まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

任侠と武士道の是非を問う. 15. 1/15

2023-03-29 13:03:21 | Weblog




筆者は二十歳代から少年非行や犯罪者の更生のお手伝いをしている関係で多くの稼業(かぎょう)と云われる人たちと縁を持った。
先生が中学校で手を焼く生徒や暴走族、近ごろでは窃盗や振り込め詐欺などだか,なかには環境調整といって刑務所に収監されている者の仮釈放時の身元引受人と居住地の調査に指定された家族や友人、もしくは内縁の男女の状況などの訪問聴き取り調査を行うこともある。

仮釈放は刑期が裁判所決定満期以前に刑務所や法務省更生保護委員会との調整で決定されるが、あくまで概ねだが長期なら一年前後、短期なら半年前後の仮出所が認められる。その場合はあくまで刑期中であるために社会内処遇として保護司が観察官の監督によって面接などの観察処遇にあたる。

以前、稼業と云われた者は仮の出所など求めず満期まで務めるものが多かった。
稼業上の務めとして彼の世界特有の矜持や意地もあったが、近ごろでは享楽目的の覚せい剤や私的な衝突からの殺傷、もしくは高齢者を騙す詐欺など、昔の稼業の気質では理解できない組織構成員の姿がある。もちろん早く出所して遅れを取り戻そう、なかには女や薬を渇望する者もいるためか仮出所が増えている。

もう一つの理由は施設の不足と刑罰を執行するための隔離が人権意識の高まりゆえか、本来の犯罪被害者の応報が過酷な環境下での肉体的拘束ではなく、良好な施設環境での教育刑として殖産(手に職をつける)に重点が置かれるようになった。

毎年東京で行われる矯正展では全国の刑務所制作の家具や食料品が売られている。身内の面会も時間、間隔なども制約が多かったが、近ごろでは条件もあるが月に数回、面会時間も以前ほどではない。東京から佐賀や網走に行っても15分では家族もしんどい。罪を償う隔離施設ではあるが時の流れとともに緩和傾向にある。それゆえ遠隔地だと内縁を刑務所の近くに住まわせ月に何回か面会させている受刑者もいる。

刑務所はあくまで刑事罰を与えるところであるが、ある刑務官は「重罪を犯した者が衣食も心配なく、仕事は軽作業で単なる隔離施設となり、老齢になれば刑期中は寝たきり介護さえ刑務官が行う。施設は飽和状態でなるべく仮出所でもはやく出さなくてはならない事情もある。刑務所は矯正施設であり、更生や医療までは手が回らないのが実情・・」と呟く。
≪この事は当ブログ「府中刑務所」に書いた。≫





次郎長の義侠を讃えた山岡鉄舟



山本長五郎 (清水の次郎長)



そこで標記にある任侠の話だ。

「60になって刑期が9年となると出所時は69だ。これでは戻ってきても稼業は務まらない。私たちは互助会だがその中は様々な人間で構成されている。昔のようにやんごとなき組織の事情で収監されるものもいればカタギを騙したり困らしたりして入るものもいる。

その峻別もあるが、出てきても本人の居場所が窮屈になる。そのくらい社会の変化と同様にこの世界も動いている。だからカタギになることを勧めるが、高齢者は仕事もないせいか直ぐに生活保護という。たしかに組織を抜けたとしても5年間は構成員とみなされる。

入所中に脱会の意思を申し出ると所轄の警察が組織の責任者に認める旨の承諾を聞いてくる。なかには不埒な偽物もいるが、立ち直りの人生はカタギより真剣だろう。こちらとしては、今まで社会に迷惑をかけて困ったから生活保護ではどうも合点がいかない。

景気のいい時には外車に女と酒に狂った人間が、少しは人生を見つめなおすことを考えて親孝行するというなら赤飯を炊いて送り出しもするが、少しは人に頼らず生活できるようにしなければ親が生んでくれた意味もない。親分とて縁があって構成員なった手前、半端な人間を世に出せない。世間はヤクザも任侠も一緒だと思っているが、それだけではない。

良い縁の薄い者、事情があって学ぶ機会がなかった者、姿や恰好もデリカシーのない者はそれだけではじかれる。社会は貧困や病苦でも拾えるほど余裕もなければ甘くはない。
最低でも挨拶、長幼の順序、形や態度をカタギがみれば厳しすぎるほど躾けるものだ。

石松ではないが、次郎長の前では畏まっていても、玄関から出れば肩をいからして博打場に行って悶着を起こす。親子の関係とはそのようなものだが、弱いものをいじめたり、苛めるような悪からは逃げなかった。あくまで稼業の世界での刃傷沙汰や悶着だから浪花節にもなって庶民はその世界を覗きこんだ。親分の次郎長は富士の開墾までした。

