gooブログはじめました!

写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

「能」を知る 7 “和風”の演劇論   AIと戦争

2024-03-26 10:40:50 | 日記
A.演出家もリハーサルもない演劇
 西洋の演劇では脚本があり、演出家がいて、開幕までに何日もかけてリハーサルをして、俳優たちはその中で演技を作り上げるのが普通だ。映画などはさらに細かいシーンとカットを別々に何度も繰り返し撮って編集する。日本でも普通に演劇といえば、歌舞伎を含め演出家の役割は舞台全体を支配するほどの役割がある。音楽でも複数の楽器で合奏する時は指揮者のような役割が必要になる。しかし、能では演出家もリハーサルもほぼないのである。上演前に役者と囃子方などが簡単な「申し合わせ」という合意をして、いきなり舞台が始まってしまうという。始まったら途中で役者が具合が悪くなって万一倒れたりしても、即座に後ろに控える後見という役回りの人が続きを演じて最後まで能を完成させる。後見はある意味、始まった能をすべて見守り、進行を取り仕切る指揮者のようなものと言えそうだが、囃子方を含めどうしてそんなことが可能なのか。それは「型」というものの蓄積があるからではないか、と内田氏はここで語っている。

「内田 能はリハーサルをしない上演形式を持つ稀有の芸能ですね。基本的に一回しかやらないんですよね。
観世 はい。
松岡 そのリハーサルを「申し合わせ」といいますが、基本的には面は着けずにやりますよね。
観世 着けませんですね。
松岡 本番で面を着けることの意味というか、そこに「かける」ということなんでしょうか。
観世 ですね。ですから普段の日常の稽古も、やはり作り物があったり、面があったり、すべてを想定して総合的に稽古を積まないとダメなのです。
 よくシテの木偶の坊というのがあるのです、シテが自己中心的で配慮が足りない。シテというのは舞台上いちばん偉いから、えばってやりゃいいんだ、じゃないのです。先代の家元の舞台で、今日の『松風』のツレなどを何度かさせていただいているなかで、やはり、ああ、この人はこんなところまで神経を生き渡らせているのだなあと実感することが何度もありました。そういうものの蓄積というか、そういうものがないと、またわからないと、ダメなのではないでしょうか。
内田 能楽だけじゃないですか。おシテの方が演能中に倒れても、そのまま後見の方が続きを舞うというのは。ほかの芸能では、バレエやってる最中にプリマが倒れたら、幕をおろして、「はい、今日はこれで終演です」ということになりますよね。能楽だけはどんなことがあっても最後までやる。
松岡 どうしてそういうふうになるんでしょう。
観世 室町時代はわかりませんが、江戸期に入って、「式楽」になっていく中で、お城の舞台でいたしますものですから、お城の時の心得というのでしょうか、中断は絶対しないというのが。
 逆に公方様がご公務がおありなのに、延々とお能を長くやってしまって、大目付からたいへんなご叱責を受けたという記録もありますし、やはり歴史的な意味もあるのではないのでしょうか。
内田 でも、幽霊とか祟り神とか、この世ならぬものが舞台に降臨してシテに憑依しているわけですから、依代が途中でいなくなってはすまされない。そのままにしておくと、見所の皆様はじめいろいろと霊的な障りが出るから。最後まできちんと舞い納めてからもとの世界に戻っていただかないと、収まりがつかないということかな、と思っていたんですが。
観世 それも十分あると思います。『翁』、脇(わき)能(シテが神の能、初番目物)、二番目物(シテが武将の能、修羅(しゅら)物)、三番目物(シテが優美な女性の能、鬘(かずら)物)、四番目物(その他の雑多な能)、切能(シテが鬼神や鬼畜の能、五番目物)が、江戸時代の式楽としての正式な番組編成だったわけですが、ある学者先生が、そのように正式な「翁付五番立(おきなづけごばんだて)」ではないのに附祝言(つけしゅうげん)(演能の最後に祝言を謡う)なんてちゃんちゃらおかしいといわれた。それに対して、「いや、そうじゃないんだ」と。「いろんな喜怒哀楽があるけれども、こういう諸芸能というのは、最後は寿(ことほ)ぎの言葉で(霊を)返してやらなきゃいけないんだ。だから二番立の能でも附祝言はやるべきだ」っておっしゃった先生がいらっしゃいます。
