回るよ 回るよ 台風のように 渦巻きのように ブラックホールのように
それは反対に回っていくよ 中心から外に向かって
どんどん大きく大きく広がっていくよ
喜びと幸せの連鎖が広がっていくよ
良いことを考えると 良いことがどんどん増えてくる
毎日 毎日一個ずつ 幸せや良いことが増えていく
大切なのは信じること 自分を信じること
まっすぐを信じること 正義を信じること
笑顔が幸せを招くことを信じること
回るよ 回るよ 台風のように 渦巻きのように ブラックホールのように
それは反対に回っていくよ 中心から外に向かって
どんどん大きく大きく広がっていくよ
喜びと幸せの連鎖が広がっていくよ
良いことを考えると 良いことがどんどん増えてくる
毎日 毎日一個ずつ 幸せや良いことが増えていく
大切なのは信じること 自分を信じること
まっすぐを信じること 正義を信じること
笑顔が幸せを招くことを信じること
晩愁
灰色の雲
昔ばかりを思い出す
菅平牧場の暑い日差し
どんよりしたモノクロの凍えた諏訪湖
池ノ平湿原で見た富士
信州の日本の原風景
思い出すにきりもない
懐かしさは老いゆく哀愁
しばし しんみりとした時間
また今から頑張ろう!
ずっと着ることが出来なかった背広
ズボンは3~5センチ閉まらなかった
上着は胴回りがパンパンで第二ボタンをかけるとはち切れそう
15年前にオーダーで作った品
それが今日、ズボンをはいてみた、腹を引っ込まさなくてもはけた
上着、第二ボタンもすっきり、少しも窮屈感なし
腹回りは最大10cm減った、それでも普通人よりまだ太いが
体重はついに目標の65kg台半ばに(最大4.5kg減)
次の目標は腹囲-5cm 体重63kg
あれこれ整理を続けているので、結構昔の忘れ物が出てきます
今日もボックスの中から、これが出てきました
清酒メーカーの宣伝マッチです
大関琴桜と書いてあります、優勝したときの写真です
昭和42年大関昇進 48年横綱昇進
横綱で1回優勝しただけで49年引退
優勝5回 大関で4回していますから強い大関の印象
その中の1回の写真ですね
父の祖母の再婚相手、すなわち父の義祖父は慶応生まれ(江戸時代最後の年号)の硬骨漢だったという
その最後も、東京向島の理髪店で散髪中に、スーッと亡くなったそうで、床屋の親父が警察署に届けたという
その一件は、東京中央区役所から取り寄せた除籍謄本に詳しく書いてあった
彼の生国は栃木県の馬頭町と言うところで、今は那珂川町に入っている、そして16歳の時に県をまたいで
茨城県の玉川村、今は常陸大宮市に養子に入った
これがわかったのは、本格的にルーツ調べを始めた今年の夏前だった
さて、今度は今の話だが、いろいろな出来事があって、私の人相も悪くなっていたことに気づき転機一新ということで
「笑う門に福来たる」を掲げて笑顔の毎日を過ごしていたら、数日後に本当に「神様の使者」と言われる「ふくろう」が
我が家の玄関に降り立った一件は、このブログにもかいたばかりだ
だいたい「ふくろうさん」がこのタイミングでやってきたのも奇跡だが、自然界の不苦労を見たのは65年の人生で
初めてでもあった。
それだけでも奇跡だが、昨日急に思い立って「ふくろう信仰」に興味が出てきて、ネットで日本に「ふくろう神社」があるか
調べたんだ、すると少しというか一つだけというか「あった!」
どこだろう? と住所を見てびっくり! どっきり!
それは、参道の石段が中央で、栃木県と茨城県にまたがっているという全国でも珍しい神社だった
そして栃木県側は、那珂川町馬頭町、茨城県側は常陸大宮市だった・・・・・・!
幸福度の物差しは自分中心のものと、他人と比較したものの二つある
毎日、朝早くから深夜まで働くことが、幸せか不幸せか? それはわからない
これだけ働くことで、どんどんお金が貯まることを幸せと思うかもしれないし
お金が貯まっても、家庭を顧みなければ家族との間に亀裂が入って不幸になるかもしれない
だけど不幸にも離婚して、若い魅力的な恋人が出来ればそれも幸せかもしれない
働くことが好きな人なら、こんな労働も幸福だろうし、働きたくないのに親の借金を返すために日夜働くのは不幸だ
比較法だと、今の自分は貧しい日雇いで1ヶ月9万円のワーキングプアだとしたら
常雇用のサラリーマンと比べれば不幸と感じるだろう
だが月給30万円、賞与なしのサラリーマンは、月給40万賞与年160万の地方公務員と比べたら不幸と思うかもしれない
どんなに収入が少なくても、どうやってでも食べていける、最低保障もある、兵役の義務も無い日本と、戦乱明け暮れる国の国民や
毎日、飢え死にの恐怖がある国民、国を捨てて命がけで他国に亡命する国民と比べたら、格段の幸せだ
「金が少ないくらいなんだ!」と大いばりで生きても良いはずだ
だが、同じ国民同士で比べるとやはり不幸だと思う
金があれば幸せなのか、がん患者の大金持ちと、金は無いが健康な人間なら健康な方が幸せだろう
だがこんな「IF?」を並べても意味は無い
いつも言うけれど、不労所得収入のシステムを持ち、大金持ちで健康で、ハンサムで友人が多い男はおそらく世界有数の幸せ者だろう
そんな人間を想像するだけで自分の不幸せを嘆くことになる、だが金はともかく、幸せな家庭を運営できている人もまた幸せ者と言えよう
世の中には小さな灯火の中で、幸せに暮らしている家族は多い、これも日本という国で暮らしているからだと思う
こんな平和な日本をいつまでも維持してほしい。
今年に入って不要品の整理を始めた
今まで50年にわたってため込んだ様々な物を見直しては、捨てることが出来るようになってきた
年の瀬もだんだん近づいて、昨日も普段空けないBOXを開いてみた、そうしたらいろんな物の中から
懐かし古い雑誌が出てきた、それはアメリカ版「PLAYBOY誌」のスペシャル「THE BEST FROM
PLAYBOY」のNUMBER FOUR(第4集) 1970年頃の発刊で1966年以前の雑誌から記事を
選抜した本だ。
この中のお気に入りはマリリンモンローのヌード写真が数枚入っている記事「MM REMEMMBERED」
記事は当然ながら全て英文だから、読めるが意味不明部分が多すぎるし、第一根気が無くなっている、
故に写真だけ楽しむ。
この雑誌は30歳頃に古本屋の販売手伝いをして、そこからお気に入りとして貰ってきたのだった
当時は血気盛んな頃だったから、よりどりみどりでそれっぽい雑誌を貰ってきては読みあさったものだ
マリリンモンローは、アン.マーグレット、ナタリーウッドと共に好きな外人女優
映画はビデオでほとんど見た、「お熱いのがお好き」ではとろけるような甘ったるい声で主題歌を披露
したが、どうやらこれは吹き替えらしいと言うことだ。
グラマー女優、セクシー女優ではジェーン.マンスフィルドやブリジット.バルドーなどが当時いたが
モンローの女性らしい愛らしさと、今流行の天然おばかタレントの走りみたいな魅力は抜群だった
モンロー+シャネルNo5の組み合わせは、きっととろけるような香りだったんだろう・・・よだれ!
