神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

飲んだぞー!

2020年12月30日 23時33分02秒 | ライフスタイル
今、帰宅 12月回目の飲み会
感染者ゼロの町に、感染者多くの自治体が何か命令できますか?
あんたの町と一緒にするのですか?
久しぶりの二次会、最高! フォー!
明日は12月一番忙しい日
朝六時に起きで仕事をします
仕事があることのありがたみ、今年初めて知りました
戦争時代から見たら遙かに幸せな時代です



ルーツの枝から手紙が来た

2020年12月29日 18時10分06秒 | yottin日記
私のルーツ調べで、5代前までは栃木県の黒羽に先祖代々住んでいた
本家は確かなところだけでも800年ほど(鎌倉時代)続いていることが分かっている
そこから分家して、私で18代目くらいだと父に聞いたことがある
5代前の利右エ門さんと言う人に養子も入れると3男4女がいたが、長男が40代で亡くなり、そのあと兄妹の父が亡くなると家運が傾き
一家離散となった、兄妹の家族たちは栃木県内、福島県、茨城県と各地に散っていった
茨城に行ったのが我が家の先祖で、亡くなった長男の妻と一人娘Kと、その娘(孫=私の祖母)の3人だった、明治45年頃のことだ
それ以来、各地に散った兄妹とは音信不通になった

先日、福島の三春に住んでいるSさんに確認の手紙を送った、父とずっと親交があった女性だ
父はその人のことを何も言わずに逝ってしまったが、私は多分Kの元夫(結婚していたかどうかは定かではない)の孫だと感じていた

昨日、返事が来て、それが正解だったことが分かった
我が家のルーツの一枝にたどり着くことができた、Sさんはまもなく80歳になられるそうだ、わがルーツ上、初めて血縁者を見つけることができた
お互い高齢になったので、この先何十年ものつきあいはできないが、父の従妹にあたる人と手紙を交わせたことは喜びだ
近いうちにSさんを訪ねて三春に行こうと考えている、一泊で楽々行ける場所だ、父とは一度だけ会ったことがあるようだが言葉は交わしていないという
Sさんの父親は、私の祖母と母違いの姉弟である





初めての家族葬体験

2020年12月29日 18時05分00秒 | 時代検証
コロナ以後、初めて親戚の家族葬に参加しました
200人ほど入る葬儀場に20名足らずでの本葬でした
2年前の父母の葬儀が盛大だっただけに随分と味気なく、寂しいお葬式でした
私は商売柄、数多くの葬儀の体験をしてきましたが、それらの常識が全く通用しない昨今です
お世話になっている方や親せきに「お席の用意がしてあるので葬儀の後で、おときについてください」
というセリフも使うことができなくなりましたね、「お帰りの際、御弁当が用意してありますので、お持ち帰りください」ですね
それと一般会葬者と親戚の葬儀式は時間がずれているので、ずいぶんとややっこしくて時間の確認がたいへんでした
火葬場に行く人数も8名以下と限定されているし、火葬場から入場の許可が出るまで駐車場で車から出ないでお待ちください
入場の際はアルコール消毒と検温が欠かせない

納骨の法要にしても親戚全員に声をかけるのか、それとも家族だけで執り行うのかも迷うところ
今までは、親族全員参加は常識だったが、今は呼ぶ方も呼ばれる方も、行きたいけれど行きたくない、呼びたいけど呼びたくない
複雑な気持ちです



社会貢献とGotoトラベル

2020年12月26日 20時31分36秒 | yottin日記
Gotoトラベルを町の活性化に使う なるほど!そういう使い方もあったか
隣町にも営業所を持つ市内の会社が 市内の旅行社に申し込んで
市内の温泉宿に泊まり、当店で会社の忘年会をしてくれた
会社はGotoの恩恵を受け、当社も恩恵を受け、旅行社も温泉宿も、当店から宿まで送るタクシー会社も恩恵を受ける
しかも感染者がいない町の中だけでの移動や会食だ
これは使える、さすがは町のリーダーの一人、社会性をもった考え方をしている

