神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

あと一日働けば...未知の世界

2021年12月30日 22時00分14秒 | ライフスタイル
この一週間は71年の人生で一番忙しかったと思う
よく働き、よく飲んだ
公私ともに忙しく、今日も忙しく、明日も忙しい
今日は午前中に二組の仕事をこなした
午後からは明日の仕込みを座ることなく続けた、朝飯はおにぎり一個、昼はヨーグルトとメギスの唐揚げ2匹だけ立ち食い

だけど1月1日からは初詣に行き、実業団駅伝を見て
2日と3日は初めて仕事がない三が日、そしてずっと仕事が無くなる
ゆっくりと最初から最後まで、録画でなくリアルタイムで箱根駅伝を見る
4日から何をしようか? 何をしようか?

知らない森を一人旅で歩いてみようか.....



雷鳴とどろき落ちた!

2021年12月17日 22時15分20秒 | 季節と自然/花
夕方から一気に冷え込んできた、暴風雪波浪警報が発令された
雨が降っていたが「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろ」みたいに雪が降ってきた、ただ海からの風があまりに強すぎて山へと飛んでいく
17時頃から19時頃までやたら稲光と雷鳴がとどろきあちこちに落ちた

今夜も忘年会の仕事があって忙しかったが、お客様の職場に雷が落ちて消防やら警察やらが来たらしくて開宴は40分くらい遅くなった
晴れ晴れ続く表日本では信じられないような嫌で嫌でたまらない雪国の冬がやってきた
来年こそは雪の無い青空の下の一月を1週間で良いから体験してみたいと思って居る、暇な時間は多分作れるはず

このシクラメンは少し形がおかしいけれど「根性のシクラメン」なのだ
花に疎い私がもう終わったと思って棄てた小さなシクラメンの鉢、転がって雪の下になり春が来た、存在さえも忘れ去られて2年
ある日、転がっていたビニールの鉢の中で一輪咲いていた、可哀想に思って自宅に連れてきた、女房殿が大きな鉢に植え替えた
強いシクラメンだった、これで安心だね,すぐに蕾が一つ出てきた、増える予感



もう一つ、女房殿の誕生日に贈った「ビスタミニ ブルースター」数百の花を咲かせたが最後の一つになった
鉢では持たないので切り取って水栽培、雪になたが1週間以上咲いている
一年草だがうまく育てれば来年も咲くらしい、難しいとは言うけれど


お歳暮の季節になり贈ったりいただいたりで、そんな中には私の酒好きを知っている人が居てボランティアの先輩女史からは越後銘酒朝日山の季節限定吟醸酒
元十両力士の奥さんからは(妹の亭主の妹)旦那さんの田舎の秋田から「両関」の吟醸酒をいただいた
二人とも霊感が強い方で、前者は信心家であの貴乃花親方も影響を受けていた宗教に傾倒している
後者は亡くなった私の父母にたいへん尽くしてくれた人で、ときどき私の父に会えるそうだ、どちらも相撲界に因縁がある事も面白い
父の従妹(福島県在住)からは福島のリンゴとレクチェをいただいた、巨峰や大きな桃を贈ってきてくれたりで福島がフルーツ王国だと言うことを知った



感動!おんなたちの忠臣蔵

2021年12月16日 10時16分01秒 | 映画/ドラマ/アニメ
「忠臣蔵 おんなたち 愛」3時間半の大型時代ドラマ
今まで見た数々の「忠臣蔵」で最高の出来映えでした、出演者を見たとき「渡る世間 鬼」のメンバーがずらりで(なんじゃこりゃ)と思った
それもそのはず作者も橋田壽賀子さんだった

