神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

1日目 和歌山~南紀白浜温泉へ

2018年12月28日 20時57分11秒 | 旅行 関西・近畿

今朝5時半に外に出たが幸いにも積雪ゼロ、けれど強い北風が吹いていた

今は七時半、道路が白くなった、まだ積雪とまでは行かないが大雪警報発令、少しは

積もりそうだ

 

この旅は急に思い立った旅だった

道後温泉から高知、広島あたりへ行こうと考えて距離や所要時間を調べたら、全く無理なことがわかった

こちらは24日25日と氷水の中を歩いているような寒さで、とにかく暖かいところへ行きたかった

四国がダメなら、紀州和歌山、ミカン繋がりで考えた結果だった

25日に急遽ネットで一人を受け入れてくれる宿を探し予約、28日の宿は未定だった

26日にコースをあれこれ考えて二日目は奈良に泊まるのが良いと考え、奈良のホテルを予約した

 

さて出発の27日、朝から冷たい雨が降っている六時半出発の予定が5時前に起きたので5時45分に早まった

天気はパッとしないが透明感がある、剣もくっきりと見えている

北陸道を南西へ一気に下っていく、ずっと灰色の曇り空、滋賀県あたりからようやく青空が見えてきた

瀬田から京滋バイパスに入り、第二京阪ー阪神高速ー阪和道と乗り継いで和歌山に到着、途中「岸和田P」で

昼食、ちゃんぽんを食べた。 もう外は温かで、少し散歩もした

和歌山市に下りるのは始めて、御三家の和歌山城を見たかったのでここで下りたのだった

私は城見学で一番興味があるのが石垣の形と、遺構の大きさだ。

天守閣とかは国宝級以外はほとんど戦後に再建されたものだから、それほど興味は無い

あとは城内展示のの武具刀槍を見るのが好きだ、和歌山城は石垣の遺構がかなり広範囲に残っていて規模の

大きさを伺うことができる、西の丸庭園へ下っていく途中の石垣は平たくて小さな石がたくさん積み重なっていて

こんなタイプの石垣は見たことが無い、結構興味深かった

天守閣

二の門櫓と二の門

かなりやばそうな石積み

 

立派な乾櫓

城の三隅に櫓がある、紀ノ川が海に

天守閣、その隣には小天守もあるが見えない

地下の調査現場

二の丸へ下る途中の石垣、苔むして年代を感じる、石積みが特異で面白い

 

西の丸の庭園はわりと小ぶりであるが高低差があり池もあるので、けっこう面白い

およそ2時間を和歌山城で過ごした、やはりこうした見学は一人旅に限る

  

城の周辺には広がりを感じる石垣がずっと続いている

それにしても持参したオーバーコートを着る必要がないほど暖かい、気温は15度近い、家を出たときは3度ほどだったのに

さあ再出発だ、和歌山インターへ戻るにはまた渋滞にはまるので、海岸線に近い道路を次のインターまで行くことに

結局、都市はどこもそうだが、道路を変えてみても信号だらけでのろのろ運転である事はかわらない

紀三井寺前を通過したが、時間が無いので拝観はできないで先を急ぐ、ようやく阪和道にのったが、やはり土地勘が無い

すぐ近くと思った白浜も、まだ80kmも先だ、一時間近くかかる

余裕を持ったつもりでも結局、予定通りの5時少し前の到着だった、カーナビに遊ばれた感もあるが、阪和道終点の

南紀田辺インターの先に紀勢道が開通していて、ナビは白浜インターまで誘導、これが行きすぎで予定外の時間が

かかってしまった

温泉は塩水温泉で塩っぱい、二階の屋根付き露天風呂は広くて、眼下には白浜海岸の白い砂浜が見える

波の音も聞こえるのどかな温泉、気温も18度に達し、「これが温暖の地というのか」思わず独り言

夕食には追加で今が旬という「クエの唐揚げ」「クエの土瓶蒸し」を追加、生ビール一杯のあと、地酒冷酒二種類を

正一合ずつ飲んだ、大阪出身という仲居さん(今はそうは言わないのだろうけど)の若いおねええちゃんと

短い会話をするくらいで、話し相手も無く酒が友だち、それも一人旅の良さかも知れない

昔の温泉場なら仲居さんがお客を退屈させなかったけど、今は逆に客が気を遣う時代になった

部屋に戻ったら、そのまま二時間ほど寝てしまい、目が覚めてもう一度風呂へ行き、マッサージを頼もうと思ったら

もう23時近かったので諦めて寝た、今日の走行距離はちょうど600kmだった。

レストランからホテル

朝食はご馳走

部屋からの景色

 

 

 

 

 

