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ねがうこと、ゆだねること

銀閣寺から苔寺へ

2010-04-19 | カルチャー
銀閣寺をプロデュースした
室町幕府8代将軍足利義政を
東山文化というか日本の美意識の
創始者として再評価をしている
ドナルドキーンさん。

彼の『足利義政―日本美の発見』を
読んでいると、義政は苔寺を模範として
銀閣寺を作っていったことがわかる。



苔寺=西芳寺は高校生の時は拝観が自由だった
がそのよさなどわかりもせず、社会人になって
行った時は申込み制になっていた。(1977年から
変わったようだ。)

般若心経の写経をしないと、寺内を拝見できなかった。
その仕組みは今でも続いているらしい。



文芸評論家の福田和也さんの処女評論集『甘美な人生』を
読んでいると、最初の枯山水庭園として西芳寺が出てくる。

西芳寺内の穢土寺庭は、「祭祀の対象となる村落圏内の墓に
納める前に、屍が白骨化するまで一時的に葬る土地で」あり、
「枯山水とは、死者の山に築かれた沈黙の音楽」であると。



銀閣同様金閣寺も西芳寺をお手本にしているし、
みな禅宗の臨済宗であり、なぜだか世界遺産にも
指定されている。

僕がほとんど知らない室町時代の精神性の入口に
たった気がする。

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