「Be Phat!」など数々の写真グループ展で自作を発表している札幌の神成邦夫さんが、「群青 gun-sei」展の1室というかたちで個展を開いている。
「北海道」をテーマにした写真展は多く開かれていると思うが、凡百のネイチャーフォトをのぞけば、「北海道」のイメージそのものを根源から問い直す活動は決して多いとはいえない。
最近では、森山大道、酒井広司、露口啓二といった写真家たちが、まずは見慣れた観光仕様の「北海道」をいったん括弧にくくり、曇りのないまなざしで北海道を見ようとする作業を続けてきたと思うが、神成邦夫も、その系譜に連なる一人ではないかという感覚を得た。
今回展示したのは、平取、札幌、岩内、サロベツ、釧路、厚賀、苫小牧、南幌、室蘭、羽幌、門別、サロベツ、えりも、帯広、石狩、伊達、帯広、千歳の計18枚で、すべて横位置のカラー写真。デジタルの35ミリ・フルサイズで、この数年の間に撮られている。
神成さんにお聞きしたところ、使用しているのは20ミリレンズ。相当な広角である。しかし、周辺の画像のゆがみは全くといっていいほどみられない。20ミリレンズだと、端にうつっている電柱などは曲がってしまうことが多い。そういうことがないのは、ホライズン(地平線、水平線)を画面の中央にしているからだとのこと。
あらためて確かめてみると、なるほど、画面の真ん中を水平線や地平線が横切っている。山や高い建物がさえぎることの少ない、北海道らしさといえるのかもしれない。
ちなみに、三脚は用いていないそうである。
もっとも、神成さんは、北海道らしい風景をさがしもとめて、シャッターを切っているのでは決してないだろう。
「イメージを出来るだけ客観的に、そしてそこに居合わせたその時々の偶然性を含め捉えたいと思うのです」
(会場のパネル)
もちろん、そこに無意識的な美意識が入り込む余地を、完全に排除することはできない。
にもかかわらず、さまざまな場所で、無機質的ともいえる態度で写真を撮り続ければ、そこに「北海道」の、よそ行きではない、真の姿が浮かび上がってくるのではないか。
空き地と新興住宅がとなりあっている苫小牧。
ひび割れたアスファルト舗道がのびている室蘭。
車が止まっていないのにやたらと広い留萌管内羽幌町の駐車場。
石狩の空き地の中を通る道路には、「通行止」の標識がついた車止めが立てられている。遠くには、雪捨て場が望まれる。
あるいは「サロベツ」で撮影された2枚の写真。
そこには、感動的な利尻富士やエゾシカ、湿原はなく、電信柱や電柱、クマザサの占める、ありふれた、いわばアノニマス(無名)な風景が広がっているのである。
人工のものが画面に入っていないのは、「千歳」の1枚だけであった。その1枚だけが、緑が画面を覆っている。
北海道の郊外の道路によく設置されている、路肩の位置を示す矢印標識や、海辺に捨てられた樹脂製の浮き球など、画面に意図せずに映りこんだものを見れば、それもまた「北海道の現実」であることを、感じる。
神成さんの写真群は、あえて感動的な意図を盛り込まず、フラットに撮影されたものだけに、ふだんは見落としがちな「北海道的なもの」を、あらためて見る側に意識させるのである。
2016年2月4日(木)~9日(火)午前10時~午後7時(最終日~午後6時)
アートスペース201(札幌市中央区南2西1 山口中央ビル6階)
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