    

 

 

 


18時50分帰ってきました

2018年12月27日 20時47分10秒 | 地理

3日間の一人旅は私の人生の中で多分・・・多分ですが思い出になると思う

一人だと自然話し相手も無く無口になってしまうわけで、その間はずっといろんな事を考えている

でも今回は仏像をたくさん見たせいか、あまり雑事を考えなかったようだ

3日間一人だけで約1300kmを走り続け、そういえばずっとラジオを聴いていた

そして観光をして、観光と言うより、城と寺院見て歩きだったけど、やっぱり一人歩き

侘しいけれど、寂しくは無かった旅 ポイントポイントで人の親切に触れたりもした

またきっと一人旅すると思う

明日から旅行記を書きますね

 

帰ってみたら仕事が山のように待っている、12月31日午後6時までホッとする暇が無い

もう現実に戻っている・・・・・まだまだ楽隠居させてもらえそうも無い

 


ちょっと息抜き 二度目の一人旅

2018年12月24日 11時15分03秒 | ライフスタイル

11月末から思うところあって調理場の作業システム改革を始めたが

まずは自分自身がお手本を見せなければ誰もついてこない

老体に鞭打ち20年前の記憶を蘇らせながら、失敗の連続を修正しつつ、次第に

感を取り戻し始めた

面白いもので、やる気になって動いた途端、仕事が増え始めて、この一ヶ月というもの

働きづめに働いた、その間にも忘年会参加などもあって忙しい一ヶ月だった

ここにきて突然26日、27日の2日間暇ができた、すると虫が起きてきた

急遽ゆうべ考えた、行きたいところは高知、松山、道後温泉、広島、岡山だった瀬戸内海へ

行きたい、それをずっと思っていた

ドラプラで調べてみたら道後温泉まで850km、とても二泊三日ではこのコースは無理だ

あきらめも早い

暖かくて、言ったことが無いのは・・・・和歌山、こっちなら550km位、温泉必須だから

白浜かな・・・父母が20数年前行って、そこで母が倒れて入院一ヶ月、超多忙だった父が

思いがけない骨休み出来た「いわくつき」の温泉、早速ネットでダイレクト予約した

和歌山から、奈良斑鳩の里、奈良で二泊目、最終日は久々に大原三千院を訪ねて、その先から

琵琶湖に下り、南近江の野洲へ出て安土城趾を訪ねてみようか

朝日山の純米吟醸を飲みながら、そんな計画を深夜までたててみた、計画中が一番楽しい時間

明日は6時出発予定、さて何が待っているかな。

 

童心に帰って

 

 


今年も元気だった「おばちゃんパワー」

2018年12月23日 17時20分41秒 | 知人・友人

今年もこのメンバーで一年間に何回飲んだろうか?

秋には1泊二日の福島旅行、そして「はばきぬぎ」兼忘年会で大騒ぎ、もう来年の旅行計画話しで

盛り上がっている

完全な女性上位集団で男どもは言われるがママに動くだけ、この凄いパワーは勿論「寅年」パワー

スナックもあっという間に制圧してライブ劇場に早変わり、周囲の少数客も巻き込んで騒ぎまくる

店のマスターも時々ジュエット相手にカウンターから引っ張り出される始末

間もなく70歳と言うに、これはどうしたことか!

最近は23時前には帰りましょうと声を掛け合っているが、調子に乗ると時間を忘れる者ばかり

こんなノリの同級生グループってあるのでしょうか???

 

 

 


ただいま人生航路調整中

2018年12月22日 10時29分13秒 | 心 思い

一から出直しの気分で毎日働いていますが夢中でやっているうちに、もう一ヶ月になりそう

まったく日の過ぎ方は早くて、ただただ体を酷使して動いている以外頭脳労働には手がついていない

ただわかってきたことは教育に時間をかけるより、組織作りの方が急務だということ

こうして店の核心部で働いていると、様々な欠点や弱みが見えてきて、デスクワークでは見えない部分が

はっきりしてくる

人生、まずは生活基盤作り、そのための組織強化、流れるような作業システム、私が居なくても流れが変わらない

屈強なシステム

そうなればしめたもので、ようやく安定後悔ができるというもの

現実は燃料不足、乗組員不足、経験不足の若手と、経験豊かだが老いて思い通りに動かない老水夫

古くさくて故障が多い船、目的地が定まらぬ航海士、気まぐれな船長

現実打破! 時には気分転換も必要」と思っている・・・・動こう

 

 

 


一年で一番夜が長い日

2018年12月21日 08時33分00秒 | 季節と自然/花

今日は一日晴れそうだ

去年の大雪とは全く違う年の暮れ、朝起きても寒さをあまり感じない

体調がいいせいなのか、気持ちが燃え上がっているせいなのか

午前5時半に出会う人たちは、8時に出会う人たちとは違った表情

プロだね」って顔の人たちばかり

 

午前5時半、まだ暗い道路で毎日すれ違う同級生

目が不自由な夫を支えて夏も冬も毎朝歩いている、学生時代から常に毅然としていた彼女

初の役所の女性課長にまでなった努力の人、困難を自ら買って出るようなタイプ

誰かに似ていると思ったら、父・・・・・・・いつも冷めている・・・・心のどこかに風が吹いている

私にはわからない・・・・わかる事はできない

 

今、夜の峠を越えようとしている

これから日々雪の世界に向かって行くけれど、昼の長さは6月に向かってどんどん長くなっていく

そんな事を思うだけで何かで来そうな気がしてくる

楽しい 何をしても楽しい そんな世界は自分の心一つでできる

心ほど便利なものはない、何だってできる、出来ない事なんて無い

飛び出そうかな・・・・たった三日でも

毎日が日曜日なんてまだずっと先のこと、一人だけで生きているわけでもないし

せわしい日々の中にホッとできる空間を見つける嬉しさ

そんな貴重な閑、だからその僅かな時間の中の楽しみが嬉しい

 

 

 

 

 

 


なんか元気なんだよな

2018年12月20日 08時42分41秒 | ライフスタイル

先月末から調理場に立って水を得た魚気分だ

やたらテンションが上がって、頭の回転も良くなってきた

さび付いた体に潤滑油が回り始め、動きも数倍になった

朝6時から夜9時までずっと動き回っていても「疲れた」という感覚が無い

一昨日、例のゴルフ会の80代会長諸氏等と忘年会を行って日本酒をガンガンやったので

翌朝は久しぶりに体調が何となくよくない、それは今日も引きずっているけれど次第に良くなってきた

そんな状態で昨日は60人ほどの宴席を、板前とサブの二人を強制的に休ませて、私をメインに

40代後半、60代半ば2人のパート3人だけと、この仕事をやってみた

パートの能力を試すためだったが、さすがに40代は8年、60代は20~30年のキャリアがあるだけに

こともなげに私の補助をして余裕でこの宴席をこなした

「60人くらいでしょ、ぜんぜん大丈夫ですよ、この前は150人でも間に合ったでしょ」などと頼もしい女たちだ

仕事はチームワークだ、不協和音のチームだと何をしてもぎくしゃくで個人プレーがはびこり効率が悪い

気の合っメンバーだと何倍もの力を発揮する

そんなチーム作りが来年の私の最大の課題になる。

 

 


気持ちよい夢

2018年12月19日 08時56分49秒 | 宇宙.神秘

昨夜は夜半まで激しい雷雨がつづいたが、今日は朝から快晴

明るい日差しに包まれている、しかし予報では大雨注意報

能登の上空は濃い灰色の雲で覆われて、あれが上空に来れば雨に変わるのだろう

 

以前も書いたが夢はよく見る、今朝の夢はくっきりと覚えている

なぜだか私は、どこかの料理店の新入りになっていて、年齢も多分20歳くらいなのだろう

30歳くらいの先輩が二人いるが、どちらも愛想が無くて、仕事も心許ない

私は若いのだけれど、経験は現在の自分通りなので、先輩より遥かに仕事ができる

親方が「yottin頼むよ」と言えば、先輩の数倍上手に天ぷらを揚げることができる

そして先輩があまりにも愛想が無いので「先輩、まだ名前をお聞きしていませんが

仕事にも不便なので教えてください」と二人に話しかけた

二人はもごもごと名前を行っているが聞き取れない、この時点で完全に私が二人を支配している

ぼ~っとしていても仕方ないので、外の広い庭の掃除をすることにした

そこは300坪ほどの土の庭で、枯れ葉がたくさん落ちていた、竹の箒でざざと掃除を始めた

大きな松の枝がたくさん落ちていて(これはあとでまとめて、先に枯れ葉掃除だ)

枯れ葉をはいていくときれいになって土が出てきたところに5円玉から500円玉までたくさん

落ちていて、拾う先から新しいのが出てくる

この小銭を拾う夢はよく見るが、そうじをしていて・・は新パターンだ

近くにいた人にも、「パートなんかしているより掃除をした方がお金になるよ」とアドバイス

突然景色が変わって、そこは中央に氷のマウンドがある大きな池(プール?)

