神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 66

2024年04月09日 19時52分57秒 | 甲越軍記
 小田井勢は全ての士が死を決しての突入であったから、これを受ける武田方もまた必死であったが、長躯甲州からの長旅、それに加えて夜の厳しい寒さに少しの睡眠もとらずいたため、小田井の死に物狂いの攻撃に後れを取って、防ぐもままならず追い込まれた。

そのとき、味方の陣中より一人の若侍が兜もつけず、乱れ髪を白布にて引き締め、年頃は未だ十七八歳、三間の長槍を押し立てて「エイ!」と叫んでかけ入り、手先を回し、敵を突き立て縦横無尽の働き
是、春日源五郎なり(後に高坂弾正昌信という)時に十八歳、勇気凛々の若武者
敵の大将小田井又六郎を求め、ひたすら敵陣を駆けると、垣澤森之助と名乗った若侍、これも二十一ニと見受ける、春日源五郎に槍を合わせ、春日は三間槍、垣澤は僅か六尺の槍、春日の手元にくぐって一突きにせんと進むところを、源五郎は長槍をうねらせて面を突けば、槍の重さに下がった槍先はたちまち柿澤の胸板を貫いた。

源五郎は柿澤を貫いたまま抜かんとして、槍を持ち上げると槍はぽきりと折れて柿澤の体は一丈先に投げ出され、源五郎は柿澤の槍を拾い、首をとろうと駆け寄ったところへ、上原源左衛門が駆け寄り源五郎に突きかかるも、たちまち源五郎は、それをも一突きで倒し、なおも五人まで突き倒すは前代未聞の功名である。

これを見て原美濃守「孫にも持つべき者どもが身命を惜しまずの働き、見物していられようか」と傍らの十文字槍を持って敵勢の中に駆け込んで当たるを幸いの働きをした
「続け」と横田備中守、小幡虎盛、同孫次郎、教来石民部、これら一騎当千の豪傑なれば、大将軍の目の前の働きゆえに、あえて首を取らず次々と敵を突き倒し切り伏して、誰も後日の報償など考えもせず、目の前の敵を倒すことのみに集中する。

小田井方は思いがけぬ春日源五郎の突入により潮目が変わり、今は押し返されて城下の町まで追いもどされた
その頃、ようやく夜が明け、辺りが薄明るくなり一条の光の中に小田井又六郎の馬上の姿がひときわ輝いて映り、敵も味方も、その凛々しく神々しい有様に見惚れ、まことに天晴れなる武者ぶりと讃えた。
広瀬郷左衛門、曲淵庄左エ門もまた同じく、それを見て感嘆していたが
曲淵は「又六が武者ぶりかな、真の勇士と見える、あの首われが取るなり」と言えば
広瀬も「又六が乗りたる馬は名馬である、わしはこれを取って乗るべし」
これを聞いて曲淵は「しからば郷左は馬を取れ、儂は首を取る」と言った
回りにいる兵たちは「さても袋の物を探り取るかのように大言壮語を申すとはなんたる狼藉か」と嘲笑う
「ならば見て居るがよい」という間に二人は馬を敵陣向けて走らせた。





映画「PERFECT DAYS」を見た

2024年04月09日 07時12分28秒 | 映画/ドラマ/アニメ
 たいがいの人は、他人の生活など興味が無いし、見てほしいと言っても見たくないはず。
ところが何のへんてつもない平凡なトイレ清掃員の生活を、わざわざお金を払って見に行く
私も、その一人になった。  なぜ行ったのだろうか? それはこの映画の評判が良かったと言うことに尽きる
ごくありふれた生活ドラマだと書いてあった、だから事件だとかが映画の中でおこることは最初から思っていない
そうだ、もう一つは全編にオールデイズナンバーがかかっているという情報
これには少し心が動いたのだった。

田舎で、マニアックな映画を見るのは容易でない、いつも話題作、封切を見に行くのは総合シアターで、そこでは上映予定が無かった
金沢、富山から新潟まで上映館を探してみたら、それなりに4月まで上映している映画館はいくつかあった。
そんな中で気をひいたのは、上越市高田の映画館「高田世界館」
もちろん過去には行ったことがない、なぜここに決めたかというと、この映画館が出来たのが1911年なのだそうで、日本でも最古の映画館の一つらしい
映画もさることながら、映画館そのものを見たいと思ったからだ

