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吉川聡子展(6月30日まで)

2006年06月27日 22時55分36秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 吉川さんは札幌で日本画家として活躍するかたわら、プロのイラストレーターでもある。現在、北海道新聞の土曜の生活面に童話の挿絵を描いている。
 ただし、日本画とは画風がぜんぜんちがう。とてもきれいな童画ふうの絵なのだが、サッカーワールドカップのあおりを受けて、掲載面がときどきモノクロになるのが残念だ。
 吉川さんの日本画といえば、飛行への憧れを表すものが、画面によく登場する。いわゆる花鳥諷詠ではない、現代的なセンスのある絵を描く。画力はすごくあると思う。
 何年か前までは、レオナルド・ダ・ビンチの素描みたいな絵や、鳥の飛ぶ姿が画面狭しと描かれ、筆者などは
「こんなにいろいろかき込んで、画面をきちんと成立させてるんだから、すごいなあ」
と感心していたが、21世紀に入ったあたりからは、飛翔そのものを描くことが少なくなり、飛翔を暗示するものを画面に取り入れることが多くなった。
 たとえば、今回の個展でいえば、その名も「舞い降りた静寂4」。
 ドアが開け放れたフローリングの室内で、ガラスのボウルを手にした赤いワンピース姿の女性の足元に、白い紙飛行機が落ちているという、シンプルで静けさを漂わせた作品だ。
 あるいは「卓上の世界」。
 眼を閉じる女性の両側にあるのは、空っぽの鳥かごと、鳥の剥製だ。
 今回の展示作で、鳥が実際に飛んでいる絵は2点しかない。
 「空を飛びたい」という、見果てぬ人間の夢は、絵の中ではかなえることができるのだけれど、吉川さんは絵で夢を実現させるのではなく、夢とともにあることを選んだんだと筆者は思っている。深読みしすぎかもしれないけれど。夢はいつまでも夢のままという、現実の日常生活のあり方や息遣いのようなものを大事にしているのではないかと思うのだ。
 窓辺で女性が本を読んでいるとき、さっと一陣の風が吹いてレースのカーテンを揺らすさまを描いた「午後の風」では、庭に咲いた桜の花びらが家の中にまで飛んできている。「クレマチス クレマチス」では、居間で紅茶と菓子のひとときを愉しむ老夫婦が題材になっている。いずれも、画面からにじみ出てくるのは、ほんのささやかな日常的な幸福感だ。
 ちょっと前までは、こういう感覚は「プチブル的」といわれてさげすまれたものであり、描法でも題材でももっと大がかりなものがほんとうの芸術だと考えられていたふしがあるが、筆者は、こういう日常性こそが、わたしたちひとりひとりの生に、ほんとうに深く根を下ろしているものだと思うし、大切にしてゆくべきものだと思うのだ。

 出品作は次のとおり。
「Cake I」「Cake II」「朝食のあとで」「くろいうさぎ」「Tea Time I」「Tea Time II」(F3)
「あいすくりーむ は いかが」「お昼寝」(F4)
「春の午後」(F15)
「東の風」(115.0×72.0)
「冬の朝」(54.5×72.6)
「彼方へ」(51.5×62.5)
「幻影」(140.0×61.0)
「幻影 II」(66.0×50.4)
「クレマチスの下で」(57.0×79.0)
「卓上の世界」(F50)
「舞い降りた静寂 2」「舞い降りた静寂 4」「そんないちにち」(F100)
「クレマチス クレマチス」(F120)
「午後の風」(F130) 

6月1日(木)-30日(金) 8:00-19:00(最終日-17:00)
ギャラリーどらーる(中央区北4西17、ホテルDORAL 地図D)

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2 コメント

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同感です (川上)
2006-06-28 00:10:40
5月の波多野恭輔展で吉田豪介さんが紹介文の最後にさりげなくこう記されていました『今節は先端美術に席巻されている時代だが、この心温まる表現もまた貴重であろう』



これを見て、やはり美術表現は多様な表現手段の一つの選択であって、何に価値があって何に価値がないというようなスタンスは作家としても目撃者としても意識して排除しなければならないモノだと感じた次第。



自分にとっての日常の価値を黙々と重ね続けることで表現が研ぎ澄まされ、外部から見た日常と自分の内的思考が一体となるところに生まれるべくして生まれるのが表現ではないかと思うに至りました。



作家はとても我慢強い性格でなければ勤まらないとも思います。



「プチブル的」とは、懐かしい言葉でした(笑)。
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Unknown (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2006-06-28 09:24:51
 川上さん、ありがとうございます。

 ただ、わたしは、大風呂敷をひろげたり、大上段に構える人も、それはそれでけっこう好きです。

 まあ、いろんなタイプの作家がいたほうがいいのではないかと思います。
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