もなく出番ですよ

金髪の長い髪のお嬢さん、カツラをとれば、ほとんど毛がないおっさんです

 

私の大暴れの勇姿をお見せ出来ないのが残念ですが、お見せ出来るようなものではありません

ただでさえ女房殿に軽蔑されていますので、流失はご勘弁願います。

この騒ぎは延長で、延々一時間半続きまして、仲居のお嬢さんたちを困惑させました

「こんなお客様は初めて見ました」は、どこの温泉に行っても言われますが、楽しいという意味なのか、迷惑という意味なのか?

私たちは前者と考えておりますが、いかがなものでありましょうか。

おいしい、ご馳走をたらふくいただきました、食べきれないほど、けれどラーメンは別腹、半分の人ははラーメンを食べに行きました。 

私はマスヤンとリラクゼーション・ツボマッサージに出かけました

60分コースの予定でしたが、マッサージ師のお嬢さんが「90分コースもありますが・・・・」とうつらうつらした頃、耳元に囁きまして

タイプのお嬢さんでもあり、おじさんはつい「90分でいいよ~~」と言ってしまいました、   チ~~ン(レジの音)

たいへん結構でございました・・・45分は寝ておりましたけど。

一番真面目でつまらない男でも、これくらいは必須です・・・・・布施明ではありません

 明日は南下して「足利フラワーパーク」へ行きます