忠臣蔵=江戸時代5代将軍綱吉、徳川の世で一番栄えた元禄時代に起こった武士集団の仇討ち事件
綱吉の母に最高の官位をいただく重大な式典のさなか、赤穂藩5万石藩主浅野内匠頭が式典を指揮する吉良上野介に日頃より数々の辱めを受けていた
堪忍袋の緒が切れてついに江戸城内松の大廊下で吉良に斬りかかるが失敗
怒った綱吉は浅野内匠頭を即刻切腹に処す、吉良はおとがめなし
赤穂藩家老大石内蔵助以下47名の赤穂浪士が1年9ヶ月後の12月14日未明、吉良屋敷を襲い、吉良の首を取る
世間は義士の快挙と賞賛し、大名等からもあっぱれと助命嘆願の声が上がり赤穂浪士たちは一挙に英雄視される事になる
助命となればたちまち諸大名は争って英雄である浪士の争奪戦を繰り広げるだろう
だが綱吉は全員に武士の名誉「切腹」を申しつける、しかしこのとき切腹となったことで今の世まで「散る桜の散り際の美しさと」して語り継がれることになった。

これまでの忠臣蔵は耐え忍び、吉良を欺きついに本懐を遂げるという大石内蔵助と赤穂浪士tのかっこいい生き様、男から見たストーリーが多かった
しかしこの橋田忠臣蔵は赤穂浪士たちの妻、妹、想い人の視点で展開していく
期間も討ち入り前から討ち入り成功後、切腹後の4ヶ月ほどの間を描く
大石の妻りくはもとより、大高源吾に想いを寄せるうどん屋の女主人、密偵となって吉良邸に潜入した浪士の妹、引き裂かれた藩士と婚約者
気の病で歩けなくなった浪士の妹、仇討ちのため本心を偽り妻と離縁して卑怯者と罵られて去って行く浪士
討ち入り当日、身重の妻にあなたが行くなら私も子供と共に死ぬと懇願されて江戸から逃げ落ちていく浪士家族
仇討ちが失敗したときにと大石から第二陣を託され死に後れた浪士とその娘の悲哀
そんなおんなたちと男たちの感動的なドラマである

この仇討ち事件には3つの武家が関わる、1は播州赤穂藩5万石 2は高家旗本吉良家 3は米沢上杉15万石
上杉藩主は吉良の息子で跡継ぎがいない上杉家に養子として入って15万石の大名におさまった、そのため吉良家に護衛として上杉藩士を送り込んで居る
そして討ち入りの日、吉良家の武士と共に赤穂浪士と戦い死んだ者もいた

ラストシーンで大石りくが言う
「無残なのは私たちだけではありません吉良家もお家断絶、家臣も浪々の身となりました、みな妻や子もありましょうに」
うどん屋の女将も「残されたものに敵も味方もありゃしないみんな辛い思いをしているんだもの」
男たちの義挙の影で泣く大勢の妻子たちを憂う、ここで描かれた数名の女たちの何名かは非業の死を遂げる
真実は知らないが吉良の虐めと浅野内匠頭の短慮が無ければ藩士とその家族、想い人は平和な人生をおくっただろう。





残りの人生 来た道 行く道

2021年12月14日 21時54分11秒 | ライフスタイル
70年生きてきて振り返れば、ようやく少しの高台から歩いて来た自分が見えるようになった
生き様の結果が見えてきて、第一回目のリポートを書ける気がしている
いろんな事があった気がしていたが済んでみればまことにわかりやすい人生だった、一言で語ることが出来る
人生走馬燈、まさにそのとおりであるが、むしろこれからの人生の方が長いのだと思う

球界の天才打者は「球が止まって見えた」と言ったとか、それほどではないが自分自身が車で接触事故を起こす瞬間
あるいは道路で転倒する瞬間がスローモーションで流れていくのを目撃したことは何度もある
わずか1秒ほどの間にくるくると頭が回転する
(このまま転べば大けがをする、頭だけでも守らなければ、膝をすりむかないように転倒するにはどうすればいい?)などと次々に考えが飛び出す
そんな経験はありませんか?

