「第29回鉄道ファン/Canon2005 入賞・佳作作品展」を見て、どうして鉄道(あるいはその写真)はロマン的な感情というか、或る種の郷愁を呼び起こすのだろうかと考えた。
テレビに対してラジオや映画、パソコンによる印刷に対して手書き文字やガリ版、鉄筋コンクリートに対して木造…といったような、相対的に古いものに抱く感情なのかと思った。鉄道は自動車よりも登場が古い。
それはたしかにあるだろう。今回も、SLの写真は多かった。もはや日本国内ではわずかしか走っていないのに、被写体としての人気は依然として高い。蒸気機関車が新幹線700系よりなつかしさをさそうのは、その種の感情ゆえだろう。
でも、それだけではないと思う。
なぜなら、鉄道に対して、あこがれとか、郷愁を抱くというパターンは、すでに石川啄木の短歌や宮沢賢治の詩で見られるからだ。
つまり、まだ自動車が珍しかった明治・大正のころからなのだ。
鉄道というのは、明治・大正時代から「ここではないどこか」への思いを呼び起こす装置だった。
遠くへ旅行するという行為自体は江戸時代にもあった。
しかし、お伊勢参りや「奥の細道」紀行は、物見遊山だったり、歌枕を訪ねる旅ではあっても、漠然としたあこがれや郷愁とは関係がない。
明治になり、中央集権国家が成立するとともに、それまで共同体に縛られて生きていた人々は自由になる可能性を得た。
生まれてから死ぬまで同じ村で暮らし、そのことが当たり前だと思っている人々の脳裡には「ここではないどこか」へのあこがれは生じない。「殿様になれればいいな」ぐらいは思うかもしれないが、ほんとになれるとはこれっぽっちも思ってない。
しかし、村や家を出て東京に行く可能性を知った近代人は、知った時点から、いまの自分とは違った自分を夢想することを始める。可能性が開ける、ということは、自由を夢見ることであり、同時に、孤独を知ることだ。つまり、共同体から離れてひとりになるということなのだ。
鉄道は、その象徴なのだと思う。
ところで、今回の写真コンテストには2768点の応募があった由。
うち、札幌の会場には36点が展示されていた。モノクロは2点だけで、残りはカラー。都市の踏切を通る新幹線を写した「クロスロード」など、デジタル作品もめだった。
ディーゼル機関車が牽引して札幌駅に入ってくる北斗星
湿原の中の急カーブを行き過ぎるおおぞら
夕日を浴びる太平洋炭鉱鉄道
吹雪の中、駅にとまっている利尻
など、道内で撮影された写真も多い。
グランプリを受けた作品も、除雪車の運転台を写したもののようだ。これも道内かな。
会場には、日程を書いた紙などがないのだが、たぶん17日で終わり。
キヤノンサロン(北区北7西1、SE山京ビル 地図A)
テレビに対してラジオや映画、パソコンによる印刷に対して手書き文字やガリ版、鉄筋コンクリートに対して木造…といったような、相対的に古いものに抱く感情なのかと思った。鉄道は自動車よりも登場が古い。
それはたしかにあるだろう。今回も、SLの写真は多かった。もはや日本国内ではわずかしか走っていないのに、被写体としての人気は依然として高い。蒸気機関車が新幹線700系よりなつかしさをさそうのは、その種の感情ゆえだろう。
でも、それだけではないと思う。
なぜなら、鉄道に対して、あこがれとか、郷愁を抱くというパターンは、すでに石川啄木の短歌や宮沢賢治の詩で見られるからだ。
つまり、まだ自動車が珍しかった明治・大正のころからなのだ。
鉄道というのは、明治・大正時代から「ここではないどこか」への思いを呼び起こす装置だった。
遠くへ旅行するという行為自体は江戸時代にもあった。
しかし、お伊勢参りや「奥の細道」紀行は、物見遊山だったり、歌枕を訪ねる旅ではあっても、漠然としたあこがれや郷愁とは関係がない。
明治になり、中央集権国家が成立するとともに、それまで共同体に縛られて生きていた人々は自由になる可能性を得た。
生まれてから死ぬまで同じ村で暮らし、そのことが当たり前だと思っている人々の脳裡には「ここではないどこか」へのあこがれは生じない。「殿様になれればいいな」ぐらいは思うかもしれないが、ほんとになれるとはこれっぽっちも思ってない。
しかし、村や家を出て東京に行く可能性を知った近代人は、知った時点から、いまの自分とは違った自分を夢想することを始める。可能性が開ける、ということは、自由を夢見ることであり、同時に、孤独を知ることだ。つまり、共同体から離れてひとりになるということなのだ。
鉄道は、その象徴なのだと思う。
ところで、今回の写真コンテストには2768点の応募があった由。
うち、札幌の会場には36点が展示されていた。モノクロは2点だけで、残りはカラー。都市の踏切を通る新幹線を写した「クロスロード」など、デジタル作品もめだった。
ディーゼル機関車が牽引して札幌駅に入ってくる北斗星
湿原の中の急カーブを行き過ぎるおおぞら
夕日を浴びる太平洋炭鉱鉄道
吹雪の中、駅にとまっている利尻
など、道内で撮影された写真も多い。
グランプリを受けた作品も、除雪車の運転台を写したもののようだ。これも道内かな。
会場には、日程を書いた紙などがないのだが、たぶん17日で終わり。
キヤノンサロン(北区北7西1、SE山京ビル 地図A)
それと、鉄道写真は、まわりの風景もテーマになることが多いので、船や飛行機よりは、その点でバリエーションが豊かなのだとは思います。
