本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

怒りの構造

2016-12-01 21:22:18 | 住職の活動日記

アンガーマネージメント、

そういえば、仏教ではもうすでに

西暦400年ごろには、

その心の構造を明らかにしています。

その経典は『唯識』(ゆいしき)といわれています。

世親(せしん)という方が大成されています。

今の、パキスタン・ペシャーワルの出身、

この地域からはたくさんの仏教者が

現れておられます。

テレビとかでこの地を見ると、

不思議に感じるのですが、

こういうところなればこそ

本当の仏教の実践家が

生まれたのでしょう。

 

怒りの代表は「瞋」(しん)

という言葉で表します。

この怒りが出てくる元には

本当の自分がわからないということ

があります。

本当の自分がわからないから

本当でない自分を本当の自分と

勘違いしてくるところから

問題は起こってきます。

 

本当の自分でないというのなら

そのままにして置けばいいのですが

そこに本当の自分でないものを

本当の自分と固執してしまいます。

そして、

固執すると自分が可愛いと

ますます、本当でない自分を

本当の自分と執着してしまうのです。

 

その結果、

自分に都合の悪いものを憎む

これが「瞋」という怒りです。

反対に、

自分に都合のいいものを愛する

それが貪りという「貪」(とん)

ということになります。

 

そのなかで、

怒りの発展形を五つに分けて

分析しています。

1.先ず最初は、「忿」(ふん)

都合の悪いものにムカッとした

という軽い怒りです。

 

2・その次が「恨」(こん)という

怒りです。

忿が起こってもこれを忘れて

しまえばいいのですが、

忘れずに残った場合を恨といいます。

初めにムカッとした心が捨てられなくて

そうして怨みを懐くのを「恨」といいます。

 

3.次には「悩」(のう)という心に

発展してきます。

追体験ということがあります。

むっかとした事も忘れてしまえば

いいのですが、

恨という形で残り、

今度はその心が

まざまざと思い出されてくる。

その追体験する心を「悩」と、

経典には面白い言葉で、

「蛆螫」(だつしゃく)という、

挟んで刺す、

蛆(だつ)はキュウッと挟む

螫(しゃく)は刺す、

という表現をとっています。

つまり、サソリのような根性になる

ということでしょう。

ムカッとした心が忘れられず

その心で胸がかきむしられ

いても立っても居られぬ、

ということです。

 

4.次は「害」(がい)

この心は「忿」の完成形です。

害ですから、相手に危害を加えると、

ムカッとした心が発展してくると

ついには相手を叩き潰そうとしてくるのです。

 

怒りの心も

忿→恨→悩→害、と発展してきます。

 

そして、別な形の怒りというものも

あるのです。

5.最後に「嫉」という怒り。

腹が立つというのですが、

これも妙な煩悩で、

人が栄えて、いい目をする

ということに対する怒り、

自分には直接関係ないのですが、

人が金儲けをした事が許せない

という心です。

やはり、

自分が金儲けをしたいものだから

人が金儲けしたことが辛抱できない

という形です。

これは人間の野心がもたらす

煩悩なのです。

 

これも怒りにつながってくるので

怒りの煩悩の発展系の一つに

含むのです。

 

仏教ではこの心の構造を

よく認識しなさいと、いうのです。

迷いのあり方を知る、

別に気をそらすのではなく

怒りの起こるあり方を

よくよく認識せよと、

こういうことをいいます。

 

認識することが智慧なのです。

知らないから迷う、

今起こっている心の状態を

自分で分析できる

それが、アンガーマネージメント

にもつながってくるのでは

ないかと思います。

 

 

 

 

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