波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

芸術的で趣深い武者像と大仏様(大垣・垂井・関ヶ原歴史散策その4)

2024-01-27 01:43:49 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

私・の白黒茶々家の1人と2頭は、前々回の日記の途中から関ヶ原古戦場を訪れ、現地の歴史と様子を伝えてきました。 それらは前回で完結したのですけど、私の中で関ヶ原の戦いを締めるのには、どうしても訪れておきたい場所があったのです。 それは私にとっては初めてのところで、皆さまからしたら賛否分かれるかも知れませんけど………

令和2年(2020年)の10月に、関ヶ原の徳川家康最後陣跡がある陣場野公園の隣接地に、岐阜関ヶ原歴史記念館がオープンしました。 火縄銃などの関ヶ原の戦いに関する展示はもちろんのこと、大迫力の映像や陣羽織を着て撮影できるコーナーなども設けられていて、まさしく「関ヶ原を体感できる」施設となっています。 それらに加えて、5階の展望室からは、古戦場を360度見渡すことができるのですよ
「どうする家康」の影響もあって、この日の記念館には長蛇の列ができていました。 私にとってもスゴく魅力的なスポットなのですけど、実は狙っていたところはこちらではないのですよ それは1.8kmほど西北西のところにある………

関ヶ原ウォーランドであります 門構えからして昭和チックなこちらの施設は、昭和39年(1964年)に開設されました。 屋外型展示施設なので、今から皆さまをその世界に誘(いざな)います。 ただしワンコは同伴できないので、波と狛は駐車場の車の中で、古戦場めぐりの疲れを癒やしていてくださいませ。 そうしたら入場料の500円を払って、いざウォーランド内へ いちおう屋内の展示もあるのですけど………

入ってすぐのところで、騎馬武者が出迎えてくれました。 いや、これは戦闘モードか追撃の場面かも知れません。

こちらは、吉川広家を自称していますね。 どうやら、彼の陣地に入り込んだみたいです。 色鮮やかなこれらの像は、コンクリート像作家の浅野祥雲氏(1891年~1978年)によって作られました。 等身大のコンクリートの像にペンキで着色されているので、独特の味と重みがあります。

その他にも決戦の場を囲むように、諸将の陣地が再現されています。 こちらは、笹尾山で指揮を執る石田三成ですね。

小早川秀秋の、なかなか動かなかった様子も、見ることができました。 しかし、東軍に加担する決意をした彼の襲撃によって………

大谷吉継は自害に追い込まれることに。 これらの陣地は古戦場と照らし合わせた場所に忠実に配置されているので、位置関係を掴むことができます。

さらに陣地に囲まれた広場には、大迫力の合戦の場面が 関ヶ原ウォーランドは1万坪の広大な敷地の中に、207体もの浅野氏の像が配置されていて、天下分け目の激しい戦いの中に入り込んだ気分に浸ることができます。 そうしたら、今度はこちらの様子をじっくりと見ていきましょう

鉄砲隊が連なった姿は、見応えがありますね この頃には、合戦で火縄銃の役割はかなり大きくなっていました。

その一方で、槍を手にした武者が対決していました。 もちろん、大きな戦いの中ではこのような1対1の勝負もありましたよ。

こちらは馬乗りになって、力勝負で決めるところですね。 わかりづらいかも知れませんけど、押さえ付けられた武者はスゴい形相になっています。

こちらはまさに勝負あり の場面ですね。 刀が折れて尻もちをついたところに、槍を突きつけられておられる。 しかし、作られてから60年余りもの間、ずっとこのポーズのままということに。

石田三成の前線にいたハズの島左近は、なぜか「ちょちょちょ……… ちょっと待って 」と、追い込まれている様子。 それよりも、松崎しげるさんが危機感を抱くほど肌の色が黒い これらの像は定期的に塗り直しなどのメンテナンスが必要で、ウォーランドではボランティアがその役割りを担っています。しかし、塗る側のセンスに左右されるので、イメージが変わることがしばしばあるのかも。

こちらの武将は綺麗に塗られているのですけど、よく見てみたら胸に「キテレツ大百科」コロ助のような絵が この時代には存在するハズはないのに……… いや、コロ助はキテレツ君の昔々の祖先のキテレツ斎様が考案したものなので、ウソとはいえないかもナリ。 そんな合戦の場には………

宮本武蔵の姿が 武蔵といえば、投手と打者の両方をこなす二刀流で知られていますね。
※それは大谷君の二刀流のほうで、二刀流違いですよ。(編集部斬り)
「なぜ武蔵がこのようなところに?」と思われた方がいらっしゃるかも知れませんけど、彼は関ヶ原の戦いがあった頃には黒田官兵衛孝高に仕えていたので、彼の嫡男の長政に従事して関ヶ原に参戦していた可能性は、全くないとはいえません。

さらに武田信玄の亡霊もいたのですけど、さすがにこれはあり得ません 反戦を訴えているセリフに、英語を使っておられる。
※突っ込むところはそこですか!? (編集部連続斬り!)
それでも、亡霊の身なら何でもアリなので、これもウソではないのかも。 それに信玄公の進言は、終わりの見えない戦争が続いているウクライナや、パレスチナのガザ地区にも届けたいです。