こちらの世界かもしれないが震災でも直ぐにトラック満載の荷を送った。マスコミにも出ないが相当な数の車両が列をなした。あいつらはバカで粗暴だとの印象はあるが、みんなで人助けをしようとすれば雀のように飛び跳ねて動き回り、稼業気質なのかカタギの「ありがとう」が照れくさい。褒められても返す言葉を知らないのだ。世間はおかしい連中だというが、昔の日本人はみなそうだ。





漢文で「東海遊侠伝」を書いた浜田五郎(愚庵)、後に浪花節、映画になる
鉄舟のとりなしで次郎長の養子となる



当局(警察)の理由もある。いまの世界は狭い範囲の掟や習慣を認めない。つまり総て法の裏側を歩くものとして、表の法にのせる。それが普通に暮らす人の世の決まり事ならいいが、官民を問わず総ての集団や組織を形成する者は組織内の狭い範囲の掟や習慣がある。会社にはコンプライアンス、役人や政治家でも国民からすればとんでもない慣習はある。多くは組織維持と安定担保と食い扶持の類だ。

稼業にも掟がある。組織内の盗み、詐欺、虚言などは固陋な掟がある。これを私刑ともいうが、覚せい剤に手を出せば木刀が折れるくらいに折檻する。入所者の妻や子供に手を出せば絶縁もある。

いくら言っても覚せい剤で再三刑務所に行くものもいるが、出てくればどうにか生活再建させたいと思うのも人情だ。本人も承知しているが直らない。そんな時の親代わりは縁を切ることも手段だが、痛い思いも親の情だ。

彼らは刑務所もお気楽な所だと舐め切っている。これでは実親にも世間にも申し訳ない。実業を起こしたり、関係者に就職あっせんを頼むが、それは世間ではいくら当局が更生のために就職斡旋してくれても、受け入れは狭いからだ。
なにしろ辞めても5年間は見なし構成員だからだ。てきれば生活再建の窓口を広げられないかと考えている。

周辺にも問題がある。
よく東の組織と西の組織の切り口の違った見方である。
西は週刊誌でも騒がれる通り、やんちゃで荒っぽいと聞くが、だからなのが形式的規律はことのほか厳しい。破門や絶縁も数多ある。とくに組織内の規律は浸透している。
もちろん部屋住の修行もそうだが、責任者の前では当然和室では正座、洋間は直立だ。携帯電話も鳴ることはないし、画面を覗くこともない。

つまり親の立て方が尋常てない厳しさがある。だだ、陛下の膝元である首都とは違いシノギがごっつい。辞めた大物の著書に、トラック一杯だのプール一杯だの札束の量の蓄積とやり取りがある。
ゆえに大阪府警の暴力団担当の手入れはドアを蹴破り、ヤクザ顔負けの怒声と暴力が倣いとなっている。それくらいでないと舐められる。昔は癒着が甚だしく遊興や車の便宜もあった。いわゆる暴警互助の慣習と掟があったわけだ。

警視庁はそこまではしない。いや表の出ない。おとなしい訳ではないが些細なことで大勢やってくる。免許証の住所記載の錯誤があったが、不実記載の罪でパトカーが数台、盾を持った警察官が十数人、大取物の逮捕だ。さすがに検察官は「このようなことで起訴はできない」と、門前払いだった。東はスマートだというわけではない。だだ、どこの世界でも成果は数字で表される。彼らの世界でも人間関係の軋轢は多いようだ。

ある組織では遠来の客を迎えたとき、並んで座っているものが携帯を覗いたり、隣席と私語を交わしている行儀が悪い者がいる。厳しい組織なら叱責では済まされない。
これでは「早く帰ってほしい」と云わんばかりの態度だが、それほど剛毅も深慮もなく、ただ行儀がなってないだけだ。これでは若い者は育たないし躾もできない。
遠来の客から笑われるだけだ。これは任侠ではなく単なる粗暴なヤクザだ。ましてカタギにも嘲られて当然だ。そんな連中は、口は達者だが内容は女の話や生活習慣病の話題しかなく、酷いのになると組織の金を使い込みしたりする不埒者も出てくる。

府中刑務所



この国で生き、自分を活かしたいと思うには法の順守が前提にある。しかし以前は一般の生活で法を意識することはあまりなかったが、近ごろでは面前の至るところに触法の危険はある。とくに道路交通機関や選挙・徴税など運用執行者の恣意(おもいのまま)が動く部分には、どこか国民と国家を離反させる感情が漂っている。

