6月26日午後1時より 『 東寺食堂 ( じきどう ) 』 にて
三浦俊良先生のご葬儀が執り行われました。
私は親族席にて読経いたしました。
式の中で一番心に残ったことは 『 京都市長さんの弔辞 』 でした。
通り一遍の弔辞ではなく、三浦先生と出会われ、その教育方針に敬服し、
ご自身も、自ら自分は先生の弟子である、と名乗っておられ、
そして、三浦先生がされたように、今ご自身も、
毎朝、先頭に立って職員の方々に挨拶をされ、トイレ掃除もされ、
三浦先生の行ってこられたように、自分自身も実践しているということでした。
今後も、京都市政を先生の言葉を頼りとして実践していく、
という決意を述べておられました。
その一言一言頷くように、先生のお顔は微笑んでおられました。
最後のお別れになると、幼稚園の子どもさんから生徒のみなさん、
存じ上げませんけど政財界の方、たぶん卒業生の方々にはいろいろな職種で
活躍しておられる方もいらっしゃたのでしょう、
それぞれに、お花を一輪手向けてお名残を惜しんでおられました。
最後に 『 西京極幼稚園 』 の園児さん手作りのお別れの花輪が
お棺に納められました。
また、西京極幼稚園の卒園児でもある
『 由美かおるさん 』 からも献花が届き、
園児さんのお別れの花輪と並んで飾ってありました。
2時半出棺の予定が、お参りの方が途切れることなく、
3時過ぎに 「 お山 」 へと向かいました。
お山から帰ると、先生の自坊である 東寺塔頭 「 宝菩提院 」 にて
ご縁のある方々と 「 初七日 」 の法要を勤めました。
今日 28日 「 お不動さま 」 では 法話の時、
先生のことをお話させていただきました。
ご信徒の方々には京都旅行の折、先生と出会われた方も多く
思い出されて、涙されてる方もお見受けいたしました。
これからが 「 私の本番 」 のような気がします。
先生がいらっしゃるということで、どこか心の中で甘えていたようです。
先生から受けた数々の教え、自分自身としてどのように実践するか
そのことを先生から最後の宿題としていただいたように感じます。
ますます、自分に厳しく歩んでいかなければなりません。
三浦俊良先生のご葬儀が執り行われました。
私は親族席にて読経いたしました。
式の中で一番心に残ったことは 『 京都市長さんの弔辞 』 でした。
通り一遍の弔辞ではなく、三浦先生と出会われ、その教育方針に敬服し、
ご自身も、自ら自分は先生の弟子である、と名乗っておられ、
そして、三浦先生がされたように、今ご自身も、
毎朝、先頭に立って職員の方々に挨拶をされ、トイレ掃除もされ、
三浦先生の行ってこられたように、自分自身も実践しているということでした。
今後も、京都市政を先生の言葉を頼りとして実践していく、
という決意を述べておられました。
その一言一言頷くように、先生のお顔は微笑んでおられました。
最後のお別れになると、幼稚園の子どもさんから生徒のみなさん、
存じ上げませんけど政財界の方、たぶん卒業生の方々にはいろいろな職種で
活躍しておられる方もいらっしゃたのでしょう、
それぞれに、お花を一輪手向けてお名残を惜しんでおられました。
最後に 『 西京極幼稚園 』 の園児さん手作りのお別れの花輪が
お棺に納められました。
また、西京極幼稚園の卒園児でもある
『 由美かおるさん 』 からも献花が届き、
園児さんのお別れの花輪と並んで飾ってありました。
2時半出棺の予定が、お参りの方が途切れることなく、
3時過ぎに 「 お山 」 へと向かいました。
お山から帰ると、先生の自坊である 東寺塔頭 「 宝菩提院 」 にて
ご縁のある方々と 「 初七日 」 の法要を勤めました。
今日 28日 「 お不動さま 」 では 法話の時、
先生のことをお話させていただきました。
ご信徒の方々には京都旅行の折、先生と出会われた方も多く
思い出されて、涙されてる方もお見受けいたしました。
これからが 「 私の本番 」 のような気がします。
先生がいらっしゃるということで、どこか心の中で甘えていたようです。
先生から受けた数々の教え、自分自身としてどのように実践するか
そのことを先生から最後の宿題としていただいたように感じます。
ますます、自分に厳しく歩んでいかなければなりません。
先生の写真、折り紙の写真、ブログに掲載したいので借用させてください。お願いします。
ご参拝いただき誠にありがとうございます。
返事が遅くなりました。
写真の件ですが、どうぞご自由にお使い下さい。
それから、竹内さんのブログですが、
アドレスをもう一度教えてください。
ありがとうございます。写真拝借いたします。
西京極幼稚園の生徒さんたちが描いた俊良先生の顔は
そっくりですね。生徒さんたちの目に映る俊良先生は
あのようにやさしいかったんですね。
ブログのアドレスは下記のとおりです。
http://rokucita.blogspot.com/
私は、今!何気に「西京極幼稚園」を検索したら、園長先生が去年に亡くなられたと、このブログで知りました。
園長先生は良く、私の亡くなった祖母や母に「由美かおるさんは西京極幼稚園の卒園者何ですよ。」と良く言ってはったと母に聞いた事があります。
私は何年か前に、「西京極幼稚園」を検索した時は、園長先生はもう90歳を越えてらっしゃるのに、今もお元気でビックリしました。
私の園長先生の思い出は、あまり覚えてはいないのですが、
いつも「笑顔」やったのを思い出されます。
園長先生!安らかお眠り下さいませ。
合掌!
私も、その頃、お遊戯会や運動会といろいろ
お手伝いをしておりました。
お会いしていたのでしょうね。
三浦先生のお顔はとても安らかで、すべてのことを成し終えた、という「ほとけさま」のようなお顔でした。
今年もお遊戯会にはお邪魔したいと思っております。
西京極幼稚園も是非、お訪ねしてみてください、
先生の思い出が蘇ると思いますよ。
ありがとうございます。
35年前に住職さんも西京極幼稚園にいらしたのですね!
本当に不思議なご縁ですよね。
ちなみにその当時の私の学級の幼稚園の先生は、小原(おばら)先生と言うお名前でした。覚えてらっしゃいますか?
西京極幼稚園で年に数回、「きつねうどん」が出た事がありました。
今もあの、「きつねうどん」の味を忘れません。
西京極幼稚園に一度遊びに行きたいですね。
今の先生方ではたぶんわかる方はいらっしゃらないと思います。
もしかして、三上先生はご存じかも ??
「きつねうどん」も懐かしいですね!
ご近所の田辺さんとか北尾さんなどなどの方々が
お手伝いをされて作っておられました。
東寺もそうでしたが、お昼はうどんに決まっていました。それもキツネです。
東寺は刻んだお揚げさんでした。幼稚園は甘く煮たものだったと思います。
懐かしいお便りありがとうございます。