神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

10数年ぶりの日光② 東照宮見学

2023年09月05日 14時10分30秒 | 旅行 関東.東海
前夜2回、風呂に入り、朝は5時起きで風呂に入った
朝食はこれだけで一宴会できるほどのボリュームで、お腹いっぱい
おかずが多すぎて、ご飯をお代わりした

メインの2段重ね



卵焼き、納豆、のり、明太子、湯豆腐、煮物
右のほう六鍋は過熱で豆腐が出来る、左は鮭の焼き物を温める
ごはん、みそ汁、デザート
おかずが多いので、ご飯を2杯食べて満腹。

温めて作る豆腐


車はホテルに置いたまま徒歩で東照宮へ歩いて向かう
少し坂はあるが、苦になるほどではない。
日曜でもあり、観光客の多いこと、外国人も多い
一番目立つのは小学生の団体、修学旅行なのかかなりの学校が来ているようだ

陽明門





「見ざる 言わざる 聞かざる」他にも数枚猿の彫り物があるが一連の寓話だそうだ。
 

本殿に参拝して兄弟たちはさらに200数段の段を上って奥社の拝殿まで参拝した。
私は暑さと、足の痛みと、疲労の三重苦なので行かないで、東照宮宝物館と輪王寺宝物館を1時間かけて見学していた。

東照宮に献上された名刀や徳川家康が愛用した家具、調度品、籠や鎧兜、様々な書状もあって1時間でも見きれないが、小学生の団体が「キャッキャッ」と入ってきて、鑑賞気分は吹っ飛んだ。
特別関心がある子以外には場違いな場所である、学校も東照宮の概略説明の為なら、事前に学校で予備知識をつけておくなどの方法をとる。
あるいは静かに鑑賞するように指導してから入館させるべきだと思った。

江戸時代に火事で焼けた所蔵の名刀百数十振り、それを昭和の名工が手分けして5振りだか再生させたものが展示されていた。
最初は知らずに見ていて、変わった波紋や砂流しらしき模様を?と見ていたが
火事で焼けてできたものだと、説明を見てから気づいた。
しかし、焼けてさび付いた刀をよくここまで立派に再生するものだと感心して見ていた。

帰りは沼田までの街道を、いろは坂、金精峠経由で走った
途中、華厳の滝で見学と昼食、結構な人出で食堂もあっという間に満員になった。

雨も降らないのに、なんでこんなに水量が?と思ったが、中禅寺湖からの水なのだった。

夕方18時、無事に帰宅出来た、今回の度は、すべて弟と妹に「おんぶにだっこ」でまかせっきりだった。
あまりにも気楽すぎて少しボケたようだ、また自分で考える癖をつけなくてはいかん」と思った。

弟、妹と三人で旅行したのは73年の人生で初めてだった
(子供の時の家族旅行はあったが)
この先を考えて、「毎年1回は三人で近くの温泉で良いから、会って泊って話をしよう」と約束した。

おお! 今、予報通り、けっこう良い雨が降って来た。 40日ぶりの良い降りだ。

10数年ぶりの日光① ホテル

2023年09月04日 11時34分50秒 | 旅行 関東.東海
家を出発して高速で走り、北関東道。館林ICで下りて古河へ向かった
出発から6時間かけてお寺に着いた。
そして住職に挨拶して、共同の供養塔にお参りした。
古河は暑い! 暑いけれど父が子供の頃に遊んだ「雀神社」「渡良瀬川の土手」を見て、それから父が住んでいた家まで妹弟を案内した。
ここに住んでいたのは昭和13年頃までだから、もう65年も前になる。
表札が出ていたが、とうぜん他人様が住んでいるし、当時の家ではないだろう
だが武家屋敷風の造りは、かなりの年代物であった。
ここは昔は白壁町と呼ばれた武家屋敷が並んでいた通り、今も面影を残す家がちらほら見える。

暑いので30分ほどで切り上げて、日光へ向かった
宿は5階建てで中堅クラスの温泉旅館、混みすぎでもなく、このクラスが移動もスムーズ、大勢の人とすれ番うこともなく落ちついて良い。
東照宮まで徒歩10分の立地だし、行きの宇都宮日光道路、帰りの沼田街道沿いだから交通アクセスも良い。
家族など小グループの夕食、朝食会場は個室で、この日は10組ほど
二人だと部屋食のようだ。

