今日のティクアウト作業一人でも1時間で終わる
役所に提出する申請書を30分で終わらせたら、もう何もない
知人の母親が亡くなって明日、明後日の仕事をいただいたので
2日間は仕事が出来る
葬儀もすっかり様子が変わり、自宅葬、家族葬が多い
セレモニーでの大人数の葬儀もかなり減ったようだ
飛ぶ鳥落とす勢いのセレモニーにもとんだ落とし穴が待っていた
葬儀に限らず、我が家の宴席にしても今までの半分以下の予算でも
出来ることがわかって、今後のスタイルとして定着すれば葬儀や宴会の
スタイルも変わるだろう
必要と思っていたものが必要で無いとわかれば市場は縮小していく
葬儀は再び、お寺や自宅で行うようになり町の葬儀屋が息を
吹き返す
セレモニーでの葬儀が主流になったのには二つ理由がある
1つは、お寺の怠慢、檀家の上で安心して、夏暑く、冬寒い御堂で
硬い木の床に正座させての葬儀
学校で体育座りした世代に正座を強いる、いい加減いやになった
所に冷暖房完備、いす式、送迎バス、至れり尽くせりのセレモニー
登場! 瞬く間にそっちに流れた。 今の世代の檀家衆はドライ世代だ
便利な方に流れる、お坊さんはセレモニー通いのスタイルに
2つは、大家族制の崩壊だ、今や結婚しても両親と同居する孝行息子は
死語に等しい、同じ町にいても新たな家庭を作り、親の家を出る
当然、アパートか小さなお家に住む
襖を取っ払えば「20畳の仏間」なんかあるわけがない、仏壇ないから
広い部屋ないから、そして他人を入れたくないから、自宅葬は
廃れた。便利なセレモニー頼み、金さえ払えば仏様をお風呂にも
入れてくれる。
ところが今度のコロナ騒動で自宅葬がそうとう増えてきた
あのドライ世代も今は60歳前後、仏壇も小座敷もある家に住んでいる
自分が今度は息子に捨てられる年齢になったのだ、これからの年寄りは
考える、なんせ90まで生かされる時代だ、しかも呆けて何年も生きる
子供が面倒見てくれなければ悲惨な老後になる
家族制度の復活しか安心できる術がない、これからは家族の大切さを
先祖供養を子供に教育する親が増えるのではないだろうか
都会に集中する怖さも知ったはずだ、田舎の良さも知ったはずだ
大学進学が人生の全てでないことも知ったはずだ
経済が狂えば、受験競争も学歴も全てどぶに投げる、失業が現実になった
倒産が現実になった、たった二ヶ月前は一生無事な人生と信じていたのに
そういう意味ではコロナの登場も無意味ではない、浮かれた日本
金権主義の日本、果てしない上昇志向に一矢報いる
数年間はおとなしくなるだろう
戦後の日本と同じように、しかし10年後には復活がはじまった
同じように経済は戻るか? それはない
戦後から人口が50%も増えた昭和と30%以上減る予測の令和では
条件が違う
感染問題は無視できないが、経済問題は心で笑っている
いっそ昭和30年代に戻れば、どれほど人間らしく生きられるのにと