映画・文芸批評を主軸とする隔月刊誌「がいこつ亭」を発行するかたわら、美術作家としても活動する札幌の三神さんが、6年ぶりだか7年ぶりという個展をひらいています。会場を埋め尽くすオブジェやドローイングが、米国による一極支配など世界の危機的な現状を鋭く撃ち、圧倒されます。
冒頭の画像は、オブジェ「なんにも知らないアメリカのアリスは」の周囲に、5年間にわたって制作されたドローイング「叛逆のエクリチュール」を配した壁面を写したものです。
つぎの画像は「青空」。
三神さんのオブジェは、既製品を組み合わせて制作したものが多く、いわば立体コラージュです。
といって、安直な感じはまったくなくて、むしろ緊張感のようなものが漂います。
「青空」は、空襲かなにかで破壊された部屋を表しています。散乱する書棚は、「知」の危機的な情況の暗喩のようでもあります。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、パレスティナ、チェチェン、アフガニスタン、イラン、そしてレバノン…。
世界はあといくつ、部屋を破壊しなくてはいけないのか。
そして、その瓦礫から見える青空は、残された希望を象徴しうるのだろうか…。
話はすこし変わりますが、美術館でもギャラリーでも、「活字系」の展示物というのは、ほかの美術作品とは離れて、独立して展示されていることが多いのですけれど、今回の三神さんの個展では、美術系と活字系とが渾然一体となっていることが、おもしろいと思いました。
上の画像は、「がいこつ亭」のバックナンバーを縦に2列にしてつなげ、ツインタワーに見立てたもの。その周囲には、三神さんの草稿がランダムに貼り付けられています。この場では、それぞれの文章は、トータルとしては読むことができないものの、いわば破片のかたちで、鑑賞者の目に飛び込んでくるのです。
さらに会場の一角には、色鉛筆で落書きされたリルケやカロッサの詩集もならんだり、90年代の個人誌「蜜蜂の季節」が陳列されるなど、おもちゃ箱をひっくり返したかのようなにぎやかさに満ちています。
活字といえば、三神さんは新聞のコラージュも多用します。フランス語の新聞じゃなくて、北海道新聞や朝日新聞です。ただし、今回は、活字の部分を切り抜いて使用した作品よりも、小泉前首相が靖国神社を参拝した際の航空写真を使ったオブジェ「美しい国へ」が、強烈な皮肉を内包していたように思えます。
ほかに、ドイツの切手をつかったオブジェの小品「ハンナ・アーレントの庭」が気になりました。
最後の画像は、ことしの作品「花」。
片方だけの靴が、戦禍の犠牲になった子どもを暗示しています。
三神さんの作品は、明快なメッセージとロマン派的な象徴性をあわせ持っているように思えます。といって、ありがちな情緒性には決して流れず、批判すべき対象をしっかり見据えていることには感服します。
今回の個展は、北海道の一角から、アートという言語で、米国とグローバリズムの横暴を批判したという点において、筆者は高く評価したい。大きいタブローばかりが美術ではない。小さなオブジェや画面が、巨大な世界をあざやかに表象することもあるのだ、という見事な見本だと思います。
10月9日(月)-14日(土)11:00-19:00
ギャラリーたぴお(中央区北2西2、道特会館 地図A)
■2002年の「閉塞形状展」(画像なし)
冒頭の画像は、オブジェ「なんにも知らないアメリカのアリスは」の周囲に、5年間にわたって制作されたドローイング「叛逆のエクリチュール」を配した壁面を写したものです。
つぎの画像は「青空」。
三神さんのオブジェは、既製品を組み合わせて制作したものが多く、いわば立体コラージュです。
といって、安直な感じはまったくなくて、むしろ緊張感のようなものが漂います。
「青空」は、空襲かなにかで破壊された部屋を表しています。散乱する書棚は、「知」の危機的な情況の暗喩のようでもあります。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、パレスティナ、チェチェン、アフガニスタン、イラン、そしてレバノン…。