蒸気機関車がもくもくと黒い煙をふきあげ、動輪を高速で回転させて、轟音を立てながら、目の前に迫って来る姿を間近に体験する瞬間の、あの自分のからだの中に生じるなにかしら喩えようもない畏怖にも似た不思議な昂揚感はけっして普段の生活では経験できないものと思います。
このアナログな(人間の身体との内的繋がりを何かしら感じとらせる)機械工学的に精密な巨大な躯体の存在は現代文明のデジタルな生活スタイルのある意味では対極に位置している象徴的な存在のように感じる気がします。
それを精密なアナログ機械である一眼レフフィルムカメラでとらえるという関係性にとても意味があると思います。それをデジタルカメラで撮影したなら、本当にとらえたいものの映像の大事な核心が消えうせてしまうような感じにさせる。
鉄道写真はもちろん人工物(機械)を被写体にしているのですが、完全に疎遠なものではなくて、人間の自然性と複雑につながっているもの、人間の自然力が複雑に延長したものと実感させるところがある存在です。
ノスタルジアの新しい風景であるはずです。
で、その見方は現代のものとしてはその通りなのですけど、明治期の啄木がすでに鉄道にノスタルジアを抱いていたことの説明にならないんですよ。だから不思議なんですけど。
蒸気機関車のイメージは、中野重治(1902-1979)の『歌のわかれ』(1940年)の「手」の最後の場面に出てきますが、それはノスタルジアのモチーフとは別のものです。
『ノスタルジア』と言えば、今は亡きロシアの映画監督タルコフスキー(1932-1986)の1983年の映画のタイトルでもありますが、あそこに、ノスタルジアの原風景が描かれているという思いを強く持っています。
私にとってのノスタルジアのモチーフはさて何であろうか。
宮沢賢治では、そもそも「銀河鉄道の夜」がそうですし「シグナルとシグナレス」という物語もあります。詩では「青森挽歌」「噴火湾(ノクターン)」など、鉄道が登場するものがいくつもあります。
啄木もたくさんあります。
雨に濡れし夜汽車の窓に
映りたる
山間の町のともしびの色
雨つよく降る夜の汽車の
たえまなく雫流るる
窓硝子かな
みぞれ降る
石狩の野の汽車に読みし
ツルゲエネフの物語かな
ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聞きにゆく
これはごく一部でして、歌集をぱらぱらとめくっているといくつも出てきます。
「郷愁」というより「感傷」だといわれれば、そうかもしれませんが。
さらに言えば、日本におけるロマン主義的な感情と近代的自我の成立は、二葉亭四迷のツルゲーネフの翻訳が出発点であり、それを国木田独歩が発展させたといえると思います。
私事になりますが、祖母は明治16年生まれであり、ほぼ、啄木と同じ時期に生を享けています。祖父は明治8年生れです。山形県の出身で、故あって、明治38年の春に新天地の北海道に移住してきたものです。啄木が北海道に移住した一時期にほぼかさなります。私はその三代目にあたります。
啄木の歌集『一握の砂』『悲しき玩具』を読み終えての感想ですが、全然、古びていない、その瑞々しい言語感覚のちからの存在を感じます。その言語感覚の内的仕組みをつらぬく烈しい抒情性の存在に先ず圧倒されます。
その烈しさこそ、彼のいのちを縮めた原因のひとつであるかもしれない。まさに我がいのちと引き換えに生み出された純度の高い日本語の結晶体です。
中野重治の詩的精神性とも根底ではつながるものを直観するのですが、やないさんはどうですか。それは賢治の詩的精神とも通ずるものではないのか。
「北方性」とか、「東北性」とか、という風に、勿論、ひと括りにはできないのですが、な
がいながいきびしい雪深き冬の生活の独自性こそが共通の生活土台にあるような気がしてなりません。
異郷の地にいる詩人の精神に生れる「ノスタルジア」はいかなる色合いに染まっていたのか。
「あはれ我がノスタルジヤは/金のごと/心に照れり清くしみらに」
この両者が結びつくのはたしかですね。西洋でも。
石川啄木は天才だったのだと思います。彼は短歌に心血をそそいでいたのではありませんでした。小説家になりたかったのです。しかし売れなかった。それで、手すさびに短歌をやっていた。
中野重治は、根は抒情詩人なのだと思います。しかし、時代が彼をそうさせなかったし、彼も、貧しい人々の姿を見て、抒情詩人であることを自らに禁じた。だから「歌のわかれ」なのだと思います。
曙図書館で、筑摩書房の『石川啄木全集』を見つけました。第5巻から第8巻まで借りてきました。しばらくの間、私にとっての、啄木全集読破月間になりそうです。
多分、やないさんが啄木に触れなかったなら、絶対に、読まなかったと思います。まったくの、奇縁と申せましょうか。
実は、この間、ハーバート・ビックス『昭和天皇』(講談社学術文庫)を読んでいたことも、切っ掛けを生み出す要因にになっていたと思います。「昭和天皇」という独得の人格的プリズムを通して、明治・大正時代の日本について、日本人について、本格的に、学びなおそうという目論見です。
啄木全集については何時の日にか述べてみたいと思います。ではまた。
それにしても、啄木って全集が8巻まであるんですか。早死になのに、多いですね。