やまねこマッサージ

ねがうこと、ゆだねること

心理カウンセラー『光と影の法則』

2012-12-02 | 
テレビでも話題の心屋仁之助(こころやじんのすけ)さん
著書『光と影の法則』を読む。1章はこちらでも公開中。

旅行代理店に勤務する主人公の女性が、上司の異動によ
って直面する問題、孤立に対して心理カウンセラーの
アドバイスによって立ち直っていくという物語風。

物語のよしあしより、心屋仁之助さんが伝えたいことが
凝縮されている。ご自分の体験に基づいてることや、多く
のカウンセリングが裏打ちされていることを。



問題の原因が自分の欠点にあるのではと仮説をたてると、
なにかの拍子に、「欠点を確認するの。欠点や反省の
材料というものは、人間いくらでもあるから。そうな
ったら、どんどん落ち込んでいくだけなんだ」(p45)

自分に問題があるって仮説をたてる人は多そう。その方が
誠実な感じがあるしね。ボクはよいとこ探しをする方だから
これは違う気がするが、この次は結構あたってるんだね。



できことに対して怒りが湧いても、「そのエネルギーを
使わない人がたくさんいるんだよ」「近ごろでは空気を読め、
とか言うよね」「社会に出たり大人になれば、わき上がった
感情や本音を言いづらい場面がたくさんでてくるよね」(p49)

「いい人のふりをしても腹の中で怒っていることは割と相手に
ばれてるんだよね。」だから「思ったことや感じたことを口に
出して相手に伝えること」(p52)

そんなことしたらかえって人間関係がうまくいかないのでは、
って思ってるけど、それも思い込みなのだろうか。だから、と
続けて、

「素直になればいいんだよ。かっこ悪くても自分の気持ちを
素直に言えばいいんだよ。」「それは、自分が弱い人間、器が
小さい人間のように見えるかもしれないと思うからなんだ」(p61)

自分でできることなど、しれてる。だからいろんな人の協力を
仰いで進めている・・自分の失敗も笑ってもらえるネタだと思い、
飾らず話す方だ・・でも笑えない話をどこまで素の自分をさらけ
だせているかというと、まだまだだと思う。

最後に「あなたの問題はあなたが作り出している」(p25)に関連した
心屋さんのインタビュー動画があったので載せておくね;



武装解除の専門家

2012-08-20 | 
知りあいに、武装解除の専門家である
瀬谷ルミ子さんって方のことを教えて
もらう。

NHKプロフェッショナル 仕事の流儀で
2009年に放送されたり、朝日新聞から
『職業は武装解除』という本が2011年に
出版したりしてるから知ってる方も多いかも。

ボクは知らなかった。瀬谷さんも、そういう
領域があること。

平和交渉というのか、和平交渉というのか
締結ということはNEWSでちらりと知るけど
それから武装解除ってどいういうプロセスで
なされるのかぼんやりとわかっていなかった。



なにが大変って、武装解除=武装放棄させる
ことを兵士に納得させることだ。平和になった
と政府が宣言しても信じてはくれないのね。

武器を渡すことによって、自分の安全が守られるのか、
失業しないのか・・つまり社会復帰できる道筋やメドが
なければ長年戦争や内戦にあけくれていた人達から武器を
返上してもらうことは困難なんだね。

そこで武装解除の専門家が派遣されることになる。
政府の依頼、国連の依頼によることが多いらしい。

現地に行って、さまざまな関係者に会って、話を
聞き出し、利害を調整し・・瀬谷さんによれば
「ハローワークみたいなものですよ。家族の話を
聞いて、これまでの経験・スキルを聞いて、明日
からの食いブチの相談に乗るのですから」。



高校3年生の時、この写真に出会ったことが、
彼女をこの道に向かわせるきっかけになる。
新聞に載ったその写真はルワンダの難民。

死に直面している女性と、必至に起こそうと
している3歳くらいの子ども。

「自分と彼女たちにこんなに違いがあるのは
なぜかを知りたい」という強い衝動が弾けた
そうだ。この写真を撮ったのは、そして掲載を
決めたのは誰だろう?