これからの10年20年30年の人生はまさに圧縮された密度の濃い人生を送る気がする
私にとって初めて一日を計画的に生きる人生が始まるのだ
他人に流されず、他人に併せず、自分だけの自由な人生を生きることが出来る
命と太陽と家族と、友が少し居たらそれだけで充分、好きな日に、好きな時間に、好きな所へ出かける  それは長年の夢だった
お金なんかより大事なことはいくらでもある、あの昭和30年代の時間をもう一度過ごしてみたいし、それは出来る
いまは辛いけど、ワクワクしている





お救い下さい

2021年12月12日 17時31分12秒 | 宗教
この頃は併読をしている、読書時間は一日15分程度だから遅々として進まないが楽しみの一つではある
吉村昭を二冊、この前見た映画(テレビ)「うなぎ」が含まれている短編集「海馬(とど)」と「関東大震災」、宮本輝の長編の全9巻「流転の海」ようやく6巻に突入した
イザベラバードの「朝鮮紀行」「日本紀行(上)(下)」を読み返し始めた
、これらを思い付きでとっかえひっかえ読んでいる

今日は従妹(いとこ)の1周忌法要に出た、子供の時から障碍があってずっと施設に入っていた子だった
亡くなった一年前は50歳半ば前くらいだと思う、車いす生活でヘッドギアをいつもつけていた、骨がもろく骨折もしたようだ

住職は40代、前住職は私より少し年上だが近年亡くなった、その前のおじいちゃん住職はなかなかの粋人だった
共産党だという話だったが魚供養で毎年、組合でお願いしたのだが読経の後の説法が面白い
紙一枚に手書きであれこれ書いてある、内容と言えば男女の恋愛とか艶っぽいことが書いてあったり、なかなか魚屋の興味を引くのがうまい
とても堅苦しい坊さんとは思えない人で人気があった、かといって度を越した好きものと言うわけでなく立派な住職だった

度を超すと言えば「今日は無礼講だから・・・」などと前置きでおこなう会社の宴会ではときどきもめ事がおこる
「無礼講」の意味を曲解した若手社員が上司の肩を叩いたり、手をかけたり、上下関係を忘れた無礼極まりない罵声をあびせたりして起こることが多い
そして「『無礼講』と言いながら結局怒り出す度量の狭い上司だ」などと罵る
まあ上司も上司で最初から無礼講などと言わなければいいのだ
いずれにしてもわきまえて度を越してはならないということだ、素面になってからの仕返しが怖い

位牌の後方に阿弥陀如来の姿をじっと見ていた
そして考えた、阿弥陀様はどこから来たのだろうか、地球ができる前からいらっしゃったのだろうか?
地球ができて造物主である神様たちは恐竜も作ったのだろうか
阿弥陀さまも神様も本当は高度な文明の宇宙人で、地球に来て原始の地球人を導いてピラミッドなどを作って去って行ったのではないだろうか
キリストや釈迦は宇宙人の子孫ではなかったのだろうか

阿弥陀様は亡くなった人の手を取って極楽へと導いてくれるという、なのに亡くなると三途の河原で「おしょろばあさん」に検査されて地獄、極楽に振り分けられるという
三途の川で溺れて地獄に流れ着く、正しい人生をおくった者は極楽浄土へと
地獄へ落ちる者を阿弥陀様はお救いにならないのだろうか、でも浄土真宗では極悪人であっても阿弥陀様はお救い下さると説く
ただひたすら「南無阿弥陀仏を唱えなさい、そうすれば出家しなくとも仏になることができる」と

今日は一つ疑問がとけた「南無阿弥陀仏」を唱えるのは亡き人の冥福を祈るのではなく自分に対しての「南無阿弥陀仏」だと
それは仏壇の前に座って手を合わせるたびに考えていたことだった
仏に向かって唱えるのか、自分が救われるために唱えるのかといつも思っていたが今日、住職の説教でわかった