世界はあといくつ、部屋を破壊しなくてはいけないのか。
そして、その瓦礫から見える青空は、残された希望を象徴しうるのだろうか…。
話はすこし変わりますが、美術館でもギャラリーでも、「活字系」の展示物というのは、ほかの美術作品とは離れて、独立して展示されていることが多いのですけれど、今回の三神さんの個展では、美術系と活字系とが渾然一体となっていることが、おもしろいと思いました。
上の画像は、「がいこつ亭」のバックナンバーを縦に2列にしてつなげ、ツインタワーに見立てたもの。その周囲には、三神さんの草稿がランダムに貼り付けられています。この場では、それぞれの文章は、トータルとしては読むことができないものの、いわば破片のかたちで、鑑賞者の目に飛び込んでくるのです。
さらに会場の一角には、色鉛筆で落書きされたリルケやカロッサの詩集もならんだり、90年代の個人誌「蜜蜂の季節」が陳列されるなど、おもちゃ箱をひっくり返したかのようなにぎやかさに満ちています。
活字といえば、三神さんは新聞のコラージュも多用します。フランス語の新聞じゃなくて、北海道新聞や朝日新聞です。ただし、今回は、活字の部分を切り抜いて使用した作品よりも、小泉前首相が靖国神社を参拝した際の航空写真を使ったオブジェ「美しい国へ」が、強烈な皮肉を内包していたように思えます。
ほかに、ドイツの切手をつかったオブジェの小品「ハンナ・アーレントの庭」が気になりました。
最後の画像は、ことしの作品「花」。
片方だけの靴が、戦禍の犠牲になった子どもを暗示しています。
三神さんの作品は、明快なメッセージとロマン派的な象徴性をあわせ持っているように思えます。といって、ありがちな情緒性には決して流れず、批判すべき対象をしっかり見据えていることには感服します。
今回の個展は、北海道の一角から、アートという言語で、米国とグローバリズムの横暴を批判したという点において、筆者は高く評価したい。大きいタブローばかりが美術ではない。小さなオブジェや画面が、巨大な世界をあざやかに表象することもあるのだ、という見事な見本だと思います。
10月9日(月)-14日(土)11:00-19:00
ギャラリーたぴお(中央区北2西2、道特会館 地図A)
■2002年の「閉塞形状展」(画像なし)
展示のしかたも工夫されていて、とても楽しみました。
本に自由に絵を描いていらっしゃるあたりもすてきだな~と思いました。
今回、殊にヤナイさんの熱のこもったコメントに、はっと覚醒。教わるところ大、です。
そうか~私はあまりに三神さんの発想・モチーフに近すぎ、文筆家としての三神さんに近しかっただけに、うっかり、作品を“散文”として消化(消費?)していたようです。“アートという言語”でこそ作品を鑑賞するべきだった…と痛感!
もう最終日ですが、多くの方々のご感想、うかがいたいです。ご感想、というより、“批評”こそ三神さんも求めておられるのでしょうね。
なぜか、切り取られて展示されていたたくさんのページがとても気になりました。焼けこげた紙片から焚書のイメージが湧いてきて自由に考えたり、それを現したりすることができなくなったら何て窮屈だろうと・・・部屋を破壊する以上に人の心や思考することを破壊されることの怖さを感じました。悪い予知夢のように案外、こちらの病の方が静かに、でも確実に進んでいるのかもなんてことを考えてしまいました。
>おおもものえさん
確かに、三神さんの作品は、言語によって解釈しやすいものが多いのですが、やはりそういう言葉(の意味)で割り切れないものが、美術の魅力だと思います。
>Hanaさん
「悪い予知夢」だなんて詩的ですね。
たしかに、ツインタワーの事件が「華氏451度」的な情況を招いたという実情はありますよね。そういう中でも「がいこつ亭」は現実に対する叛逆の言論を続けてきたのですが。