神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

近況

2020年02月26日 18時48分50秒 | ライフスタイル

都会に住む友人が、新型コロナ感染者の濃厚接触者になりました

案外な確率なんだと思いました

本人はいまのところ無事だと言っています、そのまま陰性である事を

願うばかりです

 

最近は仕事一筋かな? 美味しい料理作りに熱中、それから整理整頓

掃除、これ必須ですから

毎日アルコール手洗い、熱い飲物が新型コロナへの抵抗力になるとか

今日はこんなところ、家に帰って女房殿の美味しい晩ご飯食べて

一杯飲んで寝ます、明日はミニドライブに行ってきます

 


おもいつき

2020年02月19日 20時17分32秒 | 季節と自然/花

昼近くからずっと青空が広がり、気持ちの良い1日だった

海はうねりが高くて、今日も漁船は休み

明日は1m以内になる予報なので久しぶりにセリがあるだろう

いよいよ庫内のアンコウも、明日の予約で終わってしまうから

ぜひとも漁船に出てもらいたいのだ

最近は時々、オーストラリア人のグループが食事に見えるようになった

彼らが刺身や海鮮丼が好きだとは知らなかったが、それは世界中で

言えることで寿司、さしみ、天ぷらの海外進出のおかげかもしれない

特に昨日のグループは海鮮丼を完食してから、刺身定食を追加注文

してきたので驚いたが、刺身定食を見たとき、彼らの顔が輝いたと言うから

よほど刺身が好きなのだろう

 

長い間、星空を見ることが無かった、そして今日、星空を見上げた

オリオン座が南中、その上の天中には双子座が、そしてオリオンの斜め下には

大犬座、そして東に小犬座、冬の一等星のオンパレードだが青白いシリウスと

赤いペテルギュースの対比は、いつ見ても美しい

ペテルギュースは間もなくその終焉を迎えるのだそうだ、実際にはもう存在

していないかも知れない、今発したペテルギュースの光が地球に届くまで

約640年かかるからだ

超巨大なペテルギュースを我々の太陽の場所に置くと水星、金星、地球

火星、そして小惑星帯までも飲み込まれて、木星近くまで及ぶらしい

太陽など問題にならないほど巨大な恒星なのだ、一般に赤い星は温度が

低くて大きい

「超新星爆発が間もなく起きる」と言っても、それが来年なのか1000年後なのか

1万年後なのかは誰もわからない、宇宙的には隣の星だから爆発後の

明るさは半端ないらしい、月の明るさに比較されるほどだという

 

コロナはもういいや・・・・テレビに任せよう

 

 

 

 

 

 

 

 

 


何の灯りかな?

2020年02月12日 19時20分00秒 | どうでもいいこと

今日は朝からからりと晴れ上がり久々の快晴

おかげで仕事もはかどった

予約の宴会を終わらせて、午後からは仕込みや試作を

一人で楽しんだ

タラの煮物(昔風)埼玉の80代の昔からのお客様が

毎年リクエストくださる煮物です

今日、10数人前を宅急便でお届けしました

この方は我が町出身で東京に出て成功されて議員も

経験された方です、故郷で昔食べた味が懐かしい

しっかり濃いめの味を含ませますが中はホクホクで柔らか

外と中の味の差が絡み合うこってり煮のタラです

煮崩れないように30切れ煮るにはコツがあります

さて夕方、外に出てみたら沖合に見慣れない光が見えた、かなり明るい

二つ見えるが...漁船かと思ったが、どうやら水平線より高いところだ

それは空中...飛行機では無い...ヘリでも無い...漁り火クラスの明るさだ

17:40 水平線に二つ

17:43  一つ消えた

17:44

17:45 また二つに

17:46 また一つ消えた

17:47

17:48

又出てきた、今度は距離が近い

上が右へ移動

17:49 更に移動

17:49  下は水面に近いので海に反射

17:50 また一つ消えた 暗くなるし、もういいや...やめた!

 

 

 


二人で一人前だってさ

2020年02月11日 19時31分01秒 | ライフスタイル

昨日の朝は穏やかで久しぶりに船も出た

朝の漁港を見に行った、一昨日の夜中に降った雪がうっすら残っていた

それが昨日の夜にはすっかり消え去ったのだった

ひんやりとした朝の空気が気持ちを引き締めてくれる

小さな漁港の風景

今は、この漁港であんこう、平目、ズワイかに、あまえびなどが獲れている

関東甲信のホテルやレストラン、割烹などに送る魚屋が近年増えてきた

この市場で魚屋からの悪名名高いセリ人は私の又従兄弟だ

近年、私の心がすっかり変わったようだ

「無理して頑張る!」より、「出来る範囲に集中する」のがオレ流になった

「向かって行く」ではなく「受け容れるそんな気分だから消極的といわれても

仕方ない

出来ないことを無理して失敗するより、出来ることを立派に完成したい

そんな心もちになったら随分気持ちが楽になった

これが『歳をとる』と言うことなんだろうか

父母が相次いで亡くなり、愛ネコの入れ替わり、社員の入れ替わり

この3年間は私の人生の転換期であった、今もそれは継続中である

行く者は行ってしまい、しかし我が店の元支配人Fというのが今の私の

心の支えになっている

誕生日は私の一ヶ月前、生まれた時からお互いの母親が同じ工場で

働いていたので、二人並んで授乳室にいたのだとか

Fは因縁深い人間なのだ...だから私は「俺たちは双子だ」と言う

昨日の新年会でも「おれも70歳に間もなくなるので会社を辞める準備を

していたら、社長が『まだ暫く居れ』というのでもう少し、ここにいるので

よろしく」と挨拶した

同期生330人の学校で、小中7年間同じクラスというのも奇跡的で

やはりFとの因縁を感じるのだ

そして高校は別々だったが30歳の時にそれまでの勤務先の事情で

解雇になり私の父を紹介されて、この店に勤めたのだ

そして今日まで40年勤めて居る

その頃は私は父とは別に魚屋を経営していたので、このいきさつは

知らなかった、だがこの店の板前の一人がやめることになって

ピンチを感じた父が、当時36歳だった私に「魚屋廃業して、ここで

板前をやってくれ」と突然言ったのだ、それは命令だった

なんともむちゃくちゃな話しだ、魚屋もまずまずの経営状態だった

のだが、仕方なくやめることに

けれども私のもとで働いていた5歳年上の番頭さん夫婦が

「廃業するのなら俺たち夫婦がやりたいので貸してほしい」と言って

魚屋を継続してくれたのだった

そして私はこの店でまたFと再会した、その後社長と支配人という

関係になって今日まで来たのだ

「俺が居る限り、この店で働いていて良いよ、俺がやめたら一緒に

やめよう」と言っている

父はよく、こう言った「おまえ達二人は出来ること出来ないことが

正反対だからいいお互いカバーし合うから二人で一人前になる」

まさにその通りだ

父は本当に支配人のことを子供のように可愛がっていた

「大事にしろ、おまえにとって必要な人間だ」

そんなことも言ってたなあ....

 

 

 

 

 

 


たいした雪でもないし良い1日だった

2020年02月09日 19時51分38秒 | yottin日記

今日は6時前に目が覚めて外を見たら、憂鬱な雪景色

寒いし、日曜で仕入も無いし、テレビをつけたけどそのまま二度寝

テレビの内容は聞こえているけど寝ているのか起きているのか?

だが確かに寝た時間はある、夢を見たから

部屋から出たら、なぜか、そこも板張りの部屋で、朝の陽が差して

まぶしいくらいに明るくて温か、そこに白いネコがくつろいでいた

「ピー子!」駆け寄って頭を撫でた、手にすり寄せるピー子

2回撫でて、3回撫でたら目が覚めた・・・・がっかりしたけど嬉しかった

 

久しぶりに父の家に行って仏壇の花を取り替えて手を合わせた

行こう行こうと思うが忙しくてなかなか行けなかった

親不孝な息子だと、ドライな息子だといつも思っている

廊下のカーテンを開けて光を入れた、ガラス戸から庭を見たら

梅が咲いていた、雪景色の中で梅が寒そうに縮んで咲いていた

 