日本では数少ない専門家らしいんだけど、
世界的には増えているそうだ。

大学卒業後、ルワンダのNGOに勤務した2001年
以降この道一筋。いろんな悩みも克服しながら。

2011年、ニューズウィーク日本版「世界が
尊敬する日本人25人」に選出。彼女の
ブログはこちら

3家族の食事会

2012-05-26 | 
博多の知りあい夫婦が遊びに来てくれたのが
ちょうど一年前。学会がこの時期に開かれるとかで
また会う事に。しかも今度は家族全員と彼の
友人家族とボク達夫婦の3家族が会うことに。

合計10人が南青山タヒチに集合。アジア料理って
こともあって台北を思い出す。台北の人達って
家族親戚仲間が集まってしょっちゅう食事をする。
カップルで食べるって感覚があまりない。
毎晩大人数で食べたことを思いだしていた。


タヒチ店内のストリートビュー

友人家族を紹介してもらって驚く。なんと
同じ国分寺住まいとか。だったら地元で
開催してもよかったって大笑い。

親の世代は今の仕事、子どもの世代は将来の
仕事のことに夢と不安を抱いている。そうで
なくっちゃね。現状で満足してちゃねって
白ワインの杯を重ねる。



盛りあがった話題のひとつが小型トイカメラ。
CHOBi CAMというのを持ってきてて、手のひら
サイズのカメラなのに動画も撮れるそうだ。



お土産にCHOBi CAM Smileという缶バッチ
タイプのカメラをいただく。胸につければ
カメラってわからない・・ミッション
インポッシブルの世界。自宅でみると、
店内だから暗い上にブレブレ。上達せねばw
ご用心、スマイル缶バッチをみかけたらw



この会社のゴキラジが生産がおいつかない
隠れたヒット商品だとか。リモコンで動く
ゴキブリ!羽が動いて音もリアルで入手したくとも
すぐ売り切れるとか。



いやぁいいね、賑やかで。美味しい食事、うまい
アルコール、楽しい仲間、人生こうでなくっちゃって
乾杯する。

店内をみわたせば満席でカップルばかり。
ごめんなさいね、うるさくってw

同級生が学生に

2012-03-29 | 
高校の同級生が札幌に移転するというので、
食事をすることに。FACEBOOKで「友達」に
なったのがきっかけというか始まり。

高校卒業後も浪人、学生と遊んでいた仲やった
のが20年近くご無沙汰だった。それが昔の距離感が
割とすぐよみがえるのが不思議だし懐かしい。



そんな頃の話からその後の生活、同級生の消息と
話が途切れない。彼が勤め人を辞めたこと、
これから大学院で学び直す、って聞いて驚く。

いやぁ、なかなかできないでしょ。仕事を辞めるのは
ともかく、もういっかい学び直すって。大した
決断をしたなぁって感心する。



サラリーマン時代には個人で言いたいことがあっても、
組織の中では言えないことが多かったのが、ストレス
だったそうな。

これから若い人達と、学べることをとっても楽しみに
している。一方で「記憶力も体力もだいぶおちて、
老眼も進んだし、若い鋭い才能には叶わないだろうな」
って言うから、「実務経験は重宝がられるよ、
法学を学ぶんだから」と励ましたり。

帰りの電車でふと横を見ると、彼が辞めた会社の2面
吊り広告が目に入って驚く。偶然なのか必然なのか?

ジャニーズ親子と喜多川書店

2012-03-22 | 
昨日のロサンジェルスつながり。
この前からとりあげている、秋尾沙戸子さん
のエッセイ『ワシントンハイツ』によると、
ジャニーズ事務所代表のジャニーズさんは
ロサンジェルス生まれ。

お父さんの喜多川諦道さんは、なんと真言密教は
高野山の僧侶。1912年(大正元年)に高野山が
ロスに寺
を設ける。だから今年は100周年。

その12年後に布教目的で世界一周の旅にでた
諦道さんがロスに到着(27歳)。2~3ヶ月
助法するつもりが、その寺に10年滞在。

「日系人社会において頼りにされる存在」で
「信仰に徹し、人情の機微に通じ、しかも
大胆不敵の侠気に溢れる」魅力的な人だった
みたい。


高野山ロサンジェルス別院(現代)

真珠湾攻撃の後、収容所に強制的に入れられた
時も、荷物を自分の信仰する寺に預けた人達がいた。
なぜなら収容所行ってる滞在中に白人や黒人が家に
押し入り、略奪されることが多かったからだ。

喜多川一家は戦時中は和歌山大空襲に遭遇。戦後は
みなでまたロサンジェルスに戻る。父である喜多川
諦道さんが建てた本堂で、田中絹代、山本富士子、
美空ひばりなどの大物スターがショーを開き、
ジョニーさんは日本芸能界進出のきっかけを得る。

その後、米軍に入隊→朝鮮戦争→上智大学→
米軍関係の仕事→代々木公園のワシントンハイツ
の住民。そこで基地内の野球場で日本の子ども達を
呼んで野球をやっていたそうだ、その名も「ジャニー
ズ少年野球団」