お風呂は大浴場と露天風呂、温度が低めのミストサウナ
露天からは緑一杯のお庭と、背景の山が見えて夜は行灯が点灯される



抹茶と菓子でお出迎えいただいてから部屋に向かった、最上階の5階だった
裏は豊富な水量の川が流れ、山々が神々しい





夕食は板前さんのセンスがしのばれる繊細で美しい会席料理、味も良い
品数も十分でみんな満腹になった。
風呂上りに生ビールを飲み、食事では地酒冷酒をいただいた。
30歳前後の仲居さんも愛想も客あしらいもよくて朝晩気持ちよく食事が出来た。

栃木産の牛しゃぶは野菜とうどんも用意されている。

山の中なのに、お造りも新鮮、マグロの中トロが美味しかった。



日光名物「湯葉」

前菜

デザート

同級生旅行リポート 最終回

2019年10月28日 10時51分01秒 | 旅行 関東.東海

いよいよ2日目が始まる

今日の運転は「ますやん」に任せて、私はゆっくりさせていただきます

それで朝食からビールをいただきます

ますやんは、出発当初からマスクをして「風邪引いた」と言っていた

「風邪引いて飲めんから往復運転するわ」というのを私が遮って

「とんでもない!風邪引いている人間に運転はさせられん」と私の運転で出発したのだ

「あんたインフルじゃないの、嫌だようつしちゃ」と女性陣にもさんざん言われていた

でも出発して昼食頃には元気になってビールなど飲み始めたのだった

それで今日の運転を託したら「おれが運転するンか?」だって

強引に運転を任せて私は飲み始めた、朝からご馳走でもう一宴会出来そうなくらい

食事が終わって廊下の郷土の飾り物を写真に撮っていたら仲居の若いおねえちゃんが

「写真撮りましょうか}と寄ってきてくれた、この宿の女将さんを始めみなさん物静かで

影のようにお世話をしてくれているので居心地が良い

ロビーでコーヒーをいただいて、いざ出発! まずは給油しないとね

まずは蔵王温泉街から下り、上山を目指す、途中の集落は行けども行けども渋柿の

木が続いている

「このあたりの熊は幸せだね、食べ物豊富で」なんて無責任なことを言いながら行くと

やがてスタンドを発見、軽油が140円 「おいおいレギュラーより高いぞ」

しかしもう燃料切れギリギリだから入れるしか無い

すると、すらりとした美人系の30歳前後のおねえさんが「いらっしゃいませ」と出てきた

男達は喜んで「軽油130円で、おねえちゃん拝観料10円だから140円なんだよ」

などとデリカシーの無い事を言って喜んでいる

再出発、国道に来たらすぐスタンドがあって軽油は124円、一同「......」

やがて米沢方面に続く高速道入口前で長井方面へ右折、ここから113号線に入って

小国を経て荒川峡をくだり日本海へと向かう、途中の景色は1日目に掲載したとおり

ビールを飲む手を止めた、高速道と違ってトイレが道の駅しかない、コンビニもあるが

団体で入るところでも無いので飲物は自粛だ

そんな中、大きな道の駅「飯豊」に到着、建物の中は地場物でいっぱいだ、特に

果物が凄い、ブドウにリンゴがいろいろな種類どっさりと並び、観光客でいっぱいだ

レジは列になっている、玉葱も10kg位の袋売りで売っている

ここでも女性陣は買い物三昧、私も山形産の巨峰に似た横文字のブドウ一箱と帽子を買った

この道の駅の前の国道には左右数キロにわたって桜並木が続いている、今は紅葉して

赤い桜並木だ、春には素晴らしいピンクの街道になるんだろうなあ

トイレでドライバーM氏と一緒になった、手を洗いながらM氏

「わしゃ秋田へしょっちゅう運送で来てたんやが、いつもここで仮眠して、ここで顔洗ったり

歯を磨いたりしたもんや」

このM氏、高校時代に私が告白して振られた時、もう一人のMくんと我が家に慰めに来てくれた

一人である(このいきさつは何度か掲載した)

卒業後、自衛隊に入り、防衛庁に勤務したが東京が嫌でやめて民間企業に入社して課長職

まで行ったところで不況になり、課長級全員自主退職と言うことでやめてなんと長距離運送の

ドライバーに転身、いまも現役で近距離輸送をおこなっているのだ

 

谷間を抜けて平野部に出てきた、もう新潟県の北端、村上、岩船だ

ここの岩船港鮮魚センターで昼食を予約してある、ところがカーナビ予約が作動しない

とりあえず岩船港に到着して電話で連絡とりながら、なんとか到着した

このメンバーには村上に住んでいたT美もいたが、まったく地理不案内で「役に立たないなあ」と

みんなに冷やかされていた、その夫も数年前に60台で亡くなったのだ、でもこうして

仲良しメンバーと飲んだり、旅行したりして傷心を癒やしている

センターに着く前に、海上に島が見えた「佐渡?」と誰かが言った「違うよ、佐渡は左だしもっと大きい」

「粟島だな」と私と誰かが同時に言った

人口310数名の粟島は粟島浦村として自治しているが、新潟県で人口増加した数少ない自治体だ

二人増えたとか

村上から定期航路があるらしい、すぐ側に見えて泳いでも行けそうだがセンターの人に聞いたら

ジェットホイルでも1時間以上かかるとか? ほんと?

