いつもありがとうございます。トッシーです。
masaとはゆっくり話す時間がちょっと少ないので残念ですが、少し前に、すごく納得した話をしてくれました。その元になっている話は、今までずっと悩んできた話ですので、今日ブログでも書いてみたいと思います。
正にmasaから聞いた、目からウロコの話です。
このことは、入院中からいつも感じていたことです。一言で言えば、麻痺を持った本人と他人とでは、どうしても分かり合えないということ。分かってるよと言う人でも、かなり大きなギャプがあるんです。
少なくとも、トッシーにはそう思えました。
トッシーが歩くようになってしばらくしてから、会話の中でよく言われたものです。「どこが悪いの? ちっとも分からへんよ」って・・・。
当初はというか、退院してからもしばらくの間は、「そんなことないってぇ~!」といつも反論ばかりしていました。何でこんな大変なことが分かってもらえないのかなぁ~って。
つまり、今の自分の体に感謝するのではなく、いつも不満を持っているということになるんです。
まっ、そのうちトッシーも気づきますけどね。
所詮は分かり合えないことなんだ、ということを・・・。
ホントにそう思うようになったのは、実はそんなに古くはないんです。割と最近です。
それは、医療者であり妻であるmasaの見方でした。電話の中で話していたのか文書だったのかは忘れましたが、masaが「軽い麻痺」とトッシーの体を見ていたことです。
その時に思ったんですね。「あ~、一番大変なことを分かってくれていると思った妻でも、”軽い麻痺”と思っていたのか~」って。
それ以来、今のトッシーの状態は”軽い麻痺に分類”されるんだ、と自分でも思うようになりました。
前置きが長くなりましたが、これからが本論です。(笑)
ナゼそこまで良くなりながらいつまでも不満に思っていてはいけないのか? 感謝しなければいけないのか?ということを、masaはこんなふうに話してくれたのです。
「自分はこんなに大変なんだということを分かってほしいといつまでも言ってるということは、分かってもらうためには、toshiさんの体が今よりもっと悪くなるということなんだよ」
「toshiさんは、そんなふうになりたいの? 今より悪くなりたいなんて思ってっる訳ないでしょ? 」
「だからtoshiさんは、今の状態に心から感謝することが本当に大切!ということなんだよ」
分かってもらうということは、今よりもっと悪くなるということ。
そうなれば、誰が見ても、麻痺があって大変って分かってもらえる。
そんなふうになりたいのか? そんなことを思っているのか?トッシーは・・・。
いえいえ、そんなことは決してないですね。
正に、masaの説明は、toshiにとって、目からウロコでした。
「どこが悪いの? ちっとも悪ないやん!」
「ありがとうございます」
「まあ、すっかりようなっちまったかな?」
「ありがとうございます。お陰様です」
トッシーで~す。いつもありがとうございま~す。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます