本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

十地の難関

2024-03-28 21:04:08 | 十地経

有名なのは

「七地沈空の難」

ということがあります

空に沈むという

何か分かったけど

力が出てこんという

空に沈むという難が

あるわけです。

 

前に出てきた

前上地勝差別という

前の地にも勝れ

また、後の地にも勝れて

いるという

前の地が六地以前です

その地に勝れている

ということは分かる

後の地にも勝れている

後の地ですから八地、

九地、十地です。

 

七地はそういう

前にも後にも勝れている

という特色を持っている。

そういうことが

また別の角度から

述べられています。

 

未証浄心の菩薩

浄心の菩薩

上地の菩薩、と

こういう菩薩が登場します

 

未証ですから

今ださとり(証)を

得ていない菩薩です

けど浄心である

未証浄心の菩薩

何かとてもいい名前ですね

 

「前と上とに勝れておる

という。

未証浄心の、これは前、

前地ですね。

浄心の菩薩、これがまあ

八地じゃないですか、

浄心というのは。

それから上地というのは

九地、十地。

浄心の菩薩と上地の菩薩。

 

だから八地も入るわけです

浄心というもので、

上地が成り立ってくる。

未証浄心は全く浄心という

ものにまだ触れん場合、

このような言葉で

表しているんです。

 

この浄心というのが

つまり無功用心です。

無功用。

功用、努力を超えた心です

 

だからここに大きな溝が

あるわけです。

この溝を超える

というんだから、これは、

飛躍です。

 

未証浄心が浄心に転ずる

だからこれは

一から、六、七地までと。

一地から七地までと

八地以上と、

そこに大きな難関が

横たわっている。

 

これなんか、

やっぱり、人間の成長、

人間の精神の展開、

その宗教心の展開ですけど、

宗教心というだけじゃ

なしにもう人間そのものが

展開するときに、

いつでもこういう形をとる

 

難関ということを

別の言葉でいえば

失敗ということになる。

せっかく積み上げてきた

ものが元も子もなくなる

というような失敗や。

 

人間は、やらん人間は

失敗もせんけど。

しかし失敗せん人間は

まだ一人前じゃないでしょ。

何もせん人間は、

それは話にならんけど。

 

何かやりださなければ、

やりだすという時に

もう十地があるわけだ。

精神があるわけです、

その場合。

 

しかしやりだしても

失敗のない人というのは

これはその、

その精神というものは

永遠に未完成じゃないか。

未完成に終わるじゃないか

 

失敗したことのない精神

というものは生活しとらん

生活がないんや。

つまり

嫌なことを避けてきた

だけなんだ。

嫌なことは避けると、

汚れることはやめると、

それは生活はない。

 

だからして

精神の成長には、

失敗ということがある。

失敗したらいい

というものじゃない。

失敗を見出して

さらにそれを超えていく

という。」

 

何ごとも実践していくと

いうことは

見直してみると

十地という段階を踏んでいる

ように思います。

なかなかきつい失敗も

受け入れるのは大変です。

 

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 柳緑花紅(りゅうりょくかこう) | トップ | 仏教は何のためなのか »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

十地経」カテゴリの最新記事