さしみ定食で昼食を済ませて出発(写真逆さまで失礼)

曇りなので行程は順調だ、余裕で笹川流れの船着き場に到着

この船で遊覧する

 

 

もう肌寒いので乗客はわれわれだけかと思ったら30名ほどいた、そして出航

ガイド放送が始まった、それによるとこの航路は義経の都落ち伝説に因むのが多いことがわかった

奇岩のいくつかに因んだ伝説があり、解説してくれた

義経の都落ちについて書くと、平家を滅ぼした源氏であったが、この戦の最前線で大活躍した

義経は都でもてはやされ、朝廷の覚えもめでたく国内最高のスターに上り詰めた

しかし鎌倉の片田舎に幕府を開いた兄、源頼朝は、義経が朝廷のバックアップで征夷大将軍の

自分をないがしろにして、さらに地位を奪われるのではないかと危惧して、ついに疑心暗鬼に

陥り、義経追討の命令を出した

義経は恋人の静御前とも別れて京を逃れ、弁慶などの100人力の家来数名を伴って、昔、平氏から

逃げ隠れて子供時代を過ごした奥州平泉の藤原氏を頼って落ち延びたのだった

日本各地に義経の逃避行伝説があり、特に有名なのが石川県の安宅の関守り、富樫の人情話だ

義経は平泉で藤原氏の息子の裏切りで死ぬが、豊臣秀頼の九州落ちと同様に、北海道に落ち延びて

さらに大陸に渡ってチンギスハーンになった、という話しまで発展する

なんどかここで書いた明治初期のイギリスの女流冒険家イザベラ.バードの記述にも北海道の

アイヌでアイヌの人たちが参拝する義経を祀った場所の話しが出てくる。

さあ出航です

義経一行は、笹川流れを船で進んだが、義経は逃げるのに頭がいっぱいでこの景色に気がつかず

家来が先行する義経を呼び戻したので「義経の戻り岩」だとか

この下の景色にはちょっとHに見える場所があるので、気を張り詰めた義経に家臣がそれを言うと

義経もどっと笑って明るい顔になり、一行は船の上でひょうきんな格好をして踊り酒盛りを楽しんだとか

あるいは大波を避けて逃げた洞窟とかいろんな解説があった

これは「恐竜岩」首の長い大きな恐竜が座って海水を飲んでいる姿、首の部分ポールが邪魔している

 

このほか屏風岩、地震で壊れためがね岩、獅子岩などいろいろあった

そしてあらかたを見て、帰路に入り沖合へと船がむかうと、突然カモメの群れが船に近づいて来た

すぐそばまで飛んできた、平行して飛んでいる

 

なんと観光用に餌付けしているのだった

船内に「カモメを捕まえないでください」という張り紙があったので???と思っていたが、これだったんだ

でも楽しい時間になった、帰路を退屈させない作戦だ、なかなかやる

でも観光船が冬休みになったらカモメは自力で魚をとれるのか少し心配になった

粟島を背に、船は港へ戻る、カモメがまだ追ってくる

 