関ヶ原の戦いを立体的に表現した関ヶ原ウォーランド。 その東軍側には、馬に乗った勇ましい姿の本多忠勝がいました。

それと、赤備えの甲冑を身にまとった井伊直政の姿も そんな彼らの背後に迫っていったら………

うわっ 足軽が生首を担いでいましたよ。 さらにその先には………

徳川家康の陣地がありました。 どうやら首実験をしているところみたいですけど、家康の顔が虚ろなところがなんとも。 それよりも、生首はどんな顔をしているのか気になるので、覗いてみましょう

………なんかゴメン。 私は本物の生首を見たことはないのですけど、思っていたより生々しいです。 なので、コンクリートブロックに乗っているところは見逃してあげてください。

あと、乗れる軍馬もあったので、せっかくなので跨がって自撮りしておきました そうしたら、コンクリート像独特の固くて重くて冷たい質感をより味わうことができましたよ
関ヶ原ウォーランドはスケールの大きさだけではなく、浅野祥雲氏の作品をたくさん見ることができます。 歴史と芸術を併せ持ったこの施設は、魅力的と思いませんか? それに、個々の作品(武士)をじっくりと観察していくと面白くて、数人で来るようなことがあったら、像のところでポーズをキメて撮りたいです。 そんな関ヶ原ウォーランドをあとにした私たちは、帰りの通り道にできなくもないところにある………

羽島市の佐吉大仏さんに寄っていくことに 私は以前からこちらも気になっていて、行く機会を探っていました。 実は佐吉大仏は愛称で、寺院はその名もズバリの大仏寺さんといいます。 隣接する公園も「大仏児童公園」という名前で、その奥のほうには………

永田佐吉翁彰徳碑が建てられています。 我らが湖西市出身でトヨタグループの創始者の豊田佐吉さんとは一字違いの永田佐吉さん。 彼は江戸時代中期にこの地方にいた商人で、学問を愛し、正直を守り、奉仕の精神が強い人でした。 その結果商売で儲けが出ても、匿名で寄付活動などの社会奉仕をおこないました。

コンクリート製の建物は無料で開放されていて、出入り自由となっています。

こう言っていただけると、気持ちが楽になります。 その屋内には、皆さまがお察しの通り………

大仏が収められています 台座も含めて高さ4.9mの青銅製の釈迦牟尼仏。 親孝行でもあった佐吉さんは、母の代わりに諸国巡礼の旅に出たのですけど、その途中で大病を患ってしまいます。 そこで神仏に祈ったところ、なんと全快 そのことを母に話したら、仏様に感謝することを勧められました。 そのことから大仏建立を思い立ち、江戸の鋳物師の西村和泉守藤原政時に発注。

22のパーツを5艘の船に分けて運んだのですけど、嵐に遭って頭部を乗せた船が沈没してしまいました。 船主が佐吉さんに謝罪したら、非難するどころか「大仏は海の中から守ってくださるでしょう」と言って、再鋳を依頼したのです。 なんて尊い人なのでしょうか そして、宝暦9年(1759年)に大仏は完成しました。 さらに大仏を覆うお堂(大仏殿)も建てられたのですけど、明治24年(1891年)の濃尾震災で焼失。 しばらくの間、佐吉大仏は露座となっていたのですけど、昭和37年(1962年)に今日見られるコンクリート製のお堂が建てられました。

その建物内には、佐吉翁の木像も収められています。 彼は多くの人に尊敬され、のちに「仏佐吉」とか「美濃聖人」と呼ばれるようになりました。 さらに、二宮金次郎と並んで国定教科書にも採用されたりも。 そんな彼は、寛政元年(1789年)に88歳の生涯を閉じました。

佐吉大仏の背中には扉が付いていて、そこから胎内に入ることができます。 あとになって知ったのですけど、管理者にお願いしたら、快く中に入らせてもらえるそうです。 おかげで、次に来る理由ができてしまいました。 ここでふと思ったのですけど……… 尊い佐吉大仏を呼び捨てにするのは失礼なので、どこかに「さん」をつけなければなりません。 しかし「佐吉大仏さん」では、佐吉翁の部分が敬称略になってしまいますし、「佐吉さん大仏」ではなんとなく歪(いびつ)ですし。 これは「へやキャン△」に出てきた、タコさんウインナー論争に似ていますね。 そうしたら、これからはその事例と同じように「佐吉さん大仏さん」と呼ぶようにしましょう
あとは岐阜羽島インターチェンジから東名高速道路に乗っていき………

途中で上郷サービスエリア(上り線)に寄っていきました。 こちらには………

ドッグランもあるのですよ しかも灯りが当たっているので、○ンコをされても踏む危険をはらみながら暗中模索しなくて済みます。 いろんな意味で充実していた今回の歴史散策。 2ヶ月ほど後になってそのことを綴っていたら、また新たな散策に行きたくなってしまいました。 最後になりますけど、皆さまは仕舞いまでこの旅日記を読んでくださり、ありがとうございました。


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