内田 最後が祝福の言葉で終わるというのは実に良いですね。
 いかに自我の自縛から逃れられるか
松岡 能の、たとえば『土蜘蛛』のシテを舞台でやられた時の体のあり方なんていうのは、武道とどういうふうに違い、どういうふうに重なるのでしょうか。
内田 装束着けて、面掛けていると、普通のようには歩けないんです。すり足で舞台を歩くこと自体が大変な仕事なんです。できなくて、できなくて。どうしてこんなに動けないんだろうと困り果てていたんです。それでも下手は下手なりに、稽古を重ねていくうちに動きの角が取れてくる。あるとき舞囃子の申し合わせのときに、角取り(舞台の角で向きを変える)をして、左に回る時に、すごくいい感じで体が回ったことがあるんです。その時はお囃子に引っ張られたんですね。体がねじれるように引かれた。自分の意志で動いたわけじゃない。囃子に引かれて、体が向こうに行きたがった。地謡が加わると、また体を引く力、推す力が変わってくる。それまでは道順を覚えて、頭の中で動きの下絵を描いて、その通りに歩いていたんです。常座(舞台の向かって左奥)に行って、足かけて、三歩行って、行キガカリ‥‥…というふうに。でも、ある時から、もっと受動的な状態で動いた方がいいんじゃないかと思うようになって。
 その時に型って実によくできてるなと思いました。今まで自分が下手だったのは、身体を中枢的に統御して、自分で動かそうとしていたからだということがわかりました。うまく体を使おうと頭で考えていたのが間違いのもとだったんです。舞台の上には、さまざまなファクターが行き交っているわけですよね。囃子も、地謡も、ワキ方や狂言方や、作り物も、どれもがシテに向かってある種のシグナルを発している。そのシグナルにそのつど適切に反応してると、立つべき場所が決まり、進むべき必然的な一本の線が見えてくる。そういうふうに能の型ができているということが何となくわかったんです。
観世 角取りをされて、左へ回られたときにお囃子方に引っ張られる。おっしゃる通り、私どももやっぱり舞事で、たとえば角取って左手へ、思わずお囃子の気迫に引っ張られる、そういうこともあります。
 残念ながら逆のこともあります。全く気迫のないというか…。申し合わせはいたしますけれども、やはりそこのところが、当日、実際の楽器を使って演奏してみて、上りがいい悪いという事もあります。それとシテの思いとお囃子方の思いが、本番を迎えるまでどうも相性の具合が悪いということもあります。生きた芸ですので、稽古の通りとはいかない。
内田 先日、初能で『土蜘蛛』をやったんです。1年間たっぷり稽古して、謡も道順もきちんと覚えたつもりで本番を迎えたんですけど、後シテのときに、装束を着けて、面を着けて、作り物に入って座って待っていると、とにかく衣装が重くて、作り物の中だから、めちゃくちゃに暑いんですよ。面を掛けて、鬘も着けてますから、汗がだらだら出て、後ろではお囃子がすごい音で迫ってくるし、そうやって待っているうちに、少し意識が遠くなって。「ああ、もうダメだ」というき分になってきた。そこにワキが襲いかかってきたので、作り物をばりばりと破って。外へ飛び出し、とにかく必死になって逃げ回って、蜘蛛の巣をまき散らしながら、最後はばったり倒れた。でも、考えてみたら『土蜘蛛』の後シテというのは、穴の中にこもっていたら、怖い顔して武者たちに斬り立てられて、蜘蛛の巣をまき散らしながら逃げ回って、最後に討たれて死んじゃうわけですから、僕がそのときのパニック状態は土蜘蛛の現実そのままだったわけです。
