北海道美術ネット別館

アート、写真、書など展覧会の情報や紹介、批評、日記etc。毎日更新しています

■熊沢桂子展 Carrot Tunnel (5月12日まで)

2007年05月08日 23時39分38秒 | 展覧会の紹介-現代美術
 「解釈オチ」ということばがある。
 朝日新聞で以前、美術を担当していた大西若人記者のことばで、あまり世間にひろまっているとはいえないようだが、現代美術を評する際、ときとして便利なことばなのだ。
 筆者がこんなことを言うのもなんだけど、まあ、現代美術は、よくわからないことが多い。
 だから、会場の作者に説明を聞いたり、批評を読んだりして、作品の真意を探ろうとする。
 その際、ことばによる説明ですっかり納得してしまい、それから先、鑑賞をする気持ちがすっかり失われてしまう事態を、解釈オチと言ってよいと思う。
 たとえば、ピカソの「ゲルニカ」は、ナチスドイツ軍によるスペインの村の無差別空襲に対しピカソが抗議の意味をこめて描いたことはよく知られているが、そういう作品の思想的背景を知ってもなお見つづけたくなる絵である。しかし、へっぽこな現代美術は、解釈を聞いてしまうと、もう作品自体は、どうでもよくなってしまうのだ。

 で、最初「朧夜の底」でこの展覧会について知ったとき、あまりにコンセプトが明快なので
「ひょっとしたら『解釈オチ』のインスタレーションかなあ」
と危ぶむ気持ちを頭の片隅に抱きつつ、会場に向かったのだった。

 結論からいうと、それは杞憂(きゆう)だった。

 廃棄処分されるニンジンがテーマなのだが
「もったいない!」
と農政を糾弾して事たれり―という作品ではない。
 見る人に、むしろしずかに問いを投げかけてきていると思った。

 作者の熊沢さんは1970年生まれ。
 武蔵野美大で建築を専攻したあと、あらためてガラス工芸を学び直し、現在は上川管内南富良野町在住。
 ひとくちに「富良野」といっても、かなり南東に離れており、富良野市街までは車で50分かかるとか。
(ついでにいえば、前田真三の写真やラベンダーで有名なのは、上富良野町、中富良野町であり、富良野市から北へ数十分かかる。これほど広大な地域を「富良野」でくくってしまう北海道人の大ざっぱさって、何なんでしょう)
 熊沢さんの発表活動はこれまで東京が中心で、帯広や富良野でも個展をひらいたことがあるが、札幌は初登場とのこと。
「このテーマでの個展はもう6回目なので、そろそろ新しい展開を-とも思いましたが、札幌の人にも見てほしくて」
と熊沢さん。

 で、ネタバレになってしまうとつまらないので、これから見に行く予定のある人は、以下の文章は読まないほうがいいと思う。

 会場は、手前の小さな部屋と、奥の大きな部屋に、黒いカーテンで仕切られている。
 手前の部屋には、ニンジンのかたちをしたガラスの立体が1つ、台に置かれ、台の中に仕込まれたライトで下から照らされている。
 つぎの部屋では、同様のニンジンが9個、台座の上に置かれている。いずれも、商品になる前に捨てられる運命にある、変形したニンジンばかりだ。
 周囲の壁には、ニンジンがかつてない豊作のため大量に廃棄処分された4年前の記録映像や、選果場の映像が、5分1セットで、投映されている。
 ガラス製変形ニンジンは、本物のニンジンを石膏取りし、ガラスを付けて炉で生成させたもの。
 なるほど、本物のニンジンにそっくりなわけだ。
 作者の許しを得て手に取ったが、ずっしりと重い。

 熊沢さんは戦果場で働いた経験から、今回の作品を着想したという。 

 会場の入り口に、コンセプトははっきり記されている。

「変形にんじん」の造形には、
個性的で非常に面白いものがたくさんある。
そのほとんどは畑から引っこ抜かれて間もなく
畑に捨てられていく。

また、豊作の年は価格調整のために、
価格内のものも
やむを得ず廃棄しなければならないこともある。

これはある意味、
人間社会を象徴しているかのように思える。

ガラス(パート・ド・ヴェール)の変形にんじんと
大豊作だった2003年の映像(収穫-選別-廃棄)で
このギャラリー門馬ANNEXを
「Carrot Tunnel」(にんじん隧道)にする。

 農作物は、見ばえがよくないと売れないので、出荷される前に大量に捨てられている。
 その比率は、どうもほかの農産物にくらべニンジンがダントツのようである。ジャガイモや玉ネギよりも保存性に劣るのも理由かもしれないが。

 かたちは悪くても中身は変わらないのだから、一部はジュースなど加工用にまわされるのだが、その量にも限界がある。
 「捨てるぐらいなら安くすればいいのに」
と言う人がいる。
 それは正論だが、値段が半分になったからといって消費量が倍になったりはしないのだ。
 飢えた国への援助にまわせば良いという意見もときおり耳にする。しかし、運搬や検疫の費用を誰が負担するのだろうか。

 というわけで、ちょっと考えたぐらいでは、正解なんてない問題なのだ。

 しかし、アートは解答を出すためのものというより、人に問いを投げかけるものだと筆者は思う。

 このインスタレーションは、都市にどっぷりと浸って生活しているとつい忘れてしまいがちになることを、思い出させる。
 そして、わたしたちの暮らしをすこしだけ振り返って、考えなおすきっかけになるだけでも、作品の意味はあるといえるのではないだろうか。
 すくなくても「解釈オチ」では、けっしてないのだ。


07年5月3日(木)-12日(土)11:00-19:00 会期中無休
ギャラリー門馬ANNEX(中央区旭ヶ丘2)


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
休耕田の人参 (Hana)
2007-05-09 20:30:24
子どもの頃に見た山積みになった人参を思い出しました。
「お米が作れないから、代わりに植えた人参だけど余っているから好きなだけ持っていっていいよ。」と言われた時に感じた、理不尽な何か割り切れない感情を思い出しました。
返信する
お米が作れない (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2007-05-09 23:42:34
Hanaさん、こんにちは。
そういや、あの減反というのも、理不尽ですよねー。
減反じたいは仕方ないのかもしれないけど、北海道は減反率50%ですからね。こんなに安く米を作れるところは、国内にはないのに。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。