
札幌時計台ギャラリーのような、複数の部屋のある会場で作品を見ていると、入ってきた人がすぐにきびすを返して出ていく-という光景に出合うことがよくある。
とくに、抽象画のときが多い。
抽象画が世に出てからもう1世紀近い年月がたとうとしているのに、食わず嫌いの人がまだこんなにいるという現実に、あらためておどろかされる。
じつにもったいないことだ。
筆者はひとつの提案をしたい。
じぶんにとって「わけのわからない」作品であっても、とりあえず1分は、その前に立って凝視してみること。
いや、30秒でもかまわない。
すべての抽象作品がそうだと言うつもりはないけれど、すくなくても鈴木さんの絵は、最初はよくわからなくても、じっとガマンして見つめているうちに、なにかしらの感興がわきおこってくる作品だと思う。
「イメージの起爆剤になればいい。時間をかけて見ることで何かが浮かび上がってくれば」
と鈴木さんは話す。
起爆剤。
つまり、抽象画は、見てそこからなにを想像してもよい。
抽象は、自由なのだ。
作品は5点。
「yellow1」から「yellow5」とナンバーがふられ、いずれも題の通り、黄色を基調とした油彩だ。
色の主調をそろえることで、「インスタレーションのような、会場の統一感をつくりたかった」という。
すべて正方形のS50号。ただし、冒頭の画像の「yellow5」だけは、S50号を横に2枚つなげている。

黄色といっても、たとえばイブ・クラインやバーネット・ニューマンのように、おなじ色が平滑に塗られているのではない。
よく見ると、色の暗いところ、明るいところがまだらになって、いろいろな模様が浮かび上がってくる。
「じぶんとしては『yellow5』がすき。2枚ならべることで、ハイライトが3カ所に生まれているのがいい」
下地にはセピアなどを用い、何度も塗りを重ねている。
「チタニウムホワイトはあえて使わなかったので、暗くならないように苦労しました」
かたちの定まらない明暗がひそかに織りなすドラマ。
見る人によって、かたちは、刻々と変わっていくかのように見える。
まさに、抽象の本道をゆく作品群だと思う。
最後に、個展のタイトルについて尋ねてみた。
「進化の後の世界」
という意味なのだそうだ。
07年9月10日(月)-15日(土)10:00-18:00(最終日-17:00)
札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3 地図A)
・・・ほんとにそうなのかな?と、最近思っています。
広告デザインの話ですが。
人が広告を見ている時間は、わずか0.2秒だと言われます。
その間に伝わる情報量には限界があるはずです。
そもそも広告とか絵なんて、誰も見てくれないもの。
そう思ってつくらなければ、本当に誰も見てくれません。
わからないから「確かめたくなる」か「すぐ出て行く」か。
僕も抽象画をサッと見てすぐ出て行くので、0.2秒ならまだしも、30秒、1分間凝視しているなんて、おそらく永遠に感じるでしょうね。
良い悪いは置いといて、今度やってみようかな。
その先に何が見えるか。
いい作品かどうかは一瞬でわかる、というのも、事実でしょう。
広告と、アートは、受容のされ方が違いますし。
ただ、あらゆるものが0.2秒で処理される世界って、なんだかつまらないと思うのです。
絵画(特に抽象)は、情報を受け取り、理解するものではなく、
情報を見て、情報を感じ、共鳴して好きになったり嫌いになったりするもの
そこが絵画と広告の違い。
ゆえに、絵を見るときは30秒又は1分以上眺めることが必要なのかもしれませんね。
そのつまらない世界を少しでも良く・・・と奮闘中のこの頃です。
いろんな人(本当の意味でいろんな人)が見に来る時代にしたいです。
「あれ」
と立ち止まる広告というのもあると思います。