楽しい旅行も終わって故郷へむかう、新潟市に入って、大河「阿賀野川」を渡る、まだここから2時間以上かかる

夕食は回転寿司で済まして、午後8時無事に故郷に到着しました

                                             おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 


同級生旅行リポート 3

2019年10月27日 19時54分37秒 | 旅行 関東.東海

蔵王お釜近くにはレストラン&土産物センターがある

ここで「ふくろう」の瀬戸物の置物を見つけて2種類購入、ふくろうの縁を感じた

レストランの上には神社もある

燃料が乏しいが帰りは下りばかりなので少し安心、まだ10Lはあるから最低でも

50kmは行ける

宿までとうとうスタンドを発見出来ず、そして今夜の宿を発見、玄関につけて

例のドライバー氏Mに「フロントでスタンドの場所を聞いてきてください」とお願い

みんなは荷物を下ろして外で待機している

Mが戻ってきた、そして「なにや~、ここじゃないがな!」

「え~? どういうこと」 「隣の宿なんやて! 恥書いたがや」

そういえばパンフでは我々の宿は2階建てのユースホステルみたいだった、でも

ここのホテルは5階建てくらいで大きいから、少し変な気はしてた

でもカーナビはここにつれて来たのだった

「ところでスタンドは?」と聞くと

「それどこじゃあ、ありゃせんわい! 恥ずかしゅうて聞くどころじゃないわ」

もっともなお話、それで隣に見える宿に移動した、3階建ての

「季の里」という宿です

小さいけれど明るくて素敵なロビー

すぐに番頭さんらしきおじさんが、お出迎え

スタンドの件を訪ねたら、今日は休みなので明日入れる方が良いとのことだった

外観は?みたいな感じだったが、玄関を入ると独特の雰囲気のフロント

大勢客が居るわけでは無いが暖かみと賑わいを感じる

なんだろうこの安心感は

至る所にこんな飾りがあって、おもてなししてくれる

これはトイレの中の飾りです

お風呂、内湯は沸かし湯で、外から引いている水には温泉成分が

溶け込んでいるとのこと、でも温泉では無い

だが駐車場の端にある平屋の小さな建物には、源泉掛け流しの温泉が引いてある

とのこと、楽しみだ

これが外湯

早速風呂に入った、我々以外の客はいない、10名ほどでいっぱいになるお風呂だ

そして宴会時間となった

団体は我々の他にいないような雰囲気、あとは少人数や二人客ばかりのようだ

一時間ほど、静かに語りながら食事を楽しんだ

お料理は東北ならではの具だくさんで量もそこそこ多め、板前さんの腕が良いのは

料理のセンスを見るとよくわかる、これは満足点だ

 

東北地方の料理は素朴で派手さが無いが心がこもっている

味良し、質も量も素材も、すべてにおいて素敵なのです

やはり料理には真面目さと真心がたいせつだと思わせてくれる数々でした

 

さて一時間過ぎたところでカラオケと踊りのショータイムのはじまり

いつもの如く、衣装替えから始まり、カラオケも絶えない、カラオケはこの部屋だけ

部屋は広々して踊りを踊るのに最高だ

でも料理がよすぎる、ほんとうに美味しいし色合いも良い

そして最後に恒例の高校三年生をスクラム組んで歌った、万歳三唱で閉めた

 

それから部屋に戻って、暫く休憩後、同室の3人で外の風呂へ行った

誰も入っていない、6人ほど入ればいっぱいの湯船、なめてみたら塩分がある

すぐに肌につるつる感がきた、硫黄分も含んでいる

熱い!うん熱い ここは我慢してじっと入っている、半身出したり入ったり

でも体はあまり温まらない、湯は熱いのに汗もさほど出ない

ところが着替えて外へ出た頃から体がポカポカと温かくなってきた、これは凄い

厳選の効果か?、他の7人はとうとう外湯に来なかった

部屋に戻ってからマッサージを頼んで一時間じっくりやってもらった、私だけだった

 

周辺の景色も素敵

翌朝は6時前に起きて、また3人で外湯へ行く、玄関先で他の客と一緒になった

我々が入ってすぐ、追いかけるように3人組が入ってきた、若い人たちだ

狭い湯船ゆえ、すぐに話しが始まった、彼らは広島の大企業に勤める30代の

仲良し、4泊五日のレンタカーでの東北温泉巡りだそうで、明日は山寺.平泉

最後は青森まで行くそうだ、蔵王にはスキーでもう何十回も来ているとのこと

このメンバーの中に金沢出身者がいると言うことで、我々に随分と親近感を

持ってくれた、36歳独身、優良企業勤務、お嫁にいかがでしょうか?

「広島は雪が無くていいね、金沢には戻りたくないだろ?」と聞いたら、広島も山間部は結構降るし

市内でも海岸部でもたまに降るらしい、「雪の宮島って聞いたことありませんか?」と聞かれ

そういえば聞いた気もする、それに大山が冬遭難も起きるほど雪が深いことも

聞いたことがある

スキー場も中国山地にはたくさんあるらしい、こうして知らない土地の人と語り合う

のも旅の楽しみである

私が外で写真を撮っていたら、彼らが交代で写真を撮っていた4人組だった

「4人一緒にとった方がいいだろ、私が撮ってあげますよ」

彼らは喜んで、「もしそちらへ行ったら寄るかも知れません」と言って別れた

気持ちの良い若者達だったが、話しの中で我が町出身の若者も同じ会社にいると

言っていた

さあ、今日は曇りだけど一日持ちそうだ、荒川峡沿いに北上して新潟の岩船胎内

をめざし、笹川流れで遊覧船に乗るのが峡のメインイベントだ

 