さて、お客様のためにどんな貢献ができるか? 年末年始にかけて考えてみよう






関越自動車道 大雪で2日間立ち往生の災難

2020年12月18日 15時33分23秒 | 自然災害
厳冬、豪雪の関越道で1日半立ち往生のみなさんには、お気の毒さまとしか言いようがない
私も冬にたまに走る高速道だから、もしかしたら巻き込まれていたかもしれない
現場の自治体や高速道の管理者も大雪でてんてこ舞いして大変だろうけど、もっと早く高速道から少しずつ下ろすことはできなかったのだろうか?
もっともあそこは下りても国道17号一本しかないから、そっちも渋滞するだろうし、大雪の急こう配、カーブ連続の三国峠越えもできないだろう
でもホテルが多い場所だから、
そこにドライバーを避難させることはできなかったのか?
などと無責任に外野は言うけれど、現場の人がやらないのはできる状況でないからだろう、
いずれにしても助ける方も閉じ込められた方も気の毒である

そもそも初雪同然なのに、一晩で1m以上も積もるなどは雪国と言えども近年にはない降り方だ
幸いと言っては何だが、私の町では最初に15cmほど積もっただけで、今日も昨日も曇りで雪は消えた

昭和61年だったか、あの時は1週間降り続けて、我が家の屋根にも圧縮された重い雪が2mも積もった
雪下ろししようにも、地面にも1m以上積もっていて雪のやり場がない、幹線道路を停めて、市内一斉の雪下ろしをした記憶がある

まったく雪は生活の邪魔になるばかり、しかも高齢者には除雪作業が体に応える、今日も80近い魚屋さんが足を引きづっている
聞いてみたら、雪かきで腰を痛めたのだといていた、高齢者が足腰を痛めると回復がむつかしい
ところが、雪の中でも飛び跳ねているのは小学生だ、学校帰りの歩道で雪を投げ合い走る、子供だけが冬元気だ
寒風の中でも雪だるまを作るのに夢中になっている
私にも、そんな時代があったのだ、もうあれから60年もたつのか

昨日も今日も魚屋の時代に戻って忙しく働く自分の夢を見た
市場でたくさん魚を買って、疲れも知らずそれを自動車に積み込む、30年くらいまではそんな風に働いていた
あの元気はつらつとしていた30代40代さえも遠い過去になった、今でも元気だと思っているが、無理をすると怪我をしかねない

昨日は4時過ぎに地元温泉に行ったが、駐車場に軽トラなどが密集していたのを見て、入らずに退散してきたが
なぜあんなに人がいたのか今朝わかった、4時から高齢者の入浴料が割引になるのだそうだ、なるほど!
それなら今度は2時ころに行こう、きっと空いているだろう


昨日、県知事がコロナ警報を発令した、東京のように時短要請まではしないけれど保守的な田舎の人は自発的に自粛体制に入る
これが奥羽越後人の、御上に従順な人間性なのだ、おかげでわれらの商売は振出しに戻ったが、今はアイデアが浮かび始めている
いよいよ令和3年は勝負の年になる、自分に生き抜く力があるのか、ただのバカ者なのかがはっきりする
こういう時代こそ人間の真価が問われるのだ、空元気でもいいからエンジン全開だ、やればわかる

50年の商売人生で体験したどん底の売上は一か月で一日分の売上高、ここが70歳の原点だ、残る人生でどこまで上り詰めるか
「お楽しみお楽しみ!」

コロナ下の通夜式

2020年12月14日 17時51分38秒 |  コロナ騒動
取引先の四十物師(あいものし=干物などを作るプロ)のおじさんが作業中に梯子から落ちて亡くなりました
今、通夜に行って戻ってきました、通夜も一般参列者は一時間の間に弔問、通夜式には参加しません、その後、家族だけで僧侶と行います
コロナ流行になって葬儀や通夜に出たのは初めてです、なぜなのかわかりません