 

 

今日はのんびり出来た、やりたい仕事をやりたいようにやった

明日の仕事の仕込みもバッチリ終えた

まあ今日は満足満足、家に帰って女房殿の美味しい夕飯食べよう

最近は週に4日は家で食べるよう心がけている

 

 


サムライ

2020年02月08日 22時17分06秒 | 戦国時代

朝は雨が音を立ててふっていたが、じきにみぞれに変わり

一日そんな天気が続いていた

道路の雪は、やはり消えた、昨日と比べても気温の高さは

明白だ

テレビで日露戦争を大学講座風に解説していた、1895年日清戦争で

日本が勝ち、莫大な賠償金と遼東半島の経営権を得たことで

日本は戦争で勝てば金になることを知った」と

しかし三国干渉で日本は権益を得た遼東半島を返す羽目になり

それを干渉した側のロシアが得たことでロシアに対する日本国民の

「今に見てろ!」の気持ちが起こり、1903年からの日露戦争に

つながり、膨大な戦費をまかなうための増税にも国民は我慢した

ということである

しかし東洋一の清国より更に格上の世界の強国ロシアは日本の

10倍以上の国力、軍事力を持つ国家だ

しかし国民の後押しと勇敢な兵士、敢闘精神をもった軍人の力で

英国の後押しも受けて大国ロシアに勝ったのだった

ところが期待したロシアからの賠償金はびた一文取れず

樺太の南半分と遼東半島および満州方面への勢力拡大にとどまった

国民は弱腰内閣と憤慨して暴動もおきたらしい

しかしロシアに清国と同じレベルの圧力をかけることはできなかった

多大な人的被害と国家予算のロスで、ロシアとの再戦などできない

もし交渉が決裂して新たなロシアの大軍が攻めてきたらひとたまりも

ないことは明らかだった、国は破産の危機に追い詰められていた

幸いしたのはロシアでも革命の危機が訪れていて日本との戦争どころ

ではなかったのだ、結局帝政ロシアは革命によって倒された

ロシアからの賠償金は諦めた日本は1910年に朝鮮王朝を日本に併合

して足場を固め、満州への進出を目論んだ

ずいぶん昔に思えるが案外江戸時代の終わりから昭和までは短い

日清戦争は明治維新から40年、日露戦争は50年しかたっていない

大正時代は14年しか無かったから、明治が昭和になるのに15年しかない

だから昭和25年生まれの私は大正39年生まれだと思えばいい

明治で計算しても明治84年生まれくらいだから平成生まれ

たとえば平成25年生まれが昭和89年生まれだから、いかに明治が

江戸時代が私から近いかわかる

明治天皇が崩御されたとき西南戦争で西郷隆盛軍と熊本城で戦い

203高地でロシア軍と戦った乃木将軍は奥様と連れだって天皇の

後を追ったが、明治の終わりは幕末から明治時代を戦い抜いた

維新の英雄たちが去り、新たな昭和の軍人たちが現れる

それは比較的穏やかな大正時代で入れ替わっていくのだ

軍人の心構えも生き様も大きな変化がおきている

東アジアを植民地にしようとやってきた欧米列強から国を守るため

武力革命で近代国家を造り、近代的軍隊を作っサムライたち

最大の脅威だったロシア軍と朝鮮、満州で戦い抜いた明治のサムライ

国政から離れて大陸で暴走した昭和の軍人とは異なる生き様を思えば

サムライの時代は大正で消えたと言えよう

 

今日がgooブログ開設1900日だそうです

 

 

 

 