            つづく

 

 

 

 


同級生旅行リポート 2

2019年10月26日 20時37分57秒 | 旅行 関東.東海

23日朝、曇り空、待ちかねた同級生旅行の朝だ

吉本級の超スタープレーヤーN子が療養のため不参加になって3年

更にスター見習いのY子は97歳の義母が急に亡くなって欠席に

横綱、小結を欠いた今年のメンバーは男6女4、いつもは女性が多いのに

今年は逆になった

この男性メンバー6人全てが大型免許所持、全員がタバコを吸わないという

偶然似たものメンバー、しかも全員イケメンときているから、女性陣はたまらない(はず)

メンバー参加には厳しい掟がある、「メンバーよりいい男、いい女は入れない」

これがルール

 

さて7時半出発、運転手はやっぱり私だった、北陸道で最初のポイント会津.喜多方へむかう

出発してからもずっと曇り空が続き、上越インターを過ぎるとなんだか怪しい黒い雲

そのうち雨が当たり始めた、予報は曇りのち晴・・・あれれだ

しかし新潟市に近づくと次第に晴れてきた

喜多方はラーメン店が200軒くらいあるらしい、そんな中で今回のラーメン店は大きな駐車場が

あって、観光バスも2台入っていた、こう書くとドライブインのイメージだがその反対

この店は、市内一だか県内一だかの酒問屋だった建物をそっくりそのまま使っているのだとか

土間だけ作り直したそうだ、文化財とか言ってたきもするが..

中庭もあって、なかなか趣がある

一店一店に異なった味わいがある喜多方ラーメン、この店の自慢はチャーシューと販売もしている自家製麺

なのだそうです

醤油ベースのまろやかであっさりとしたラーメンです、ラーメンの前に、こんなお弁当が出てきました

酒の肴にこれはいい、イナリもついていて小腹を満たすに丁度よい

確かにチャーシューはとろとろで美味しい、販売もしています

いよいよ喜多方から米沢へ向かいます

京都大阪、名古屋などは戦国時代から幕末にかけて英雄伝説が多いところですが、越後高田から長岡

会津、米沢にもローカル的な英雄伝説が多くあります

戦国時代には春日山城の上杉謙信が超有名ですが、謙信の姉の息子、景勝が跡目争いに勝って

越後の盟主となった

しかし豊富な金を産出する越後を、秀吉に取り上げられて、かわりに会津、米沢.庄内120万石という

天下3位の領地を与えられた

明治維新の戊辰戦争では会津は上杉ではなく、会津松平家が治めていた、しかし京都守護職として

新撰組を配下にして薩長の浪士を多く捕縛殺害したため最後には朝敵とされて新政府軍から

見せしめ的な理不尽な攻撃を受けた

そんなとき越後長岡藩は会津藩と助け合って新政府軍と戦った、長岡は城を落とされたが取り返す

という荒技をみせて小藩の意地を貫いた

再び落城した後、会津へ落ち延びる途中で長岡藩の家老、河井継之助は会津坂下付近で落命した。

赤穂藩家老の大石内蔵助と像が重なるのである

 

紅葉の名所と聞いて期待してきた大峠であったが、まったくの空振りだった

そしてあっけなく米沢に到着、ここで初めての観光「上杉神社」

上杉謙信公、景勝公など代々が祀られて居る(墓所は別地)

謙信はカリスマ的ワンマンタイプだが、景勝は軍師直江兼続に采配を任せる二人三脚タイプ

そんな三人の銅像があった

上杉景勝は1600年の関ヶ原の決戦で敗れた石田方西軍に味方したために、命は助けられた

ものの120万石の領地を取り上げられて米沢30万石に減らされた

その後、15万石に減らされ、戊辰戦争では会津藩と共に新政府軍に敵対したが恭順

明治まで続いた。

 

さて米沢の後は高速道で上山まで走り、そこから蔵王のお釜まで行く

天気は最高、お釜がくっきり見えそうな予感、山も色づいている気がする

くねくねと上っていく、まだ20kmもある

メンバーの中に長距離トラックの現役も居るので、このあたりも詳しいから助かる

私も3度目のお釜だが、同級生とは初めて、また違った楽しさがある

中腹あたりがようやく色づいていた

お釜へのリフト乗り場に着いた、私が昔来たときここからスキーリフトに乗って

上がったのでここで駐車しようとしたら、現役ドライバー氏が

「まだ上へいくんや、お釜のすぐ隣につくさかい」

半信半疑で走り出した、燃料計がかなりEに近づいていて、少し不安でもあるが

すると料金所が・・・「なにや? わしきたときには、こんなもんなかったがなあ?」と

ドライバー氏

ともあれ全員がリフトに乗るより安いだろうと納得して進んだ、間もなく到着

「こんだけ走るのに金とるんか!」さすがトラック野郎は激しい

そかし彼が言ったとおり、お釜のすぐ側まで来たのだった

そしてお釜はくっきりと見えた、気温は13度、少し肌寒い

 

