Iizuka City, Fukuoka Pref.
さてさて、帰省兼九州旅行の四日目は、かつて栄えた筑豊炭田の跡を訪ねようと、
ワタクシは福岡県の飯塚市を訪れました。
向こうに見える山が何かわかるでしょうか?何の変哲もない山のように見えるかもしれませんが、あれはボタ山なんですよ。
石炭を採れば採るほど、資源として使えないゴミ部分(捨石、ボタ)が出てきます。
このボタは鉱山近くの場所に集めて捨てるんですが、長い間に積み上がって巨大な山になっていくんですね。
こうして出来上がった山を「ボタ山」と言うのですが、今では樹木が生えて普通の山にしか見えません。
このボタ山は大正7年から集積され始め、昭和40年の閉山までに10tトラック70万台分がたまっていきました。
現存するボタ山としては、日本最大といわれています。3連の山は、「筑豊富士」なんて呼ばれているんですよ。
そして、手前の川が遠賀川でして、かつては筑豊地方より産出される石炭を船を使い若松へと運んでいたんです。
川の堤防から駅の方に向かうと、場末感漂う歓楽街となっておりました。
かつては炭鉱労働者たちで大いに賑わったことでしょう。
地元の方に話を聞いたのですが、炭鉱労働者は死と隣り合わせの仕事であったため、お金を残すという発想が無く、
稼いだ金は酒、女、博打などにつぎ込むのが常だったそうです。
そんな歓楽街の片隅に、嘉穂劇場という立派な劇場があるんですよ。
1931年(昭和6年)に造られたこの劇場は、炭鉱労働者とその家族が客の中心で、大衆演劇や歌手の公演などで賑わいました。
1962年(昭和37年)には266日の公演日数といいますから、すごい稼働率です。
しかし、石炭産業の衰退とともに劇場の公演数も減少し、1970年代には10~15日まで落ち込んだんです。
近年はレトロな雰囲気の建物が人気となり、年間30-40の公演が行われているんですよ。
内部の見学が出来るので楽しみにしていったのですが、この日は公演が行われるのでに内部見学は出来ませんでした。
ワタクシは名前も知らないのですが、寿一実さんという人の還暦記念公演となっておりました。
ゲストに博多華丸・大吉、内場勝則、石田靖なんて名前があるくらいですから、けっこう有名な人なんでしょうね。
ワタクシはその後、石炭王の屋敷である旧伊藤伝右衛門邸を訪ねました。
この時には、猛烈な雨が降り始めてきたんですよ。
使用したカメラ:1,2,6,8枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2
明治時代以降の日本の近代化、工業化を支えてきた筑豊炭田の跡を、訪ねてみたいと思っていました。
今まで行く機会が無かったのですが、今回初めて飯塚や直方の街を歩くことが出来ました。
昼から豪雨になったために、一番の目的地であった北九州市の若松は行くのを断念したのですが、
次回は必ず若松に行ってみたいと思っています。
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さてさて、帰省兼九州旅行の四日目は、かつて栄えた筑豊炭田の跡を訪ねようと、
ワタクシは福岡県の飯塚市を訪れました。
向こうに見える山が何かわかるでしょうか?何の変哲もない山のように見えるかもしれませんが、あれはボタ山なんですよ。
石炭を採れば採るほど、資源として使えないゴミ部分(捨石、ボタ)が出てきます。
このボタは鉱山近くの場所に集めて捨てるんですが、長い間に積み上がって巨大な山になっていくんですね。
こうして出来上がった山を「ボタ山」と言うのですが、今では樹木が生えて普通の山にしか見えません。
このボタ山は大正7年から集積され始め、昭和40年の閉山までに10tトラック70万台分がたまっていきました。
現存するボタ山としては、日本最大といわれています。3連の山は、「筑豊富士」なんて呼ばれているんですよ。
そして、手前の川が遠賀川でして、かつては筑豊地方より産出される石炭を船を使い若松へと運んでいたんです。
川の堤防から駅の方に向かうと、場末感漂う歓楽街となっておりました。
かつては炭鉱労働者たちで大いに賑わったことでしょう。
地元の方に話を聞いたのですが、炭鉱労働者は死と隣り合わせの仕事であったため、お金を残すという発想が無く、
稼いだ金は酒、女、博打などにつぎ込むのが常だったそうです。
そんな歓楽街の片隅に、嘉穂劇場という立派な劇場があるんですよ。
1931年(昭和6年)に造られたこの劇場は、炭鉱労働者とその家族が客の中心で、大衆演劇や歌手の公演などで賑わいました。
1962年(昭和37年)には266日の公演日数といいますから、すごい稼働率です。
しかし、石炭産業の衰退とともに劇場の公演数も減少し、1970年代には10~15日まで落ち込んだんです。
近年はレトロな雰囲気の建物が人気となり、年間30-40の公演が行われているんですよ。
内部の見学が出来るので楽しみにしていったのですが、この日は公演が行われるのでに内部見学は出来ませんでした。
ワタクシは名前も知らないのですが、寿一実さんという人の還暦記念公演となっておりました。
ゲストに博多華丸・大吉、内場勝則、石田靖なんて名前があるくらいですから、けっこう有名な人なんでしょうね。
ワタクシはその後、石炭王の屋敷である旧伊藤伝右衛門邸を訪ねました。
この時には、猛烈な雨が降り始めてきたんですよ。
使用したカメラ:1,2,6,8枚目はFUJIFILM X-T1、他はFUJIFILM X-Pro2
明治時代以降の日本の近代化、工業化を支えてきた筑豊炭田の跡を、訪ねてみたいと思っていました。
今まで行く機会が無かったのですが、今回初めて飯塚や直方の街を歩くことが出来ました。
昼から豪雨になったために、一番の目的地であった北九州市の若松は行くのを断念したのですが、
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今日は少し風邪っぽいのでいつもより早目に休むことにします。
応援☆
最後の1枚こんな感じで雨模様も
しっととりしてていいな
私のような軟弱者には到底、耐えられそうもない
命を懸けた仕事だったことを想像しておりました
落盤あり鉄砲水あり、の凄まじい世界で
晩年は肺の病に苦しむ職業だったことでしょう
寿一実を検索してみました
吉本新喜劇時代の中川一美、記憶しております
形の良い普通の山にしか見えません。
筑豊富士‥今では名所なんでしょうね。
応援シマス♪
ぼた山がこんなに普通の山になっていることに長い年月を感じますね。
炭鉱労働者のすさまじい生活と
石炭王の屋敷の豪華を考えるとちょっと複雑な思いもしますね。
当時はどれくらい賑わったであろう歓楽街ですが時代の流れですね
セピア色が合います
応援ポチ!
普通の山にしか、見えませんね。
でも、石炭などで、形成されてるんですね~。
立派な劇場は、石炭の最盛期には
多くの人が訪れたんでしょうね。
酒と女と博打に、全財産をつぎ込む。
ある意味カッコいい。
家族は大変でしょうが(汗)
凸
ボタ山は哀愁が漂いますね。
街並みも昔の栄華を思わせますね。
立派なお屋敷ですねぇ~
テレビで見たあの人のお屋敷でしょうかぁ。
ぽち!!
ありました。
石炭を満載した機関車が煙を上げて
走る姿をみて育ちました。
活気に満ちた時代が懐かしいですね~^^
商売をしていたので炭鉱から
お手伝いさんとして
若いお姉さんが住み込みで
働きにきました。
私は兄二人だったので
お姉さんのように慕って
可愛がってもらいました。
☆銚子電鉄ニュース☆
関東の地方ローカル線ですが
駅舎を修理する資金がなく
それを知った高校生が呼びかけ
募金を集め届けたそうです。
レトロな駅舎を何とか残して欲しいという若者が多くいたんですね。
嬉しいニュースでした。
銚子電鉄
こうした形で残ってしまうのですね。
此方の劇場でもやはり時々公園が行われるのですね。
☆