何人の人かが、その氷がある池の中に居て、それは温泉に使っているような風景

体が凍えるのでは)と思いながら私も入ってみた、胸のあたりまでの深さで少しも冷たくない

暑くも無い、まさに適温で

「こんな気持ちの良い温泉は初めてだ(いつの間にか温泉と言っている、けれど暖かくは無い)」

何というのか薄いゼリーの中に居るような感覚で、とても心地良いのだ、思い水というか

体にフィットするというか、本当に気持ちよくてリラックス出来た

残念なことに、そこで目が覚めた。 5時半だった「さあてネコにご飯やらなくっちゃ」

 


忠臣蔵

2018年12月17日 08時43分33秒 | 時代検証

昼休み退屈そうなS子を捕まえて

「12月14日は何の日だ?」「???」

「日本史に残る記念的日だよ」「???、忠臣蔵ですか? なんですかそれ?」

「ええ~しらんのかい? 大石内蔵助 赤穂浪士 吉良上野介なら聞いたことあるだろう?」

「ええぇ~!??? なんですか? 教えてください」

「君たちの世代は赤穂浪士わからないんだ!!、へえ~・?時代なのかね?」

「いえ、私が知らないだけだと思います」

そこへS子の4個先輩のU子がきたので

「12月14日は何の日だ?」「???」

「またあ~~私と同じ質問ですかぁ!」と最初のS子

「忠臣蔵の日だよ」「忠臣蔵って何ですか? 観光地ですか?」U子もS子と同じ反応

「まあ観光地と無関係じゃ無いけど、やっぱそういう世代なんだね君たち世代は」

「江戸時代の仇討ちの話しだよ」「仇討ちって???」

「仇討ち・・・わからない?」「????」

「例えばね、U子が誰かに殴られたとするだろ、そして彼氏に『いたいよお!』って言ったら

彼氏が『誰にやられた』って聞いて、『誰々』って言って、彼氏がそいつのことをやっつけるだろ

それが仇討ちだよ」 「ああ~なるほど」

一応、松の廊下までストーリーを話して見たけど、やめちゃいました、お互い時間の無駄だから

 


健康生活

2018年12月15日 09時54分16秒 | 病気と健康

11月から夜は自宅で寝るようになった、父の食事作りを始めてから約一年半

ようやく元の正常な暮らしを取り戻しつつある

それにしても精神的に大きな転換期となったこの二年間だった

両親が一緒に暮らしていた父の家、二人ともほぼベッド生活で、母は歩けず

父は寝たり起きたりだが自炊もしていた、けれど母が時折「き~!」という声を

出すようになり、父が苛立ち始め、母は幸いなことに優良施設に入ることができた

同時に父の衰弱が目立つようになり、何度か入退院のすえ「とろみ食事」を病院から

指示されて私の父の看護と食事作りが始まった

ワンタイムの認知が少しずつ現れるようになり、夜眠られない日もたまにあった

昨年8月16日母は転院した12時間後、老衰で92年の生涯を閉じ、父の認知は進んだ

そして半年後の2月22日に緊急入院3日目に母のあとを追うように肺炎で亡くなった

93歳だった

私はそんな環境の中で反発するように喪中にもかかわらずへそ曲がりな行動をあえて

行うようになり、それを見てのことなのか、あんなに可愛がっていたP子ネコが6月突然

失踪して、それっきり帰ってこなくなった、まだ3歳になったばかり

その後、P子を探す副産物で、8月カートネコの風前の灯火の命を助けることになった

まさにP子の失踪によって、カートが救われたのだ

私はP子が「家に帰って」というメッセージを残したのではという思いが日増しに強くなってきた

そして今はどんなに遅くなっても、自宅へ帰って寝起きしている

同時に11月末から今まで一日15分しかいなかった板場に、週末は12時間程度立っている

逆に12時間いた事務室には平日で1時間、繁忙日は30分しかいない

来客も最近は察して、金融関係者でも必要最少時間で切り上げるようになったし、アポなし

業者は極力会わないことにしている

日常生活、仕事のパターンが大きく変化した、家で寝るようになってから運気が上昇しているのが

よくわかる、実感出来るのだ

そしてディスクワーク95%から現場の立ち仕事になって三週間、体重2kg、ウェスト3cm、諸脂肪率

15%減と体調もばんばん、何よりも板場に10時間経ちっぱなしで作業続けても少しも疲れない

むしろ40.50代の料理人たちが私より少ない勤務時間なのに「腰が痛い」「風邪ひいた」と泣き言を

言っている

今の私は精神的に凄く充実している、もっとも良かった40代後半から50代後半に匹敵するやる気パワーが

体の芯でどんどんたまりだしている

来年は何かできそう、大きな成果が待っていそうなそんな予感がある。

最近の朝食

群馬の「ちぢれホウレン草」

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