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名塩良造翁の像 (北見市立中央図書館)

2012年09月15日 21時21分06秒 | 街角と道端のアート
 
 この胸像は、北見の市立中央図書館のロビーに展示されています。

 作者は、オホーツク管内の人物彫刻を数多く手がけている中野五一(1897~1978)です。
 
 名塩という姓は珍しいですが、「お菓子のナシオ」の創業者といえば、なるほどと思う向きもあるでしょう。

 北海道を代表する菓子問屋の創業者の胸像が、なぜ北見の図書館にあるのか。
 それは、名塩良造さん(1883~1967)が北見で創業し、戦前、図書館の建設資金を北見市に寄贈した人物であるからです。

 北見市が1996年に発行した「ふるさとの歴史を訪ねて」では、次のように紹介されています(数字は算用数字にあらためました)。

 翁(名塩良造)は明治16年、大阪船場の紙問屋の次男として生まれましたが、2歳で父の店が倒産、8歳で病母の臨終に立ち合い、幼い兄弟でひつぎを担いました。小学校も1年で退学、古着屋に奉公に出されます。明治41年、26歳の時、大望を抱き、日露戦争の結果日本の領有となった南樺太に渡ります。ところが悪質な周旋人にだまされ、過酷な労働を強いられたうえ腸チフスにかかり、命からがら北海道へ逃れてきます。44年、翁は鰊場にしん ば の下帳場でめたわずかな金をもって、池北線の建設列車で、ハッカと木材景気にわく野付牛に着き(中略)熊の出没する開拓地を菓子、塩干魚を背に行商を始め、農家や造材飯場を泊りあるきました。 
(4、5ページ) 

 野付牛は、北見の旧名です。
 ここで名塩良造は商売に励み、昭和10年には野付牛の長者番付で西の横綱を占めるほどになりました。

 その一方、呑空という号で俳句をたしなみ、私財を投じて図書館を寄付したのです。

(ちなみに「北海道人物事典」には「名塩呑空」の項があり、俳人としてのみ紹介されています)

 なんにしても、昔は偉い人がいたもんだ、という思いにかられます。 


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