親鸞上人と言う人は時代の革命児だったと思う
死後の世界でもこの世と変わりない繁栄を願う貴族や武家の為の宗教だったところに突如、救われぬ数多の庶民、罪人を救う宗教があらわれたのだ
難しい理論理屈哲学も、厳しい修行もいらない「ただひたすら南無阿弥陀仏の六文字を唱えなさい」極悪人も許されて極楽往生できると
当然ながら特権階級と既存の宗教から迫害された、それでも流刑地にあればそこでまた布教して信者が増えていく
「門徒もの知らず」それでも救われる、坊さんも妻帯してよい、子を成しても良い、魚肉を食っても良い、戒律厳しい古宗教に反するものであった

今でも浄土真宗は簡素化された決まりごとが多々ある、葬儀でのお清めの塩はいらないなどだ
戒律厳しい禅宗の僧の多くは髪を究極まで剃って崇高な雰囲気であるのに対し、真宗の僧侶は長髪が多い
私の祖先は代々鎌倉北条家に庇護された臨済宗であったが、戦争のどさくさで父の代から真宗にかわった
北陸、加賀能登、越後、佐渡はとくに浄土真宗が多い地域である
わたしのような「とびすけ」には気楽な真宗が合っているかもしれない







12月8日未明 我が帝国陸海軍は...

2021年12月09日 12時40分43秒 | 昭和という時代
自宅の裏の土手際は落ち葉でいっぱいです
たぶん全て桜の木からのものだと思います
植物や樹木はと~んとわからないので...



今日は久し振りに日本海側でも良い天気になりましたが空気は相変わらずひんやりしています
これも明日までで、また曇りや雨になるのでしょう

12月8日は日本がアメリカと戦争を始めた「真珠湾攻撃80周年」だそうです
ほんの前まで私の日米開戦の知識は欧米の強国が、日本の軍事力が強大になることを阻止するため輸出を止めて鉄や石油が日本に来なくなった
そのため危機感を持った我が国は一か八かで真珠湾とインドネシア、マレー方面に奇襲をかけて勝利した と

だが最近、様々な書物やドキュメンタリーで昭和という時代を見直していくうちにそれらがミックスされて一つの時代の道が見えてきた
明治維新が終わって間もなく西郷隆盛等は朝鮮出兵を考えた、紆余曲折あって台湾を併合、第一次大戦で連合軍に与して勝利した日本は中国に権益拠点を得た
そしてアジア最大の軍隊を持った。1895年にはアジアの最強清国艦隊を破り、朝鮮に進出、1905年には世界列強のロシアにも辛くも勝利した
1910年には朝鮮を我が国に併合、朝鮮国は地図から消えた
日本国民の多くが日本の不敗神話を信じて「日本最強」のイメージが出来たのではないだろうか

再びソ連の脅威に備えて満州に進出、ソ連や中国との紛争が始まった
昭和10年頃には日本は大軍を満州に送り込み、満州国を建設した
アメリカやイギリスは中国の権益を日本に侵されることを嫌って日本に中国から撤兵するよう勧告した
しかし20万近い戦死者をだして占領した地を放棄して逃げ帰るのは無駄死にさせたに等しいという理由で拒んだ

そんな時代でも戦争せず平和裏に解決しようという政治家や総理がいたが5.15事件、2.26事件で軍が平和主義の政治家を殺害したため誰も言わなくなった
政治も軍の力が及んで軍人総理大臣が誕生、戦争反対を発するものは公には、いない状態になった
米英の勧告を聞かないので、米英は怒って鉄鋼やゴム、石油、食料などの禁輸をおこなった、今の世界で北朝鮮に行っている制裁と同じ事をやった
追い詰められた日本はインドネシア、マレー半島、中国大陸に石油やゴムを得るための進撃を始めた
そのためには強大な海軍を持つアメリカの艦船を叩いておく必要があり真珠湾のアメリカ艦隊と空軍基地を奇襲したのだった
山本五十六など欧米の底力を知るものは有利なここで交渉をすべきと考えたらしいが「大勝利」と報道がされると国民が「英米弱し」と歓喜した
これで一気に欧米からのアジアの解放、日本がアジアの盟主となる「八紘一宇」構想が生まれた、そして敗戦まで突き進んだ ということらしい