北海道美術ネット別館

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ACT5(7月29日終了)と「絵画」業界の未来(長文です)

2006年08月10日 00時42分46秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 ACT5(アクト・ファイブ)の展覧会がなぜ「問題」になるのか。個人的な見解を書かせてもらえば、それは、ACT5の絵が「絵画」と「現代美術」の中間に位置しているからである。

 このblogの読者には、あるいは、釈迦に説法かもしれないが、「現代美術」とは「現代の美術」ではない。とりあえず、既存の概念に収まらない最先端の美術とでも定義できそうな美術である。公募展を中心とした絵画や彫刻の世界とは、いまや作り手もジャーナリズムもまったくといってよいほど交流がない。
 そういう事態になったのは、そんなに古いことではない。20年ほど前の「美術手帖」には公募展の広告も載っていた(ことしの8月号には皆無)。もっと以前は、たとえば自由美術展の出品作が、その年を代表する作品であったような時代もたしかにあった。

 ただし、このふたつの世界を仕切る基準が何なのか、それは決して自明ではないように思われる。「絵画」や「彫刻」だから、あるいは、「具象」だから、「現代美術」ではない、というような、単純な話ではない。たとえば、奈良美智や間島秀徳がなぜ「現代美術」なのか。すくなくても筆者は、無学なのでよくわからない。
 容易に推測できるのは、この二派対立?が、「絵画」や「彫刻」の分野の住人にとってあまりおもしろからぬ事態であることだ。横浜トリエンナーレに出品できたり、新聞に取り上げられたり、美術館に購入されたりする作家は、年とともに、「現代美術」の作家が増えてきているように思われる。 
 しかし、おなじ程度の技量の持ち主が、「現代美術」の住人であるからという理由で、公募展業界の住人よりも高く評価されるようなことが仮にあったとしたら、後者の人間にとっては、たまったものではないだろう。
 現在、公募展業界の絵画の多くが、世界的な美術の潮流と関係のないところで描かれている一種の「鎖国状態」にあるのは事実かもしれないが、「ドメスティックだから無意味だ」とは、筆者にはとうてい思えない。また、絵画とは何かを自問しつつ、従来の公募展絵画の枠から抜け出ようと苦闘している作家もいるのだと思う。
 
 近代絵画は、芸術の自立を唱えるあまり、純粋性を高める一方で、外界や同時代との回路がふさがれてしまった面があるのではないか。
 かといって、むろん、昔風のリアリズムに無反省に回帰することが、解決策にはならないだろう。鋭敏な作家は、フォービズムやキュビスムが達成した成果を踏まえた上で、現実の中に在る絵画、わたしたちの「生」に肉薄する絵画を模索しているのではないか。
 
 そういった観点から見ると、筆者には、木村富秋の絵が、いわゆる公募展絵画であり、他の4人と性格を異にしているとしか思えない。
 急いでつけくわえると、筆者は、公募展絵画だからダメだといっているのでは、もちろんない。
 ただ、他の4人と違い、木村の関心は、線をどう引くか、色をどう配置するかという、「絵画的」なところに収斂している。
 そして、その点では、木村は相当な技術力の持ち主であることは、言うまでもない。

  

 福井路可(るか)は、板を焦がして十字形に、キャンバスに貼り付けることで、絵画空間をつくっている。
 かろうじて、女性の横顔らしきものは描かれているが、あとは、貼り付けた板の木目とか、飛沫とか、作家の制御のおよばない要素が画面の多くを占めている。
 福井の絵画に宗教的なものを感じるのは、十字架のかたちはもちろんだが、それ以外に、このような偶然性ゆえではないかと思う。
  

 管見では、この5人の中で募展絵画のあり方からもっとも遠くまで逃走しようとしているのが、森弘志ではないか。
 彼の絵は、一般的な意味での完成を忌避する。
 1点1点もそうだし、彼の画風も、完成という事態から遠くあろうとする。
 それは、絵によって「時間」をとらえようとする彼の試みが、ついには完全には不可能であることを、彼自身がどこかで覚っているからに相違ない。
(下は、横長の作品の部分)
  

 矢元政行の絵は寓意的である。
 しかし、しばしば引き合いに出されるブリューゲルの絵の登場人物が、なんらかの行為をしているのに対し、矢元の絵の中でうごめくおびただしい男女は、徹底して無為であり、せいぜい、またがったり落下したり立っていたりしているにすぎず、その点で、ブリューゲルとはいちじるしい対照をなしている。
 全道展にも出品した「奇想都市(増殖中)」は、毎年完成させるという公募展のシステムに対する異議申し立ての性格をも持っている。
  

 輪島進一は、「夜明けの微風」に連なる未来都市的なモティーフをいったん放棄し、近年はバレリーナを描いている。
 複数の時間を同一の画面に畳み込む手法を試みている点はユニークだし、極細の曲線をモティーフの周囲に走らせているのは、筆者の目には、スーラの点描の試みがスタティックなものに終わってしまった反省から出発した、新たな技法に思える(つまり、小さな点を細い線にすることで、画面の彩度を下げずに動感を出す)。
 筆者には、バレリーナよりも都市のほうがリアルで現代的なモティーフに思えるのだが、渡島管内森町の山間で絵筆を執る輪島には、そうではないのかもしれない。
  

 出品作は次のとおり。
矢元
「陸に上がった船」(同題2点)
「夢想都市」
「奇想都市(増殖中)」


「糞は良く噛んで食べた時のみ栄養にならない」(同題2点)

福井
「昨日の海、明日の雨」
「昨日の雨、明日の風」
「夜の海、…、昨日の雨」

輪島
「リハーサル、光へ」
「フーガ」
「アダージョ」
「生のリズム」

木村
「鳥の日「岬」」
「鳥の日「冬舟」」
「鳥の日「風位」」
「鳥の日「空へ」」
「景・トルソ」
「秋の光」

 札幌での展覧会が終わって10日以上たつというのに、手ごたえのある展覧会ほど書くのが後まわしになるという筆者の悪いくせが出て、なかなか文章が完成しませんでした。 
 あらためて、おわび申し上げます。
 文中の敬称は略させていただきました。

7月24日(月)-29日(土)10:00-18:00(最終日-17:00)
札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3 地図A

 次の日程で巡回展を開催。
 展示内容は札幌と若干異なります。とくに函館では、小品も多く展示するそうです。

8月3日(木)-15日(火)10:00-18:00(最終日-17:00)
ぎゃらりー807(函館市元町18-11)
8月18日(金)-23日(水)
鹿追町民ホール(十勝管内鹿追町東町3)

■2002年のACT5(画像なし)


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