 終わったあと、道順間違えたんじゃないかなとか、巣を飛ばすの失敗したんじゃないかなと不安になって、「どうも不出来ですいませんでした」と謝っていたら、専制から「いや、良かったよ、今日は」って言われて、「え、あれで良かったんですか」って(笑)。道順だけは何とか体が覚えていてくれたんですけれど、頭が真っ白になってしまっていたので、どこをどう動いたかなんて覚えていないんです。もう囃子に急き立てられ、ワキ方に追い詰められ、徹底的にパッシブ(受動的)になっていて。見者にいいところを見せようなんて余裕がもうまるでありませんでした。それがかえって良かったんじゃなかったんですかね。
松岡 徹底的にパッシブになるというところが、たぶんとても重要な能のポイントではないかなという気がしますね。たとえば「カマエ」は腰をこう入れて、能の基本のかたちとしてやりますけれども、あれもやっぱりパッシブなんですよね。能動的にやってくんではなくて、こっちで受け身として備えているという、それが能の基本的な姿勢であると。だから言葉でもそういうふうなとらえ方がされてるんじゃないでしょうか。
内田 詞章もそうですね。相手の言葉を受けての掛け言葉とか、お互いにフレーズを紡いでいって、台詞を合作するような感じですからね。能舞台に上がったときのシテ方の基本的な構えというのは、心身の感度を最高に上げて、この三間四方の舞台に行き交っているシグナルを何一つ聞き落とさないように、適切に反応していくということなんじゃないでしょうか。例えば、指先をどう動かすかなんてことに集中していたら、足のことは忘れちゃいますしね。すべてのシグナルに対してセンサーの感度を上げていると、もう入力が多すぎて中枢的なコントロールが効かなくなる。それがいいんじゃないでしょうか。それだと自然に動けるようになる、と。そういうことじゃないかと思うんです。
 舞をやっていて思ったんですけれど、紋付きの紋て五つ付いているじゃないですか。背中に三つ前に二つ。背中の方が多いんですよね。一番大きな紋は背中の真中にある。「紋を背負う」という意識を持つと背中の紋が体軸の中央に、ゆがまずに見えるように動くことを気づかうわけですけれど、そのためには後方斜め後ろ2メートルぐらいのところから自分を見てるような想像的な視座を想定しないといけない。自分の眼では自分の背中を見ることはできませんから。自分の背中の紋がきれいに見えるように動いているか自己点検するとき、もうその段階で意識は主体から離脱してるわけですよね。
松岡 世阿弥が言ってる「離見の見」というのがまさにそういうことですよね
内田 そういうことだと思います。
観世 『松風』の前半はあまり型がございません。ロンギ(掛合で謡われる問答)の「汐汲」の型のときに、常に、己がどういう格好でやっているのかな、と。たとえば水衣の前がはだけていないかなとか、かなりアンテナを張った状態です。ですから集中はしているのですけれども、それこそ先ほどの内田先生の離脱ではないのですけれども、何となく見えるときがあるのです。自分がやっている姿を第三者的に見ている自分がそこにいるという事を実感することがあります。
松岡 能と武道というのは、結構歴史的にもつながるところがあると思うんですね。
内田 ありますね。
松岡 たとえば金春氏勝という金春の大夫が戦国期にいますけれども、柳生石舟斎から新陰流(剣術の流派、十六世紀中頃に成立)の免許を与えられています。だから彼は能を舞うよりも、新陰流の武道家として強かった人間なんですね。観世の大夫にはそういう人はあまりいないと思うんですけど、金春流はとくにそうでして。それから金春禅鳳という金春禅竹の孫がいますけれども、この人なんか平方と鞠が能に近いというふうなことをはっきり言ってるんですよ。鞠というのは蹴鞠ですね。蹴鞠と能ってどういうふうに関係づけたらいいでしょうか。
内田 それは面白いな。今で言えばサッカーですよね。
松岡 まあそうですね。フットサルみたいな。
内田 ええ。ボールゲームというのはたしかに「離見の見」がないとできないんですよ。グラウンドレベルでボールを見ていただけではプレーできない。「スキャン」と言うんですけど、グラウンド全体を上空から見下ろす能力がないとファンタスティックなプレーはできないんです。
松岡 上からの上空飛行的視点がないと。」観世清和・内田樹『能はこんなに面白い!』小学館、2013年。pp.201-208.