さて映画に戻って。 
現役で働いている人も、現役を退いた人も、ほぼ毎日同じパターンで生活している人が大部分だろう、そして休日だけが特別な日
それを平凡と言う、だからこの映画に平凡以外を求めてはいけない
そんなワンパターンの生活の中に、時々他人が紛れ込んでくる、時には巻き込まれてしまう
それが若い女性で、昭和の遺物のカセットのオールデイズナンバーを「良い歌ね」とか「私、これ好き」などとささやかれたら、自分が言われた気になって無口な男でも、ついつい頬が緩んでしまう、それが男という者だ。
ましてや感謝のほっぺにちゅ!でもされたら舞い上がって人生を狂わせてしまうかもしれない、そうなればこのドラマはテーマを失って終わってしまう。

幸いに主人公は、そんな風にはならず、近くのスナックのママにほんのり好意をもって週一だけ通う
こんなささやかな楽しみが、単調な暮らしの男にもいくつかある
写真、木、誰かがトイレに置いていった手書きの○×ゲーム、朝一の天気、モーニングコーヒー、まだまだ探せばいっぱいある
それを自分でも、「自分の生活の中で探してみよう」と思わせてくれただけでも、この映画を見た価値はあった
あるいはブログの中で、それを既に書いているのかもしれない。

男の決まった生活サイクルの中で、令和の若者と、昭和中期若者だったおっさんとの興味深いズレが描かれている
50年の過去を持つ昭和男は同じ日常を淡々とこなし、50年の未来を持つ平成の若者の、まだ確立されていない不安定な毎日
昭和人は若い時から日常サイクルを持っていた、しかし平成人の若者の数十%は浮草のような不安定な一日を送っている
それでも1時間後が見えない外国の戦下の人たちよりは遥かに平和に生きているのだ

そして昭和が骨董価値で売れる時代が来た、だが昭和人は金よりも物を大事にして手放さない
手放せば二度と戻ってこない、売って得た金は三日と持たずに無くなる
昭和人はそれをいやと言うほど経験してきた、失ったものが戻ってこない虚しさ
金より物が大事だと知っている昭和人のブルース。
それが物だけでなく、信用や友情、過去などの見えない価値観にも言える
だから、昭和人は、それを無くさないように生きている、それが滑稽で不思議に見える現代の若者
でもこの映画では昭和人のそんなミステリアスな部分に引かれる女性も登場した
俺たちの時代は「教える」ではなく「盗んで覚えろ」だった、それはこの映画の若い女性も、そんな昭和人を見て何かを感じる
男が無口なのには様々な理由がある、だからこそ言葉が通じない若者との交流では語るより「感じろ」なのかもしれない

何に一番感動したかというと姪が家出して主人公を頼ってきて、一緒にトイレ掃除をしたシーン
令和の時代、何もかもが揃っている だが何もかもが手に入るかというと、多くの人は手に入れることができない
「金が無ければ恋もできないのかよ」と現代の若者は嘆く
昭和人は金では手に入らない、あるいは、金が無くても手に入る「実体のない幸せ」を自分の中に持っている
それを持たない令和の若者には不思議なおじさんに見えるのかもしれない

それと、いい加減で何の夢も持たないように見える若い同僚が、障害を持った青年に自然体で接している優しさ、昭和人には理解しがたい若者の生態、これは昭和人には少ない感情
この映画を見る多くは昭和を生きた人たちのようだが、平成生まれの人たちにこそ見てもらいたい映画だ
私ももう一度見れば、より深く、この映画を理解できると思う。

今日、私と一緒に見ていた観客は20人ほどで、ほとんどがシニアの男女だった
そしてスタッフとの会話から常連の映画ファンらしい
感動したのは、映画のエンドロールの辺りで2度拍手があったこと

この映画館は、新潟県で起きた2つの地震で営業をやめるまで追い込まれたらしい、それを市民有志が募金したりして、今は映画好きの市民NPOが運営していると言う。
それで、もぎりは若いお姉さんだったし、館内にも一人、お姉さんが同席していた、運営スタッフなんだろう。
10時上映の25分前に行ったら、もぎりのお姉さんが「今、暖房を入れたばかりなので、まだ少し寒いかもしれません」と申し訳なさそうに言った
それがローカルで、ビッグシアターには無い景色で嬉しくなった

館内も予約すれば見学できるらしい、ネットで見たら二階席、三階席もあるのかな? オペラ劇場みたいな感じか(オペラは見たことないけど)
登録有形文化財、近代化産業遺産に登録されているそうです。

さすがに古い映画館で、椅子も昔のあれ、座り心地は良くなかったので、別の椅子に座ったら、そこは良かった
マルチシアターとはまるっきし違う映画構成で、今度は電車で見に来て、一日この町を歩き回ろうかと考えている。


チケット(そのまま)