神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

「発達障害」の勉強

2022年04月13日 22時33分52秒 | うつ病.障碍
今日は久しぶりの曇りで気温も一気に下がった、でも南気で生ぬるい。
4時から隣町の公民館で3回目のワクチン接種、30分ごとに60人合計360人が今日の定員だった。
私は定時の15分前に行ったが60人中の52番目だった、この町の住人は早い。
わざわざ15kmも離れた町まで来たのは、ここだけファイザーだからだ、我が町は全てエテルナ、ところが息子が今日、月末接種を申し込んだらファイザーだった、新たにファイザーが我が町にも再送されてきたようだ。

せっかく、この町まで来たのだから魚屋仲間のA社長に会いたいと思っていたが、多分仕事中だろうからと帰ろうとした。 駐車場から表通りに出て一旦停止した、すると迎え側の道に大きな黒犬を連れた人が・・Aさん?
そう! 奇跡!Aさんだったよ びっくり、こういうことが時々私にはおこる。
Aさんもびっくり! 大きな犬はうなり声を上げて私を威嚇してAさんに叱られても私に大きな顔を近づけてきた、その時わかった、(こいつは大丈夫だ)両前足を上げて私のお腹あたりに飛びついた、目が笑っている
私はけっこう犬には好かれるタイプ、自分でも飼っているから犬は好きだ、こっちが好きだと犬も私を好きになる。

夜は副作用も無いのでB女史の「発達障害」の講演を聞きに行った。
講演会と行っても今年退会したボランティア団体の女子部員8名と講師Bさんだけの少数だ。 すなわち女性の中に私だけが紛れ込んでいる
知的障害はよくわかっているが、発達障害は理解出来ていないので興味があった。
発達障害は大きく三つに分類出来る、そしてその三つは一部が重なり合っても居るパターンがある。
「自閉症スペクトラム症(ASD)」「注意欠如.多動症(ADHD)」「学習障害(LD)」
講師の息子さんがASDのうちのアスペルガー症候群なのだそうだ
知的障碍者との違いは、学習(勉強)能力は一般健常者とかわりが無いということ、見た目も健常者とほとんど違和感がないということ。

ところが行動や社会性では問題が出てくる
言われたことは言われたとおりにする、例えば「ここの薪を庭に運んで」と言うと、ここに100本くらいある薪の中から1本だけ持って行って置いてきておしまい。
100本全て運ばせたければ「ここにある薪が全部なくなるまで庭に運んで」と言わなければならない。
その他にも「異常なほどのこだわり」「興味の範囲が狭く大きな中の一点に限られる」「時間や数字に几帳面なほど正確」など様々な得意症状がある。
更に「相手の気持ちや感情を察することが出来ない」「突発的な事や、変化への対応が出来ない」「感覚過敏」など特性もある。

知的障害、精神障害なども同様だが、こうした独り立ちが難しい子供たちが将来社会の中で受け容れられるかが親の最大の心配事なのだ。
親は老いて、やがて子供を残して亡くなる、そのとき社会はどのようにこの子供たちに接するのだろうか?
優しい社会、見守り育てる社会の実現を目指しています。





鬱病なおった

2017年11月04日 08時11分09秒 | うつ病.障碍

過去に2人鬱病の人と接点があった

一人は30代の板前さんWくん、年上の奥さんと子供二人

もう一人は21歳の独身女性Kちゃん

Wくんは快活なスポーツマンで、高校時代には母校の長距離走の記録保持者だったとか

バック転なんか簡単にやってしまうし、性格も温和でみんなに好かれている

仕事は几帳面で、みんな帰ったあと夜の10時でも11時でもノートに仕入れ先からの

納品明細をすべて書き写さなければ気が済まない

これがちょっと伏線的な性格だったのかなあ

それは突然やってきた

朝 彼は「怖い怖い」と青ざめて震えていた あの活発で快活な彼が

私は訳がわからず「しっかりしろ」としか言えなかった

見えない者が、彼だけに見えるようになって、それは好ましくないものばかりで

とうとう引きこもりになって、仕事も長期休職

どういうわけか、私にだけは心を開いていて、いろいろ話してくれた

彼がこうなったのには原因があったのだ

真面目に5年間勤めた料理店、そこの料理長だったのだが、新たに出来る町営の温泉旅館から

引き抜きの声がかかったのだ

彼にとっては問題外の出来事で、彼だけなら簡単に断るだけのことだったのだ

ところが、話しを持ってきたのは、気が小さいくそまじめな父親だった

温泉旅館を建設した会社の土木作業員で、そこの社長から「息子を旅館の料理長に誘ってくれ」

と井合われたのだった、親父にしてみれば業務命令以外の何物でも無い

しかも町営だからバックには町長もいる、必死に息子を説得しようとした

彼は今の店が大好きだった、しかし親孝行な彼は父の立場も考える

板挟みになって、とうとう鬱になってしまった、仕事も辞めた、ますます妄想はひどくなり

彼が「精神病院を見にいくのでyottinさん、一緒に行ってほしい」と言ってきた

60km離れた精神病院へ彼を乗せて行ってきた、始めて入る精神病棟

庭は明るく落ち着いていて、軽度の患者が散歩したり、ベンチに座っている

だが病室へは2重扉、エレベーターに入るように(スペースも車いすが入る程度)入ると

ドアを締めて施錠、反対側のドア鍵を開けて入室、出ると施錠と二重ロック

刑務所のような厳重さ(柏崎刈羽原発もそうだった)