私の行きつけのスナックのトイレにはなぜかモンローの写真が貼ってあって、用足ししている客に
ほほえみかけている、マスターの悪趣味だが、まんざらでも無い・・・いつも酔って対面するので
「モンローさん、今晩は」とあいさつをする、しかしその度に思うのは、(モンローはおれのお袋と一緒
位の年齢なんだよなああ)ということ
やはり女優はよれよれ皺だらけで長生きするより、綺麗の絶頂で亡くなる方が永遠の美のままで
オレたちの心に残る、残酷な言い方だがスターはそのくらいの覚悟が必要だ。
伝説になること、それが最高の芸能人の生き方
因みに、このプレイボーイの価格は2ドル50セントと書いてあります
地獄極楽という類いの宗教は信じていない
いつも書くように、「地獄のような苦しみ」や「極楽のような楽しさ」は体験できる
しかし地獄極楽の苦しみ、楽しみと言っては見ても、それは仮にあったならば
「こうだろうという」という自分なりの解釈であって、それを自分なりの苦しみと楽しさに
当てはめただけの空想である。
しかし、信じるものはある、それはいつも書いているとおり魂の存在
魂は漫画に出てくる火の玉ではない、そもそも見えるのでは無く、感じるものである
だから霊感の強い人は特に感じたり、対話したり出来るという
だが対話は怪しい、そもそも魂は人では無い、生命体に入り込む「気」なのだ
「気」が話したり、肉体の滅亡後に特定の人間のまま存在していることは無い
「気」は「気」だから、たしかに「気」はあるのだ、それを感じることが出来る人は居るかもしれない
そして、そんな「気」を様々な形で操る大きな存在はあるだろう、なければ「気」は法則的に
存在することは無いはずだ、そしてそれをキリストやモハメッドや釈迦などの偉大な人間は
遙かに身近に感じて、その偉大な何かを「太陽の神」「神」「宇宙」と名付けたのだろうか。
「念ずれば通じる」のだ、それは「偉大な魂の創造主(単数か複数かは知らない)」に自分の
魂「気」が通じた時だ。
「信じる者は救われる」と同類だ
その偉大な何かを信仰する、あるいは通じるために間に人間を介するのか、己自信で
通じるのかは個人の自由だ、それが本当の宗教(信仰)の自由というものだ
昔から「高島暦」と言っていたが、よくよく表紙を見たら
「神宮運勢暦」というのが正式だった
ともあれ、ここ10年ほど買っていなかったが、年齢の節目の成果
いろいろ迷いが生じるようになって、ここは一つ運勢暦にでもすがろうと思ったわけ
10年以上前は毎年買っていた、結婚式の良い日をお客さんに教えるために
しかし近年、結婚式事情が大変化していらなくなってしまったのだ
「神頼みか」って言う声もあるだろうが、神頼みではなく1年の生き方の柱を知りたい
それが正解かどうかは知らないが、少なくとも迷ったときにはどちらか選ぶ判断基準になる
それだけでも気は楽だ、大概のことは、悩むほどでも無いことが多いのに人間はあれこれと
先の心配ばかりして、あっちだこっちだ、いややっぱりあっちかも・・・なんて無駄時間を過ごす
それをしないためにも、結論がわかっていた方がらくなのだ
高島暦に限らず、細木?女史の「***人の運勢」というのも随分熟れているようだ
人間に人生の迷い在ればこそ、売れる本なのだ
大概の日本人は神も仏も真剣に信じていないと思う、だけども寺にも行くし、神社にも行く
観光旅行では必ず、神社仏閣が1つや2つコースに入っていて、自分の分だけで無く
お土産にたくさんのお守りを買ってくる
キリスト教徒でも無いのに、チャペル結婚式をしてキリストに結婚の誓いを行う
これは本当に不思議な日本人の特性だ、欧米人のように十字架だけ胸にぶら下げておしまい
とは行かないようだ
もっともキリスト教は、唯一神だが、日本には808万の神が居るわけだから、お守りの5つや10では
少ないくらいだ、おまけに福の神や金運の神、更には招き猫などの像まで
イザベラバードも新潟や福島、東北を旅して、どんな家にも大黒様のお札や偶像があると驚いている
信仰活動はしないけれど、困ったときにはすがりつく、私も含めて日本人の信仰はまことに不思議である