今日は深夜から激しい雨風、海には落雷が続き騒がしい夜でした、朝からも冷たい雨、時々みぞれが降りました
通夜に向かう途中も相変わらずで、冬至が近い今は5時前に暗くなり、車のウィンドウも曇りがち、走りづらくて仕方ありません
山間部から来たのか、屋根に雪を数センチ積んだ車も見かけました

式場に行ったけれど私の他に弔問客は一人だけ、この天候では出足も鈍いでしょうが明日は雪マークでもっと荒れそう
喪主にあいさつをして香典を渡す前に手の消毒、それから香典を出しましたが焼香場所もなく香典返しをもって帰るだけ
喪主が「よかったら顔を見ていってください」というので、ようやく通夜に来た気分になりました
事故死なのでいつもと同じ表情でした、良く働いた人で80歳半ば近くまで現役で地元名産のげんげ干物などを作り続けた人生
そして作業中に亡くなりました、本望とは言えませんが働き者のお父さんらしいおしまいだったと思うのです

それにしてもさみしいですね、やはり大勢の人から焼香を頂き、見送られるのは本人はともかく家族は心強いでしょうけど
私の父母はコロナ前、2~3年前に亡くなりましたけど、今になって思えばよかったと思います、二人とも2~300人の知人から見送ってもらったのだから
まあそれは人の考え方ですから大勢来てくれれば良いとばかりも言えませんが、私の経験では故人の遺言で、大好きな演歌を流し続けた葬儀もありました
祭壇を故人が大好きだったゴルフのグリーンに作った葬儀もありました
葬儀場が取引先や友人知人から送られた数百の生花でいっぱいになった葬儀もありました、生前の社会性がしのばれます

でも戦後の日本の独立に吉田茂総理と働いた白洲次郎さんのように遺言に「葬式するな、戒名つけるな」などと言う、さっぱりした人もおられます
葬儀を人生最後のイベントととらえる人、無駄ごとととらえる人、人さまざまです
私の両親の場合は埋葬の墓地について言い残しただけで、葬儀の仕方などは何も言わなかったので世間並みの通りにしました
だけど知っているようで知らないのが葬儀、お客様の数百回の葬儀に立ち会ってきましたが自分の事になると穴だらけでした








いまどき「エール」を見てる

2020年12月11日 19時20分41秒 | 映画/ドラマ/アニメ
撮りためておいた「エール」を見ている
完全に出遅れたので、見る気にもならなかったけどブロ友さんの評判がとてもいいので録画だけはしておいた
新ドラマ「ちょっちゃん」が始まって、今度は出遅れまいと第一話から見ているが子役がうますぎてハマった
*おちょやん だった!(苦笑)
それにしても朝ドラのいつものパターンだけど、子役がうますぎて突然「8年後」とかなって大人になったヒロインが出てくるとイメージについていけん
子役の面影がどこにもない、今の子役も(名前はしらん)ほんとにいい演技をして心にジーンと来るのだ
大人役はしばらく見んと、良し悪しはわからん
「ちょっちゃん」は毎日一話だからすぐ終わる、だから「エール」を続けて五話くらいずつ見るのだ、見だしたら面白い

浪花千栄子がモデルだそうだ、本名が「なんこうきくの」なので、軟膏の会社からCMオファーを請けたエピソードをラジオで聞いた

私の子供時代のお笑い芸人? 
横山エンタツ、柳家金五郎 花菱アチャコなどの同年代かな?出てくるかな?
そういえば藤山寛美、トニー谷とかも活躍してた、時代の前後はわからないけど