中は小学校並みの賑やかさで、部屋はオープンスペースと数人での居室があり

うろうろと歩き回る人、テレビを見ている人、座っている人、奇声を上げている人様々

とにかく落ち着かない賑やかなスペースだ

彼は体験入棟だったので、落ち込みと妄想以外は正常故、一週間で音を上げて出てきた

それから10年ほど、家に閉じこもっていたらしい・・・・ところが治ったとの報せが

実に単純なことで彼は復帰したのだった、それは突然二と言うことで無く、ゆっくりだが

確実に社会復帰を続けている

彼の話を聞いた小さな建設会社の社長が、「俺のところに連れてこい」と言って

土木工事の穴掘りなどの力仕事をさせたというのだ、Wくんは運動神経は良いし

若いから力もある、誰と話すことも無く唯一人、黙々と穴を掘る、穴を埋める

板前仕事の繊細でデリケート、しかも連携が無いと出来ないし、時間との勝負

そんな全てが無縁の土木作業は彼に安らぎを与えたのだろう

人間との関わりが怖いと言っていたWくん、この仕事が合っていたようだ

次第に心が落ち着き、今は親戚の法要などの行事などにも出席できるまで回復した

人は最後は自然相手、自然との会話が人の本質なんだなと思った

 

Kちゃんは、子供の時から精神的に脆い子だったようだ

165cmを超える長身で手足長く、色白目がぱっちりの美少女だった

鬱病とひとくくりに書いたが、Kちゃんは鬱もあるだろうけど、人とうまく接することができなかったり

自閉的な部分もあるし、今はこういったことが細かく分類されて、**症候群とかいわれる

彼女もそんな症状を併せ持った子だった

最後は家に引きこもりになって、しかも起き上がることが出来ないほど精神的にも肉体的にも

衰弱してしまう。

彼女もWくん同様、なんども私に相談に来た、そのつど優しくいろいろ言い含めるけれど

一般論を言うだけで、精神科医でも無い私が彼女を立ち直らせることは不可能だった

年賀状にほのぼのしたことを書いて送ったときは、メールが来て「年賀状を見て、泣きっぱなし

でした」と書いてあった

だがKちゃんも、今は元気に仕事をしている。 スーパーの生鮮で商品を並べる仕事だ

早朝から三時間ほどのパートタイマー、これも野菜相手で人間との関わりは少ない

これがきっと気持ち的に楽なのだろう

昨日の夕方、買い物に行ったら居た、近づいて来てマスクの下で目が笑っている

「この時間もいるのか? もしかしてフルタイムになった?」

Kちゃんは大きくうなづいて「はい!」と言った

私も「よかったな、頑張るんだよ!」と言った

Kちゃんも30を超えたかな、回復まで長い時間がかかったね

 

 

 

 

 


心が病気?

2016年04月10日 00時10分07秒 | うつ病.障碍

どうしたんだろうかね?

どこで道を間違えたんだろうか

「間違えちゃいませんよ この道があんたの道」

だけどね おれにだって理想はあったんだ

世の中にゃ 一分の隙も無い輝いた人生をおくってる人がたんといる

そんな生き方がして見たかったけど

「一分の隙も無い人? そんなのありゃしないよ 見間違いだね

あんたの気持ちで人を量ったって 見込み違いさ」

なんで?

「そんな小さな物差しじゃ 全てを量れるわけがないってことさ

30cmの物差しで あそこの山の高さをはかれるかい?」

そんなのは見りゃわかるさ 量る必要なんかない

「そうだろ これがおまえさんの生き方 考え方なのさ

結局アバウト 適当 そんな尺度で全てを知った気になってる

あんたが言ってた『隙の無い人』がさ『毎日不安の連続』だってさ」

・・・・・

「あんたはいつも主観的に見て決めつける癖がある コンプレックスがある

持つ必要のないものをたくさん持って その重みに潰されそうになっている

すべてがあんたの心が生み出した不安」

強がりと不安と絶望感の毎日を楽しんでる・・・

「ふりだけ」

・・・・・・落ち込んでる

「春だからさ 夏になれば心よりも『暑い暑い』の毎日で忘れてしまうさ」

楽しみさえ忘れてしまうかも

「病気を楽しみたまえ」


多重人格

2015年09月09日 18時48分11秒 | うつ病.障碍

ネットニュースを見たら、「多重人格者」がおこした犯罪について出ていた

正確に言えば、多重人格を持つ人の中に住む一人がおこした犯罪

なかなか面倒でわかりづらい表現になる

もう30年くらい前だかに、三田佳子さんが主演のドラマで始めて知った

多重人格者

それから興味をもって、外国での実例の本を何冊か読んだ

三田さんのドラマは、あまり覚えていないが人格数はそんなに多くなかった

と思う、だが本で読んだものでは一人の体の中に数百人も人格が

あった例もあるらしい

私にも、パターンで言えば、10位の感情というか対人パターンはある

だけど、それは今日はテンション高いとか、落ち込んでるとか

強気、弱気など誰にでもある感情の浮き沈みだ

だが多重人格は、みんなそれぞれの固有の名を持ち、固有の性格を持つ

 