 武道と能の類似点について、武道家でもある内田氏は体験的に語っているわけだが、たとえば合気道の「氣」というのは、肉体の鍛錬、筋肉の使い方というだけではなく、人の身体を統御する中枢機関・脳の指揮で四肢を動かすというのではなく、体内の「氣」を相手や状況に合わせて自在に対応する訓練なのだろう。ぼくも少し習ったことがあるが、体幹を整えてぐっと「氣」を落とすと、地に足を着けているという感覚になって、身体が安定していくことがわかる。能はそれを「型」として身につけ、考えなくてもそれが自然にできるようになるまで稽古するわけだ。それは“和”の精神というほかない。


B.新世AI 
 戦争というものを日本人の多くは、実際に経験していない。それは平和で有難いことだけれど、それゆえにぼくらの戦争観というものは20世紀なかばで止まっているかもしれない。小銃、大砲、戦車、ミサイル、戦闘機といったアイテムでそれに人が乗って敵を迎え撃ち殺し合うのが戦争だと。しかし、いまや戦争は本質は残酷な殺し合いであることは変わらないとしても、兵器という道具とその使い方は、20世紀とは大きく変わっているようだ。だとすると、戦争というもののイメージを変える必要がある。もう人間が戦場に出て銃で敵を撃つ、というような「人間的」な戦闘は限られたものになり、ドローンとハイテクで無人機が飛び交うのが戦争になったみたいだ。でも、人はもっと簡単に殺されている。

「変わる戦場 まるで「ゲーム」 薄れる抵抗感 広がる犠牲
 今年1月、イスラエルの商都テルアビブ、地中海を臨む高層ビルに米データ解析企業「パランティア・テクノロジーズ」のアレックス・カープ最高経営責任者(CEO)の姿があった。イスラエルで初めての取締役会に出席するためだ。
 カープ氏はイスラエルのヘルツォグ大統領や国防省幹部らと相次いで会談。同席した同社幹部のジョシュ・ハリス氏によれば、防空警報が時折鳴り響く中で交渉し、イスラエル軍と「戦争を支援するための技術を提供する」ことで合意した。
 朝日新聞の取材に応じたハリス氏は、昨年10月の師すら無組織ハマスへの報復攻撃で、イスラエル軍を本格支援したと明かした。1月のイスラエル訪問で「我々のシステムが持つ影響力を確認できた」と満足げに語った。
 2003年創業の同社は米中央情報局(CIA)とも結びつきが強く、衛星画像のAI解析などで欧米の軍や情報機関と連携。テルアビブの事務所を15年に開設したほか、ウクライナの首都キーウにも事務所を構え、22年のロシア軍侵攻後、ウクライナ軍も同社のAIシステムを戦場で活用している。
 同社の担当者がAIシステムのデモを記者に示した。画面にウクライナ東部の地図が映され、「標的」となるロシア軍部隊が青い枠で示される。衛星画像や機密情報、ミサイルの熱を探知する赤外線警戒システムなど膨大なデータから、注目すべき標的をAIが指揮官に提示する。
 「たとえば、この桟橋を爆撃するとしよう」。別の地図で担当者が赤い三角形の「標的」を選ぶと、AIが攻撃に使える戦闘機のリストを「標的までの時間」「燃料の残量」「搭載武器」などと共に提示した。担当者が重視する項目を選ぶと、最適な順番で戦闘機のアイコンが並んだ。
 まるでゲームをしているような感覚だ。
 同社幹部のシャノン・クラーク氏は「東アジアなどで想定される未来の戦争は、従来と全く違うものになる」と述べ、「戦闘領域がより大規模になり、瞬時に意思決定が求められる。人間では対応できないことをAIが補完してくれる」と意義を強調する。
 兵器単体ではなく、複数の無人機がAIで連携し、オオカミの群れのように「獲物」を狙う「群衆ドローン」の開発も主要国で進んでいる。
 AIは軍事分野に深く浸透し、AI兵器の誕生は火薬や核兵器に次ぐ、「戦争における第3の革命」とも呼ばれている。
 「AI戦争の実権場」とも指摘されるウクライナは、ロシア軍の侵攻後、欧米の支援も受けてAI兵器を戦闘に本格投入し、新興技術の積極活用大国にあらがう原動力にもなっている。
 一方で、AIが「幻覚」を起こしうると認めつつ、検証や学習機能で精度を上げる必要性を強調する。
 次の戦争を優位に戦おうとの各国の思惑が絡み、AIが「実験場」で収集したデータの学習を重ねる中、戦争の長期化で多数の人命が失われているのも事実だ。
 昨年、前線の東部バフムート言近郊などでウクライナ軍に従軍し、アフガニスタンなど25年近く戦地を取材してきた戦場カメラマンの横田徹氏は「日中は常に(ロシアの)ドローンが飛来し、位置を把握されると砲弾が飛んでくる。移動中は足元の地雷だけでなく、空も警戒した」と語り、戦場の変化をこう指摘する。
 「AIとドローンの登場で、実際に引き金を引かずにモニター上で攻撃できる。人を殺傷する心理的ハードルが下がり、前線はかつてより悲惨さを増している」(編集委員・五十嵐大介=サンフランシスコ、同・佐藤武嗣)」朝日新聞2024年3月25日朝刊1面。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「能」を知る 6  能と武... | トップ | 「能」を知る 8  文化の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事