バスはいま来た道をもどり、午後3時ごろ、「道の駅 瀬替えの郷せんだ」でいったん休憩。ここの駐車場から、フィンランドのカアリナ・カイコネン「明日に架ける橋のように」が見える。
地域で集めた不要の衣服をつなぎ合わせ、150メートルの橋をつくって、川に架けわたしたという壮大な作品だ。
正面から見ると、こんな感じ。
この架け橋のすぐ近くに、つり橋があり、渡ったところにあったのが、巨大な銀色の植木鉢のような、関直美「ようこそ仙田農村公園へ」。
しかし、個人的には、この作品よりも、ぐらぐらと揺れるつり橋のほうが、怖くて記憶にのこっているのであった。
バスはここからさらに国道403号線を通って川筋をさかのぼる。これが、北海道の感覚ではとても国道とは信じられないほどの狭い道で、対向車がすれ違える個所のほうが少ないのである。
この谷あいでは、古来、「瀬替え」と呼ばれる手法で、田の面積をひろげてきたという。要するに、川のショートカットである。
そんな話を聞き、棚田を車窓から見るにつけ、ほんのちょっと前まで日本では米が足りず、みんな必死で一粒でも多く収穫しようとしていたということが、あらためて思い出される。
減反や米余りなんていうのは、長い日本の歴史の中ではほんの最近の話なのだ。
地域で集めた不要の衣服をつなぎ合わせ、150メートルの橋をつくって、川に架けわたしたという壮大な作品だ。
正面から見ると、こんな感じ。
この架け橋のすぐ近くに、つり橋があり、渡ったところにあったのが、巨大な銀色の植木鉢のような、関直美「ようこそ仙田農村公園へ」。
しかし、個人的には、この作品よりも、ぐらぐらと揺れるつり橋のほうが、怖くて記憶にのこっているのであった。
バスはここからさらに国道403号線を通って川筋をさかのぼる。これが、北海道の感覚ではとても国道とは信じられないほどの狭い道で、対向車がすれ違える個所のほうが少ないのである。
この谷あいでは、古来、「瀬替え」と呼ばれる手法で、田の面積をひろげてきたという。要するに、川のショートカットである。
そんな話を聞き、棚田を車窓から見るにつけ、ほんのちょっと前まで日本では米が足りず、みんな必死で一粒でも多く収穫しようとしていたということが、あらためて思い出される。
減反や米余りなんていうのは、長い日本の歴史の中ではほんの最近の話なのだ。