お父さんは甲子園に出場した腕前だったから、
彼も野球少年だったんだね。


ワシントンハイツの敷地というか空き地

その少年野球団の一人があおい輝彦さんで、
「雨が降って、練習ができないんでミュージカル
映画『ウェストサイドストーリー』を見てきて
すごく感激して、野球よりミュージカルの方が
カッコいいと」ミュージカルをやるジャニーズ
(事務所の前身)が誕生する瞬間だ。



蛇足やけど、横浜の喜多川書店から注文した
本が届いた。喜多川繋がりの偶然の日。

big wordについて

2012-02-22 | 
アメリカ人の知りあいから、無事出産したって便りが
ある。経過を伝える文章にこういう一文がある;

'I started having major contractions at Starbucks! '

前後の文脈からcontractionsが陣痛だとわかる。
「スタバで大きな陣痛が始まったのよ!」
って感じかな。おめでとう!

というか暢気なもので、そんな陣痛が始まってるのに
まだ買い物中でスタバでお茶してるんだから。あわてて
ご主人に車で病院に運んでもらう。

車中産まれるっ!って叫びまくってたそうだ。無事
病院に着いたのが出産45分前。ほんまぎりぎりやねw

まぁ二人目の出産だからっていうのもあるやろうし、
アメリカってあまり出産でもあまり入院しないって
聞くから。昨日ブログのスタバ繋がりも感じた。



英語繋がりで、別のアメリカ人からもらった
メールの話;

' great interview and dark-room footage! '

写真家の渡邉博史さんのインタビューと暗室作業を
ロサンジェルスで撮影してもらったんだけど、
このfootageはわかんなかった。

辞書をひくと、映画のフィルムのフィート数
から、撮影したフィルム自体を指すことがわかる。

「とてもいいインタビューと暗室の撮影だった!」

って感じかな。アメリカ人も!が好きなのかも。
よかった、無事撮影が終了して。おつかれさん!
編集よろしく~



contractionsやfootageは昔英語の授業でbig wordとか
言って、この単語の意味がわからないと、どうにも
意味がわからない重要単語だな・・って思う。

でもこう書くならと辞書にあたるとちょっと違ってた。
どちらといえば、抽象性の高い言葉、難しい単語って
ことらしい。

floccinaucinihilipilification: 無価値とみなすこと
なんていうのが代表例らしい。

contractionsやfootageは、ぼくには難しかったし、
この単語がわからないと文章全体がわからないけど、
とても具体的な単語だ。big wordとは言わないかもね。


大学時代の後輩上京

2012-02-11 | 
大学時代の後輩が上京するっていうので
5人で集まってインド料理を食べに行く。
南インド料理でおいしい、京橋にある
ダバ・インディア


写真はこちらのブログから。

17時開始で2時間制限って言われてて、
土曜日の夜なのになんて思ってたら満席!
相変わらずの人気。インド人の客も相変わらず
多いし、スタッフはフレンドリーやしね。

集まったのは、電力会社、食品メーカ、
銀行、空港通関業、とボク。そこそこ
偉くなってるというか、経験を積んだ
連中やからいろんな話題に花が咲いた。



後輩が新幹線で帰る時間になったので
東京駅で解散しそうでもあったんだけど、
軽くお茶でもって駅地下へ行ったら、
パンのBURDIGALAのカフェに席がある。


こちらの写真はここから。

そこでえんえん2時間、ぐだぐだ喋ってる。
聞きたいこと、確認したいこと・・時事放談
っていうより、言いたい放題で話している
おばはん状態みたいなもんかw

楽しくって心地よかったなぁ。話したり聞いたり
してるのがいいって感じ。

中身では政府の手腕が膨大な累積債務によって失敗に
終わっていること、だから能力や制度の上手下手には
見解の相違があるけど、その役割が縮小するのは
必須やなと。

・・みんながどう思ったかわかんないけどw

故杉浦日向子さん『憩う言葉』

2012-01-21 | 
漫画家、江戸研究家の杉浦日向子さんが
亡くなられて7年。 昨夏が七回忌だった
そうだ。早いもんだねぇ、はっつぁん。

それをきっかけに、彼女の作品から
言葉を抜粋したアンソロジー『憩う言葉』
(イースト・プレス)がでる。
マンガ、写真なんかも入ってる。
懐かしいもんだねぇ、くまさん。

  