さて、今夜の宿、蔵王温泉へむかう、どんな宿だろうか,楽しみだ

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


楽しみな同級生旅行

2019年10月01日 09時12分18秒 | 旅行 関東.東海

昨日は月曜日でさすがに一昨日のような賑わいは無いだろうとみて

スーパーへ仏花と榊を買いに出かけた

ところが右折するべき入口付近の国道がいつもより渋滞して並んでいた

「こりゃあだめだ」またささやかな買い物で30分も並ぶのはごめんだと、右折ラインを

スルーして直進ラインへ

赤信号で待つ間、右折車を見ていたら、大概がスーパーで無くホームセンターに入っていく

「ああ、そうか食品は8%のまま、ホームセンター商品はほぼ10%、そうかスーパーは

込んでいない」そう思い直して、スーパーへ行った

案の定、スーパーは平日と変わらなかった

 

さて今年も秋を迎えて、恒例の同級生旅行が計画されて実行段階に入った

今年で連続14年か15年目になる、皆勤賞は私一人になった

病気を患って参加出来なくなった人も3人ほど居る、年々参加者が減るかと思いきゃ

そうでもない、16名ほどのメンバーが入れ替わりで行くから、今回も男女半々の12名ほど

参加する

今年は山形蔵王の一泊旅行、紅葉がきれいだといいなあ

新潟から会津経由で米沢に抜けて、そこから蔵王のお釜にむかう、宿は蔵王の温泉

また例の大騒ぎが展開されるのだろう、きっと私も踊りの師匠に強要されて「矢切の渡し」を

踊らせられるに決まってる

翌日は南陽から荒川へ向かって渓谷を下り、村上から北上して笹川流れに行く予定

晴れてくれればいいなあ、でも俺たちのこの旅行は大概晴れるんだよね

去年は福島の母畑温泉に行った、どこを見学したかもう忘れた、頭は確実に退化している

 


銀座で

2019年06月12日 18時48分37秒 | 旅行 関東.東海

銀座・・・東京だよね まさに

 

祖母は栃木県大田原(黒羽)で産まれて、宇都宮を経由して茨城県古河でしばらく

婿をとって世帯を持ったが離婚、鬼怒川温泉に出稼ぎに行っているとき祖父と出会って

東京で同棲を始めたのが昭和六年頃のこと

祖父は東京市日本橋三代町(現.兜町)で明治半ばに産まれ、その三代前、天保時代まで家督相続して

いるかられっきとした江戸っ子だ

大正13年の関東大震災で日本橋の家は被災して、東京のどこぞを点々としたようだ

それから22年後の3月10日に亀戸で米軍の東京大空襲で二人とも命を失うのだが、祖父は未曾有の

10万人規模の死者という大災害を二度も経験したのだった

その祖父と祖母は鬼怒川温泉で出会ってから東京に戻り上野御徒町で同居をはじめて2年後、昭和八年頃

に父を古河から東京へ呼び寄せた、だから父は江戸っ子では無い、そして運命の亀戸へ引っ越した

その後は仕事や戦争で神田三崎町、品川田町、そして戦争で調布飛行場の防空部隊に入隊

そして戦争があって紆余曲折、父は北陸路に流れて住み着き、私が生まれた

私はこの田舎で70年近くずっと暮らした典型的な田舎暮らしの日本人だ

銀座という名前しか知らない私が3年間、なにかがあって毎年1回銀座のホテルに泊まる

今年はまだだけど去年は銀座キャピタルで泊まった

で・・・ご一緒した物作り会社の会長さんが

「yottinさんは東京詳しそうだから、デパートへ一緒に行ってほしいんだが」

ゴルフのブランドシャツを買いたいのだそうだ、83歳ながらかくしゃくとした長身の紳士

頼まれたら断ることはできない(銀座なんか全く知らない、皇居周辺もわからない

東京は点でわかるけど、線で繋ぐことができない

上野ー浅草ー亀戸ー両国ー錦糸町ー御徒町、この線の内側なら歩けるけど

あとは台場島ならなんとか)