今期初の銀世界も儚く消えた

2020年02月07日 20時14分15秒 | 季節と自然/花

朝起きたら最高の快晴、気持ちよいほど陽が差している

昨日は夕方から今季初とも言える雪降りになった

そして朝近くまで降っていたらしい

外へ出てみたら、一面の銀世界、地面は3~5cm、車の屋根は10cm

今冬初の積雪は、こんな具合だったが、この天気の良さでは昼までには消

えるだろう

雪国の雪降りの朝、何が嫌だと言って路駐で雪まみれになっている車を

雪の中から発車させるまでの行程だ

まずは凍り付いているドアを開けなければならない、場合によっては湯を

湧かしてかけなければならないこともある

それからワイパーが動くようにフロントガラスの雪を落とさなければならない

フロントのガラス表面は完全に凍り付いていて、これは暖房をつけて

中を温めて溶かすのが一番だが、10分はかかる

車の全体の雪を落として発車するまでには15分以上かかる

雪さえ落とせば4駆だから新雪なら軽く出る

などと思いながら、車の雪落としをしていたら近所の奥さんがゴミ出しに

やってきたので「おはようございます」と挨拶した

マスクをかけて誰だかわからない奥さんだが「えっ?」という返事だけで

帰って行った

(愛想の無い人だ)と思ったが、私も深いニットの帽子に、マスク

そしてふかふかのアノラックと膝までの派手な長靴だから誰だか

わからなかったのかも知れない....と思ったが(あれ!)

あの赤アノラック・・・・そうだ!....わが女房殿!

たった今、「行ってくるよ」と家を出たばかりなのに、ゴミ出しに来たら

雪かき中の夫から「おはようございます」では..「えっ?」が妥当か?

国道に出たら道路は凍り付いていて、ノロノロ運転で列になっている

それでも都会のような渋滞がないだけまし

漁師も出漁したし、今日は一日気持ちの良い日差しだった、やはり

本年初の積雪も夕方には溶けてしまって、根雪にならなかった

明日からまた雪マークも見えるが、もう根雪は無いだろうな

海岸部は、こんなところだが、山間部では一晩に50~80cm降った

所もあるようで、ようやくオープン出来たスキー場もいくつかあったようだ

スキー場は雪降り、町場は雨か曇りが理想だけどね

 

 

 


明治はますます遠くなり、昭和も記憶の中に

2020年02月06日 10時02分09秒 | 時代検証

この冬一番の大雪注意報だとかで少し身構えたけれど、朝起きたら

陽が差していた

窓を開ければ..港は見えないけど..隣の家の屋根にはうっすら雪

1cmあるかないか・・・今も雪は降っていない、もう暦では春だとか

今年は、このまま積雪が無い冬になるのだろうか

新型コロナは世界中で拡大する一方だ、これが江戸時代、明治初期

なら一体どんなことになっていたのか

疫病蔓延で多くの人が亡くなった記録もあるから、きっと今の騒ぎと

同じようなものだったのだろう

幕末、明治、大正、今よりもずっと全てが遅れていた時代と思いがちだが

案外、今より進んでいたこと多かったんじゃ無いだろうかと思う

例えば人の心や周囲への思いやり、自然環境への配慮、体を適度に

使った労働、運河や川の交通網、なにより自給自足の食料作り

海上交通は大量に物資を運び、日本中を巡っていたから高速道路の

ようなものだ

私がルーツを調べていて疑問に思ったのは、800年以上暮らしていた

土地(栃木黒羽)を追われて宇都宮、茨城古河へと移り、その後祖母は

日光鬼怒川温泉へ出稼ぎに行き、東京日本橋の男と再婚して東京で

暮らした

こうしたストーリーの住居の関連性や移動手段、動機がわからずにいた

しかし今朝『古河藩の歴史』を調べていて気がついた、この移動ルートの

関連性があったのだ

北陸越後信濃路の中で生きている私にとって、北関東の事情には疎い

それでわからなかったけれど、降って湧いたように解決した

それは全て日光街道のライン上にあったのだ

起点日本橋から古河、宇都宮、終点日光へと続く日光街道、結局人は

馴染んだルートが一番安心なのだろう

こうしたルートは街道だけでなく、昔の主要な交通網であった河川の

運河ルートでも起こりうる

流浪の旅をしていた祖祖母と出会って一緒になった風来坊の徳五郎さん

たぶん出会ったのは宇都宮だろう、それは大正の初めか明治末期

祖祖母(勿論、祖母も同じだが)の産まれ在所黒羽と、徳五郎さんの在所

馬頭は水上交通の盛んだった那珂川で繋がっている隣町だ

引き寄せられるように結ばれたのだろうか?

