やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

瓦礫の山

2011-04-29 | 環境
本吉街道という旧道を車で運んで
いただきながら、海へ向かう。

低いなだらかな丘が続く。新緑に覆われはじめ
山桜が点在するのどかな美しい風景が、とある
時点で一変する。

山あいが一面瓦礫の山。まだ海は見えない。
こんな山あいまで津波がおしよせたのかと、
言葉を失う。わずかに残る家でも2階で
逃げ遅れた誰々さんのところだと言う。

それから志津川湾に至る30分間、廃墟とでも
言えばいいのだろうか、瓦礫が延々続く。
それでも自衛隊のおかげで大分片づいたん
ですよ、と教わる。被災時はどんな状態だったんやろう。

メディアを通じて知ってると思っている状況は、
平面的な映像を頭の中で自動的に再構成したものだ。
現場にたつと、瓦礫の山というボリュームある存在が、
僕の全感覚を包む、いや皮膚を通りぬけて刺さる痛さ。

基礎だけを残して根こそぎ建物がもっていかれている。
仙石線という鉄道は盛土をわずかに残して、
レールがない。山に開いたトンネルの入口と
盛土の跡が鉄道だったことの痕跡。

3階建てのコンクリート建物が2つ、屹立している。
合同庁舎と病院だそうだ。窓が無くなって躯体の
枠だけが残る。屋上に逃げてもまだダメで鉄塔に
よじ登って助かったところ。眼下を人が流されて
いくのを鉄塔に捕まりながら見なければ
ならなかった状況。

3年前に来た時とはなにもかも違う。
アスファルトとコンクリートに覆われていた
中心街が土がむき出しになっている。

材木を燃やしているが塩をかぶっているから
ダイオキシンの発生になるから止めたいと。
生きることへの希求をダイレクトに感じる。