タブレットで周辺のデパート探し(会長には内緒)三越発見、四丁目から右折まっすぐ行って

そこにある

時間が来てホテル前でタクシーに乗った、私を信頼している会長の手前、知ったふりで

「三越まで」

「日本橋ですか? 銀座ですか?」 

うん? 東京はワンフレーズで終わらないのか

「近い方にしてください」

「じゃあ銀座ですね」

 

下りてすぐに入り口 入った「いらっしゃいませ」荘厳な雰囲気

中に進んだ

「yottinさん、ここ違うんじゃないか?」

確かに違う・・・どうやら和光に入ったようだ

そそくさと退散 向に渡って今度は三越

お目当てのブランドが無い 店員さんに聞いたら

「ここでは扱っておりませんので」

がっくりしたら

「近くのデパートに問い合わせてみます」

お-親切

「松屋さんにあるそうです」

「どこですか」

「ここを出て右に行くとあります」

ようやくお目当てのブランドを3枚も得て会長さんご満悦

私も一応合わせまして1枚だけ購入、普段着ている物とはレベルが違う

ちょっと見栄を張ってみたが・・・

でも後日、質の違いがよくわかった

 

さて帰り、またタクシーを拾って

「キャピタルホテルまで」

「どこですかねえ?」

東京のタクシーは行き先を知らないと聞いていたが・・・

「まっすぐ行って突き当たったら築地本願寺の前を通っていけば右手にあるよ」

「何丁目ですかねえ」

そんなの知るわけ無い! ちょっといらつく

のろのろ走りながら不安げな運転手 そんなに遠くは無いはずなのに

キョロキョロしながら

「この辺ですか?」

(だからわからないって、わからないからタクシーに乗ったのに

「私、きのう九州からでて来たばかりなもんで」とか言う?)

思い出した!

「新富町の駅の近くだよ」

「そうですか、あああれが駅です」

「じゃあここでいいよ、探すから」

「でもホテルもそこですよ」

あった、あった・・・東京は疲れるね

 

 

 

 

 

 

 


研修 1ヶ月ぶりの横浜

2018年11月24日 14時58分00秒 | 旅行 関東.東海

先進地視察の法人会研修で横浜へ行ってきました

とはいえ、横浜は夕食と宿泊のために行っただけで、実際の研修の場は2日とも新宿起点で小田急沿線

町田と新百合ヶ丘、土地勘が無くて、東京都なの神奈川県なのかもわからない

東京駅について昼食、駅ビルの中でうなぎ屋に入った、夜は中華コースなので昼は贅沢出来ない

それでも、うなぎを見たら喰いたくなって、一番安い2900円ほどの梅コース、一番上は5000いくらとのこと

近年、うなぎはぐんぐん値上がりしている、安いだけあって脂っ気の少ない細いうなぎだった。

1日目は町田のデンカ.イノベーションセンター研修、一万坪の土地に建つグッドデザイン賞をいただいた

美しい形状と、デンカ開発の建材も用いた斬新な研究所

庭先には天皇陛下お手植えの松がシンボルになっている、この松は枝垂れっぽい形状の松の葉が珍しい

石灰石を原料に、カーバイトを作り、それからセメントができて、最初の主力商品となったが、そこから

研究を重ねて、今やゴム、化学繊維から医薬品、養鰻まで様々な分野に進出を果たし、一大化学工場となった

 

ここから、横浜に出て伊勢佐木町のワシントンホテルで宿泊、このホテル泊は2度目だが、ベッドが広くて良い

中華街で10数名の参加者と主催者との懇親会を行った

若い人が多くて、私は年齢的に2番目に高齢で、一週間ぶりの日本酒を飲み過ぎて、一晩高齢の方と二人で

ホテルに帰った、若い人たちは横浜の町にくりだしたと言うことだ

私は部屋につくと同時にベッドに倒れ込んで暫く寝たようだった、目が覚めてバスに入って体を洗い

そのままバスタブで寝てしまい、冷めた湯の冷たさで目が覚めた、もう一度熱いシャワーで暖まりベッドに戻ったら

23時をまわっていた、それからフロントに電話して、マッサージ嬢を呼んでもらい60分コース、寝たのは1時頃だった

翌朝は5時半に起きて、もう一度バスに入って体を目覚めさせ、7時半にバイキング朝食に行ったが

われわれが中国旅行をしているかの錯覚に陥るほど、中国人であふれかえっている

いよいよ中国も一般庶民が海外に出てくるほど豊かになったことをあらためて感じさせられた

 

2日目は、また町田に戻り、乗り継いで新百合ヶ丘へ、ネーミングの良いニュータウンは町田に比べても広くて

きれいだった、若々しい感じがする素敵な町だ

  