大岡越前の裁定や鬼平こと長谷川平蔵の人足寄場における殖産の奨励や更生援助など、今でも日本人が懐かしむ面前権力の姿があった。
その運用執行が偏向し甚だしくなると、水戸黄門や暴れん坊将軍がいた。
野暮で古臭い、かつ時代錯誤かもしれないが、ヤクザ・暴力団と呼称される中に任侠と呼ぶにふさわしい一群もいる。

統一もなく法規もなかった中国の春秋戦国時代に、現在でも浸透している「儒教」より庶民に歓迎された「墨家」があった。まさにその集団は士道であり任侠だった。

大勢の人々が棲む世界において真の自由とはどのようなものなのか。人を愛することはどのような行為を為すべきなのか、戦争のない社会を求めるには己は何を為すべきか、そのほか十項目ほどの実際的行動を唱えて、他を論ずる前に己自身や身近な人たちに対する行為を法(則、矩,慣習)として表している。

その結果、命を懸けて悪に立ち向かうことも示されている。つまり自己犠牲を以て面前悪や自己に内在する邪まな性を断ち切る覚悟を示し、現実に自己を裁き自決さえしている。


これ程までしなくては人間の邪悪な欲望に立ち向かえないのだろうか。いや、そうでもしなければ、いつの間にか人間は弛緩し、構成する組織や国が堕落して生存目標を失くしてしまうという真剣な唱えだった。だだ、このような問題意識に立ち向かう人間が多くては、為政者は困るのも当然だ。為政者の恣意的な欲望に唯々諾々と遵う良民がいなくては、政体は成り立たない。
このような時代に任侠は勃興し民衆から歓迎された。





江戸の火消し 中央 も組 竹本

墨家

法が整わず民に届かなかった頃、悪党と云われた若者が覚醒し巨大な悪に立ち向かうこともあった。しかも誰にも知られることもなく悪を殲滅する。そして故郷を離れる。
それは、気が付かないうちに社会悪が除かれることだ。しかも集団を恃まず己の至誠と思われることを、不特定多数のために行って、そして消えている。

なかには、畑を耕す農民や工人にもそのような影の義行(陰徳)をおこなう者もいた。知識は少ないが至情の精神は高かった。民を苦しめる粗暴なもの、とくに権力者や官吏には容赦はしなかった。官吏は探し求めても見つからないが、人々はその存在を知っていた。

これらは誰に教えられたものでなく、生まれながらの情として浸透している性の顕れなのだ。墨家には対立する孟子も、生まれながらもつ、惻隠(陰ながら不憫に感ずる) 羞悪(邪まなもの)、辞譲(分けたり譲る) 是非(分別、区別)の情を、「仁」,「義」、「礼」、「智」の始まりと説いている。

だだ、これを行動のない知識や教養とするか、はたまた官位を得る手段とするか、そんな人間の徳性への厚かましさを墨家は無意味なことと捉え、己の特徴に合った行動において、しかも他のために活かそうとする実学を、身を以て提唱している

さて、現代の煩悶に処するに墨家の任侠精神はどうだろうか。複雑な要因を以て構成されている国家は未だに理想には遠い。その間の栄枯盛衰もあろう。しかしそこに棲む民族が立ちべき基層には、今もって滅びることのない武士道と任侠の精神がある。

総ては人の所作である。そして行為の前提にある対象を見る問題への意識を共通な課題として捉えたとき、あらゆる職域おいて、また市井の無名の衆の心底を掘り起こせば、少なからず愛顧する人物の姿ではないかと思うのだ。

無いものねだりに明日はない。
「相棒」や「暴れん坊将軍」、はたまた一隅の政治家の清新な唱え。
哀願やガス抜きだと揶揄される前に、武士道や任侠の是非と良なる部分を抽出して浮俗を考えてみることも必要ではないかと考える。

官製の教育において浸透された儒の道徳的提唱や付随する人物像をならうことも良いことだが、却って羊飼いの犬に追いたてられる「羊」の量産にならぬとも限らない。

今の時節は武士道や任侠にみる正邪の峻別や是正への行動を不特定に貢献できる、しかもそれを矜持とする精神に基づき、自己を高める学びの方が社会的煩悶の解決には効果が有る

その倣いの姿として、実直な警察官、自衛官、公平な税務官、そして津々浦々の郷に在る無名な任侠の気質に求めるべきだろう。

そこではじめて任侠としての存在是非を問うべきだと想うのだが・・・

(イメージは参考サイトより一部転載)

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