主格は生まれて以来の自分である、それがある日突然

別の固有の人格Bが自分に成り代わっている時間が発生する

その間、自分は失われる、Bが何をしているかなどはわからない

そのBがおとなしい性格であるなら問題は小さい(本人には大問題)

Bが攻撃的だったり、犯罪者的ならたいへんだ

逮捕されるのはBだが、留置所の中で自分が再び戻ったとき

どうして留置所に入っているのか、まったく理解できないだろう

これがもっと多くの個体の人格を持っている場合は複雑だ

出てくる時間の長さも、順序も、年齢も、性別もみんな違う

24時間を本来の「自分の体」をどの個体がどれだけ占有するかと

言うことになる、場合によっては本来の自分が消される恐れもある

それぞれの個体は、同時にに現れることは出来ないが

中には個体が、別の個体を認識している場合がある

そしてライバル視したり、敵対視したり、尊敬したり、助け合ったりする

こんなことがあるのだろうか

自分という体の中で

助け合うという現象は興味がある

助け合って共用する体を守るなんて・・・不思議だ

泣き虫のいじめられっ子である「本来の自分」を守る人格が

現れたり、いじめられっ子の自分に代わって攻撃的な人格が

現れる場合もあるという。

今回のニュース例は、「本来の自分」が失われているとき

現れた悪意の別の個体が犯罪を犯したのでは無いかという疑い

それで精神鑑定ということなのだろう

 

何ヶ月か前にも洋画であった

警官だったろうか、シャイで真面目な男の中に暴力的な別人格が現れ

恋人?の女性をからめての逃亡アクション

あれも多重ならぬ二重人格者のコメディだった

 

 

 


二重人格

2015年07月03日 17時31分09秒 | うつ病.障碍

実に久し振りに、午後5時からビールを家で飲んでいる

まだ明るい外を見ながら

なぜだかリラックスした気分

ここ数ヶ月はリラックスの仕方を忘れていた

そんな時があるんだ

 

いつも頭の中の深いところに

キーロック

焦ってもだめ  考えてもダメ

 

本当は知っていた 酒が解決するんだと

だけど・・・「それはダメだ」と

そんな自分も同居している

「負けるもんか!」って言ったのは誰?

どっちの自分?

 

 

 


施設の仲間のお葬式

2015年01月14日 16時54分27秒 | うつ病.障碍

毎年20回は参列する葬儀

今日は今年初めて

いつ行っても不思議な緊張感

今日は家族に次ぐお焼香を言われて戸惑ったが

会の会長としての参列

「彼女の大好物」だって

友達が毛糸を編んで作ったカレーうどんを

感謝の言葉を書いた画用紙に貼りつけて

おなかの上に置いた

仏様はまるでお花畑にいるように

すっぽり色とりどりの花に埋もれて

・・・こんな時代で幸せだね

赤い口紅をひいてもらって とてもきれいだよ

「笑ってるみたい」って友達が言った

ほんとうに微笑んでいるように見える

一番の親友が頬を手で揺らして声をかけている

「もう会えない」

霊柩車を見送りながら ぽつりと言ったよ


「社会福祉」なんて段階は過ぎた、現実を見よ

2014年04月22日 22時41分53秒 | うつ病.障碍

030

日曜日に障碍入所施設の職員と保護者の会合に参加してきた
会合の後、新しいコミュニケーション手段として食事会を開催
その後、自己紹介ということで一人一人が発言したが、単なる
名前だけの紹介では無く、個々が持つ悩みや障碍者との関係
様々な履歴も交えて話すように仕向けたので、より深い場面になった

障害にも「精神障害」「身体障害」「知的障害」があるが、これに
「老人介護」も加えれば我が国のかなりの人が何らかの介護に
関わっていることになるのでは無いだろうか。

先日、保護者の一人が高齢でお亡くなりになり葬式に参列してきたが
彼女の人生を推して考えれば、まさに苦労と自己批判の連続だった
のでは無いかと思う、それは意見交換でも誰もが語りうなずいた事
なのだった、そして立ちはだかる介護者の高齢化と後継者不足
それだからこそ施設に依存して、どうやら一縷の希望を見いだしたのだが
そこにたどり着けず自宅待機する人は、どの症状でも甚だしく多い
これから数十年続く超高齢者社会、われわれ団塊世代が最もリアルに
体験してゆくこの厳しい残された人生
このまま80歳、90歳になって動けなくなったとき、どんな状況が待っているのか
入所する介護施設もなく、僅かな年金でお金も続かず、介護してくれる子供も無く、
やがて死んで入った墓を守る身内も無い
政治家には、いきおい前向きばかりで無く、治療的な国家100年の計も練って
いただかなければならない、「今しか無い」後手に回れば国家の沈没が待っている。