駅前の商業ビルの中に研修場所の八百屋さんがある、斬新な発想と大胆な仕入販売方法で高収益を上げていると聞いた

経営者の方が見えられて「研修と言われましても、ご覧の通りの八百屋なので申しようもありませんが、質問には

お答えしますので、そう言う形でお願いします」と店頭で立ち話、それでも為になることを次々に話していただいた

決して大きな店舗では無いが、機能的で立体的な店作りがしてあって、数多いアイテムを陳列出来ている

主婦客が多く、それも近隣の方たちらしく多くは買わない、野菜果物はその日のうちに売り切るのがモットーで夕方には

見切り価格で売り尽くすそうだ、だから大きな冷蔵庫も持たないという

それにしても50歳以下の主婦が多いのも、やはりこの町が新しい町であることがわかる、多分我が町の平均年齢と

比べると20歳くらいは若そうだ

一級品の太い大根39円

研修が終わると11時だった、この会の面白いのは研修終了時点で現地解散、オプションの赤坂迎賓館見学に行く

5名以外はここで三々五々に散っていった、私も一人で新宿へ向かった

そこから上野へ出て、国立博物館を目指した、今度で3度目だが、今までは連れがあってゆっくりと見たことが無い

今日は一人なので2時間半かけてゆっくり二階まで全部見てまわり、特別展も見てきた

  

 

中庭も印象的だった

外へ出たら2時半、駅前でそばを食べて、犬猫保護のNPOに1000円献金して、再び上野の森に戻り

今度は西洋美術館へ、ここも「コロー展」以来だ

今回は1600年前後のスペインの画家で彫刻家ルーベンス展

神話の世界のヘラクレスやビーナス、宗教画のキリストなどの受難をモチーフにした絵画

そこに描かれるのは筋骨隆々の男性、ふくよかな女性。 キリストも何かで見た痩せこけたキリストでは無く

太い腕、筋肉質の腿のキリストだった

上野から夕暮れの中にスカイツリーが見えた

 


名古屋~湯の山温泉(2)

2018年10月21日 07時39分51秒 | 旅行 関東.東海

車の運転は車次第、やはり走りの良い2000CC以上の車ならどれだけ走っても

疲れない、むしろストレス解消で最高の気分

それにしてもよく飲んだなあ、仲間が良いと何時まで飲んでいても飽きが来ない

もっとも運転があるから深酒は出来ないけど、だけど良い温泉だった、4回入りました

ほんとによく暖まる温泉です、咳が止まらなくて困っていた女史もこの夜は一度も咳がでなかったって

 

ゆっくりしたいので朝食は8時からにした、でも6時にはもう寝ていられなくて風呂に行った

それでも時間をもてあまし腹は減るし7時半にすれば良かった

朝食も個室で、食べきれないほどのおかず、毎朝シンプルな朝食なので、どうやって食べて

良いかわからないくらい、それでもデザートは別腹、またラウンジでコーヒーとデザートをセルフで

いただいた

今日は朝から雨模様、ロープウェイはあきらめて、今日の目的地「なばなの里」へ直行だ

フローリストもメンバーなので彼女初めてと言うことで是非連れて行きたくてプランしたんだ

あいにくの雨が憎いけれど仕方ない、どれだけも走らないうちに、なばなの里に到着

相変わらず雨なので傘を入り口で買って入った

それでも室内がいいってベコニア館に真っ直ぐむかう、私は3回目だけど初めてのメンバーは

目を見張っていた、赤が目立つ鮮やかな世界

 

   

 

 

 

 

 

ここで小一時間ゆっくり見て、休憩所でお茶をして、あとは買い物、それで昼食時間に近づいた

外にでたら傘がいらないくらいの小ぶりになっていた、「地ビール」の看板が目に入った

私はだめだけど、他の連中は飲みたいって、それでビール園で昼食にすることに

 

 

私は飲めないので、メニューから数量限定というハマグリ釜飯を注文、ハマグリだと喜んだけど

アサリ並みに縮んだハマグリと米がどうも北越人にはいまいちだった

 

おみやげ買って

さて、あとは故郷までの400kmの長旅が待っている

今日は名古屋に戻って関ヶ原経由で北陸道米原に出て帰る、遠回りだが全線4車線で平坦な

海岸線を行く北陸道は東海北陸道より遥かに快適だ

関ヶ原付近から晴れ間が出てきて、北陸道では青空になった、そのまま休みながら走って

途中SAで夕食、それでも順調に7時に帰宅出来た、お疲れ様でした