50過ぎの孤独な男と、子連れの30過ぎの女、20歳も歳が離れて居ても

男と女の偶然の出会いは、必然の出会いにほかならない

そして新世帯を持つべく古河に住みかを求めたのだろう

ここで大正6年に二人の長男が生まれ(祖母の父違いの弟)、祖母は

大正11年か12年にここで婿をとり、大正13年父が生まれた

しかし徳五郎さんと祖祖母の息子は昭和5年頃、川で溺れて亡くなってしまい

その2年ほど後のクリスマスに傷心の祖祖母も貧しさの中で亡くなったのだ

それから間もなく鬼怒川温泉で出会った祖母と義祖父は連れだって東京に

行き、その後、小学生の父を東京に引き取った、当時は大正13年の

関東大震災で日本橋の家は無くなり、上野御徒町の一間の借家住まいだったという

 

 

 


無呼吸症候群

2020年02月02日 18時58分19秒 | 老人介護

昨日は雨の中『新酒の会』のパーティ券をもって友人の事務所まわりをした

友だちや同級生に会うと、必ずと言って良いほど「どこが痛い、どこが悪い」

という話が出てくる

一人目は、私の倍くらいむちゃくちゃ仕事をする奴で、朝は3時頃に起きて

朝風呂で目を覚ましてから、夫婦で仕事を始めるという男だ

これは一昨年の暮れから、無理がたたってヘルニアなんだろう・・とうとう手術

歩くことが出来なくなったのだった、今はゆっくりなら杖無しで歩けるし、商品の

配達も以前の通りやっている、しかし先々月頃から痛み止めの副作用が出て

難儀していたのだが、薬を代えて痛みの復活と引き替えに、副作用は治まった

まさかと思いながら、パー券の購入を聞いてみたら「あっ!いいよ」

まったく気持ちの良い男なのだ

もう一人は年がら年中、パソコンを睨み続けて図面書きをしている社長

以前は、何かにつけて夫婦で飲み歩いていた人だが、もう5年以上前から

外で飲むことがほとんど無くなった

隔年で行っていた海外旅行どころか近くの温泉にも行かないようだ

なんか昔の元気覇気が無くなって寂しいのだが、今回の件を頼んだら

3枚買ってくれた

忙しい人なので遠慮しながら少しだけ話しをしたら、つい最近、無呼吸

症候群である事が判明して、病院で検査の結果、毎晩酸素吸入器を

つけて寝ていると言うことだ

私の父も、亡くなる6年くらい前に無呼吸症候群の疑いで病院に一泊して

検査したのだが、一晩に40回も呼吸停止がおこると聞いて驚いた

そのとき先生の説明では、「呼吸器をつけるのが一般的ですが、呼吸が

止まる度に酸素が送られるので寝ることが出来ないかも知れません」

そして「私は、機械をお勧めできませんね、あなたは昼間でも寝ている

ことが出来る、ご身分ですよね、夜の不足分は昼間取り返せば良いんじゃ

ないですか」

父はこれに納得して機械はつけなかったので、それを彼に言ったら

「ぜんぜん酸素が送られても目が覚める事は無いよ、静かでつけていないと

同じ、ぐっすり眠れていいよ」とのことだった

私も、自分ではわからないが無呼吸の兆候をうっすら感じることがある

それはものすごい恐怖が襲ってくる夢で、マジ心臓が止まりそうになって

目が覚めることがあるからだ、その時は少し長く呼吸が停止しているのでは

と思う

一度だけだが若い頃旅行の相部屋で、相棒が凄いイビキをかく小太りで

それが「が~が~」やっていたのだが、聞いていたら突然イビキが止まって

静かになった、(やれやれ)と思った瞬間、彼はガバッと上半身だけ飛び起きた

そしてものすごい勢いで息を吸った、というか激しい深呼吸「は~は~!」と

生き返ったような息の吸い方だった

人間70歳ともなれば、そうそう100点満点の健康というわけには行かないようだ