まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

宰相として為すべき学問の特殊性 其の一   2009 7/19再 

2017-07-23 16:40:28 | Weblog

    「名山の元に名士在り」と謳われた岩木山 (陸(クガ)かつ南)作



【再度の総理だが、当時に戻って考えてみたい】



平成19年8月27日 
安倍総理は参議院選挙惨敗後、早々と続投宣言をおこない、明日新しい内閣の布陣を発表するという。

独り鎮考するというが、以前と同様つねに被写体フレームに顔を出す家族ぐるみで飲み仲間の官房副長官の進言があると思われる。なぜなら官房副長官の選挙区では当初の組閣で安倍さんから唯一相談があったと吹聴しているからである。

あの時も総理は河口湖の別荘で独り組閣人事を練ったことになっていたが・・

若者二人は宰相の意義を真摯に熟慮したのだろうか。

老婆心ながら彼らの別世界にある、いや官制学校歴マニュアルには無い人間学から「相」の存在を考察してみたい。



     

               宰相 臣茂



【以下本文】

『相』について

『相』は木ヘンに目だが、木の上に目を置き遠くを見通せるといった意味で、政府機間でいう何々相は,歴史の必然性と方向を見通せる立場を表している。
つまり先見の明で表わされる「逆賭」の問題である。
アカデミックに合理を追求したり、歴史の必然と言っても、因果律といったように原因と結果について突き詰めた理屈を拾ったところで皆目,答えが出てくるとは思えない。

ところが碩学、南方熊楠いまどきの脳髄では曖昧な部分に棲み分けされている因を縁と関わりを持たせ「因縁」、所謂、「縁」の必然として随所にその探求を試みている。
熊楠は仏教にある曼荼羅の深遠な真理から確信に辿りついたというが、縁の遭遇といった意味ではこんな言葉もある。

「経師、遭い易く 人師、遇い難し」
経とは五経のように教本の解釈や知識,技術の類を講ずる先生はどこにでもいるが、感動や感激を添えて人間の師となる先生にはなかなかめぐり合わない。
それと同様に国家においても「相」を備えた人物の出現を待って久しい。

ならば現代の官制学の勉強という記誦方式において「相」となるべき人物の養成は図れるだろうかとなると難しくなってくる。
文頭における先見性といった一部分の解決には、集積データーや科学的根拠という説明材料を高尚な書物に著したり,前段で自己の領分に事例や仮設を貼り付けたところでどうにか様にはなるが、肉体的衝撃を伴う場面では、からきしだらしない姿を露呈してしまう。

とくに「相」は決断の責任や歴史の継承者としての任があるため、単なる知識,技術では納まらないものがある。
ならば『相』とはどのような人材なのか。
近代といわれる歴史の岐路であった明治初頭の人物養成について、貴重なエピソードがある。




               




筆者が貴重というのは、平成現代が抱える政治,経済,教育を論じる時,最も重要な構成要素である人間の所作にかかわる問題だからである。

官民を問わず、組織やシステムはその操作,構成の課程には全て人間の存在がある。
たとえば国家の構成は民族,領土、伝統の3要素といわれるが、おのずと(自然に)存在する領土,伝統とはべつに、民族は意志という己の探求如何でどのようにも変化できるものだ。
歴史は探求,欲求が及ぼす不調和を補う為に掟や法といった意志決定の客観性をつくりだし、また,尊敬や忠恕といったような全体の調和に欠かせない「礼」の自得としての習慣学習を促し,人物,人格といった自他の現存の上に立った『自尊』という誇りや矜持を教育といった場面で涵養を図っている。

明治初頭の学制においては。小学では冠に「尋常」をつけ、怖れず,騒がず、といった平常心の自得を習慣とし、将来の思春期の問題意識へて大学の自己を明らかにする(明徳)大前提の必須として,時には強制的に行っている。 
《ここでいう小学,大学は「校」だけではなく、古典にある「大学」の意を含んでのことである。》

そこには幼子であっても身を護り、身を委ねる対象としての尊敬される教師の姿があったことは言うまでもない。

また,その人物像は人生の折々に想起され、縁に触れ蘇えるものですが、同様に国民が『相』の理想像を描き,相親しむ人物像は知識,技術の習得だけではその範になり得ない。人間の人格,徳性を兼ね備えた『相』の出現は現代のカリキュラムには無い「人間学」的要素をもった学問が必要になってくる。  

 尚更のこと『相』の人材育成過程ともなれば、知識,技術,さらには一過性の暗記,点取り術では『相』の存在さえ、あの科学的、合理的とおもわれる説で覆い、その認知さえおぼろげになってしまうのが現状である。




               




立憲君主,議会制民主主義といっても、熟練した政治手腕を持つ人物如何によって、その興隆,衰亡の姿が刻まれることは歴史の証明するところである。
我が国の律令制度が定まり、各期の政治体制は公家,武士という身分社会のそれぞれ『相』によって政治が行われ,戦国の世でも頼朝,秀吉,家康らの武士の頭領も征夷大将軍に任ずるという勅令によって、いわばお墨付きによって拝任している。
近代国家のさきがけといわれる明治においても、万機公論が謳われるなか天皇の輔弼(ホヒツ)として宰相の存在があつた。

戦後、吉田総理は書の末尾に,「臣茂」と署名している。
勅令を発する天皇の側としては、どのような期待を『相』に抱くのか.あるいは『相』の習得すべき学問の内容とはどのようなものなのか、近代の歴史で天皇の発言が際立った明治期の例に考えてみたい。

以下次号

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