朝ドラの魅力は父や祖父たちが生きた時代を見ることができるところだ
明治、大正、昭和、戦争、復興、この流れが一番興味がある。 戦国時代や幕末はめっぽう詳しいけれど
明治、大正、昭和前期は知らないことが多すぎる、明治維新が起こり武士の時代が終わり、日本の西洋化、近代化が始まり戦争の時代に入っていく
敗戦、戦後の復興、その間に幾多の政治家、軍人が歴史の主役になっていった、でもその人物像や功績はほとんど知らない
今、「吉田茂」を読み終えようとしている、イギリス通の吉田は戦争反対派であった、戦後は敗戦国のトップとして戦勝国との対応に明け暮れた
日本が独立国でなく戦勝国に占領されている時代の総理大臣として、日本のプライドをどう守るかに明け暮れた
ずっと前にドラマで「白洲次郎」の物語を見た、あれを見て以来、歴史上もっともかっこいい日本人は白洲次郎だと思っている
吉田総理の片腕として米英と渡り合った外交官だ、その生きざまもかっこいいし、英国仕込みのダンディな姿、顔もかっこいい

近頃また政治家の金銭問題が出てきた、小物だと思う
数百万、数千万の金で魂を売る汚い政治家(ではないだろう)、その点、吉田茂はかっこいい
吉田茂の孫である麻生太郎が豆腐の値段を知らないと言って非難されたとか言うが
金銭に無頓着なくらいの政治家の方が金権政治家にならなくて良いのではないだろうか
誰に対しても正面からモノが言えるのは素晴らしいことだ、そうでなくては一流の政治はできない
吉田茂を読み終えれば、今度は山本五十六と共に開戦反対派だった「米内光正」を読む、それを読み終えたら「白洲次郎」を読む
昭和14年ころから昭和27年までの戦争を中心に置いた政治家と外交官と軍人の生きざまを読む
いままで自分の中で白紙だった時代の空白を埋めていく。 この時代は幕末の動乱にも劣らぬ人々の交錯と戦いがある





秋 Gotoトラベルの想いで 国営越後丘陵公園

2020年12月10日 08時29分40秒 | ドライブ
また旅に出ずらいようになってきた
都会は医療崩壊が起きつつあるというのに、Gotoトラベルは健在
観光大国北海道の危機はどっと入り込んだ旅行者とは関係ないのだろうか?
65歳以上を封鎖して、それ以下は変わらぬ恩恵で旅行に出ていく
たしかに旅行社、観光地、宿は息を吹き返している、同じ痛みを感じる私に恩恵は伝わってくる
だがこのまま増えていけばどうなるのだろうという不安はある
同じ使う国家予算なら、もう少しやり方はあると思うが
国家公務員の英知を集めて、地に足ついたどっしりとした政策をやってもらいたい








インフルエンザワクチンを打ってきた

2020年12月04日 23時10分59秒 | 病気と健康
久しぶりに緊張した
ここの医院の看護婦さんは、先生の性格のせいなのか、みんなフレンドリーだ
「yottinさん 何歳?65歳になった?」「70歳」
「今はみんな若いから歳がわからないわ」
ちょっと緊張がほぐれた
「去年打った?」「初めてだよ」「えっ、じゃぁこれ読んでサインして」
副作用の手引きを見て、一瞬やめようかなと弱気が
それでもまな板の鯉、仕方なく腕を出した
針が入った、チクッのチくらい、これから液が入るときが少し痛いって、つーくんから聞いた
少しも痛くないうちに針は抜けた、唖然!
「先生!ぜんぜん痛くないですね」「あっ そう?、体質が合う人がいるんだよな」
「ああ 体質合っているんですかね」
「年明けに肺炎球菌もやろうか? インフルより痛くないよ」
「インフルが痛くないから、もっと痛くないってどれくらい痛くないんだろう?」
で、予防接種に自信を持った私は3月までに肺炎球菌ワクチンを打ち、毎年インフルエンザワクチンも打つことに決めたのでした