現代の人というのは、自己主張を ちゃんとしたい、
何とか自分を 知らせたいということに、
ほとんどの労力を使っている

これは耳が痛いねぇ。黙っててもお天道様が
みてるって発想にはなりにくいなぁ。

笑いがどこから生まれるかというと、
だます、だまされる、あるいははずす、
こける、落っこちる、というような
ところからだと思うんです。

だますのも、だまされるのも好きやし、
そこから笑いが生まれるんだよねぇ。

色とは、すなわち、苦悩を伴わない
即物的欲望を指す。なぜなら、失恋や
悲恋はあっても、失色や悲色はないのだ。

ないってことは苦悩でないゲームだったんだ、
色って。そやから、その後に、

敗北を知らないエンドレスゲームが色

と来る。

芳賀徹氏は、近世=江戸が日曜日で、
近代=明治維新は月曜日の夜明けだと
たとえています。

そう言って日曜日に遊んでいる
江戸の人達に会ってはったんやし、
今も江戸の人と楽しくやってる気がする。

久しぶりに『合葬』『百日紅』『百物語』を
読み返す。うまい絵やし、だんだん時代考証が
うすらいで自由に描いてるって感じ。

姉妹本の『粋に暮らす言葉』っていう本も
同時発売。

TVドラマ『愛・命~新宿歌舞伎町駆け込み寺』

2011-12-17 | 
11月末にお会いした玄さんドラマを見る。
渡辺謙さんが玄さんの生き様に惚れ込んだそうで
1年がかりで企画し主役を演じる。



二人の共通点は白血病にかかって困難に遭遇したこと。
謙さんは1989年に急性骨髄性白血病を発症し、克服する。
玄さんは2000年に白血病のHTLV-1感染がわかり
発病したら死ぬ運命。それまでカネにまみれた人生を
180度転換させてNPOで人助けという道を歩み始める。

辛い過去と向き合う難しさも実感しているが「いま、
当時のすべての経験が生かされている」と二人は語る。



彼をドラマ化するならば、過去の経験そしてその転換に
焦点をあてたくなるが、本ドラマはNPOを始めたばかりの
玄さんで2002年頃の設定だ。

彼の紹介役として架空の女性である、玄さんを取材する
ジャーナリスト永作博美さんの視点で、物語は進行。
これは脚本家には書きやすい設定。映像ジャーナリストの
考え方はわかっているだろう。

紹介役として玄さんと一緒にボランティア活動をしている
人だとドラマ性が低くなる。

「あなたのCMを作るのではない、私はあなたの敵。撮りたい
時に撮る」といいところも嫌なところも撮っていく。

おたがい命をかけてやってる者同士のぶつかりあい。
そういう姿勢で取材を続ける彼女との間に信頼以上のものが
生まれる。



「命より大切なものはないよ、命を大切にせなあかん」と
何度か玄さんこと謙さんは言う。

「今年は被災地だけでなく、日本が堪え忍んでいる年。
心の中はぐらぐらしてるのに、それをこらえている。
代わりにこのドラマで、僕たちが叫びたいと思います」

その叫びを聞いてすかっとはならない。でも叫んだほうが
きっといいんだろうなと思った。無理なら歌った方が。



番組の最後には現在の玄さんの活動が紹介された。
日本財団の支援もうけて日本各地に駈け込み寺を
作りたいという話も。うまく支援がひろがり、
相談者の養成が進むとええね。

2006年6月にはフジテレビで高橋克実主役で
「こちら新宿駆けこみ寺~泣き笑い玄さん奮闘記~」
で一回ドラマ化されているので、こっちも見てみたい。

意外な場所で意外な人との遭遇

2011-12-14 | 
柿豚会の時おじゃましたラ・ケヤキへ打合せに
昼間行く。紅葉した葉っぱがいっぱいで気持ち
いい。今年は落葉の時期が遅いって話になる。

柵から向こうは新宿御苑なんだけど、どこが
境界だかよくかわかんないから、とっても
お庭がひろく感じられて素晴らしい。



住みたいって話が感嘆とともによくでるそうだ。
そりゃねぇ、住めれば。新宿御苑駅や千駄ヶ谷駅が
徒歩圏と超便利だし。静かやし。

前回は夜だったからよくわからない点がよく
わかる。お家というかお屋敷なんだけど壁の
色が赤茶色だったのも驚き。



音楽系がリハーサルをやってて騒がしいかもと
お聞きしてたんだけど、ひょいと練習風景を
覗いてびっくり。

音楽プロデューサの信太美奈さんが演奏者に混ざって
歌の練習してはったからだ。彼女も廊下にでてきて
ボクがここにいることに驚いたからあいこ。

なんでも年末にシカゴを中心としたセクシーな
歌あり踊りあり芝居ありの豪華ライブを美奈さん
率いるバガボンドがパーフォーマンスするそうだ。
美奈さんも出演。



12/28、29。サラヴァ東京で。12/30は
バガボンドチーム対サラヴァ東京チームで歌合戦。
最後まで騒ぐらしい。