金曜の夕方、散歩に出かけたみちおさんが、行方不明になった。
いつもの道をいつものように出かけたまま、帰らない。おそらく道を間違えてしまい、帰るべき方向を見失ってしまったのだろう。連絡が入ったのが、金曜夜10時過ぎ。すぐ家に駆けつけた。
消防が近所の捜索を始めていたので、私たちもすぐ車で近くの山などあちこち探した。しかし夜は、正直どうにもならない。思い当たる限りの場所を回ってみるが、消息不明。見かけた人もいない。深夜2時まで探して、結局その日は終了するしかなかった。暗すぎて何も見えない。
土曜日、夜中にみかちゃんが作ってくれた写真入りのチラシを大量にコピーして、朝6時から消防や捜索に加わる人に配ったり、チラシを貼ってくれるお店を回った。この辺りは山も池も川もある。市街地にいるなら、目撃した人もいるはず。不安に駆られながら、西条・新居浜・今治・松山と足を延ばして捜索する。
土日だったので、日勤の人以外、すべてのスタッフが捜索に加わった。全く情報が得られないままの2日間。そして、日曜の夕方5時半で、消防隊の捜索は打ち切りとなった。
月曜日の今日。大雨の朝。
いつもならいるはずのみちおさんの元気な姿は、池さんにはない。
大ちゃんは休みの日だったが、雨の中捜索に行った。自治会や消防は捜査を打ち切ったけれど、じっとしていられずに探している人もいたらしい。
今日も、結局見つからなかった。もう3日目の夜が来た。探しても探しても探しても・・・
もし、どこかで無事でいるなら、誰か気づいて!たとえ、命を失っていても、どうか誰か見つけてあげて!このままでは、誰もあきらめられないのです。
みちおさんのことを本当に大切にしてきたご家族の想い、みちおさんのことを大好きなおばちゃんのあきらめきれない胸の内を想うと、もうどうしていいかわからないのです。
池さんを作ってから、いろいろな別れを経験してきました。
年をとっているから、いずれ「死」という形で別れがくることは、覚悟できています。「死」ではないにしても、入院という形で別れること、施設への入所という形で別れること、家族の事情で通所できなくなるということもあります。すべてそれなりの「完結」があるのです。納得できる(あるいは全てを納得できないにしても、種々の事情は納得できる)事情があるのです。
こんな形での別れがあるなどと、本当に思いもしませんでした。
はっきりと木曜日のことを覚えています。
木曜日が、みちおさんが池さんに来た最後の日でした。いつもなら午後はドライブに出かけるのに、この日は「眠い」と言って昼寝グループに珍しく加わって、昼寝をしたみちおさん。「ちょっと寝たらすっきりしたわ」と言って起きてきて、それから皆で歌をうたって、炭坑節を踊りました。楽しかった~!
おやつを食べて、(最近私が西条への送迎に出ることはあまりないのだけど)その日たまたま私が西条方面の送迎担当で、帰り道だから一緒に帰ろうということで、みちおさんとふくえさんを乗せて出発しました。
途中、ヒマワリが咲いているから見て帰ろうという話になって、遠回りしてヒマワリ畑を通って、「こりゃあ綺麗な!」と言って大喜びしたみちおさん。「いつも最初に家に着くから、今日は西条まで一緒に行って遠回りして帰ろう」とふくえさんが言いだして、みちおさんも大賛成。「それがええ。そうしよう、そうしよう」それから西条へ行って、帰りにたこ焼きと饅頭買って(これは朝、みちおさんの所からパンをもらったお礼に私が買ったもの)「ばあちゃんに土産ができた」とニコニコしながら、帰っていったみちおさん。
家に着くと、「これ土産!」とおばちゃんにたこ焼きを渡して、「あ~今日も楽しかった!ありがとうございました!またね~!」と車が見えなくなるまで、いつものように手を振ってくれたみちおさん。
その日のみちおさんのすべての表情が、鮮明に頭に焼きついています。
「少しでも早く家に連れて帰ってあげたい」そんな気持ちを抱えて、今日も一日仕事をしました。目の前には、いつもの皆がいます。じいちゃんは、日曜からまた調子が悪くなっています。目の前の人は、一人だけではありません。みちおさんへの想いを胸にしまって、私たちは、目の前の人たちと向き合わなければなりません。
「いつ何が起きるか誰にもわからない」ということを、私たちはみちおさんに教えてもらいました。
真剣にしっかり向き合うことの大切さ。今と言う時を大切にすることの意味。スタッフにとって、今日が後悔のない一日だったと言えるのか。一生懸命に向き合えたのかどうか。楽しかったといって一日を終わってもらえたのかどうか。全力を尽くせたのかと。
再び、心に強く刻みつけたいと思います。
午後、よしこさんが私を見ていいました。「何か考え事でもあるの?」「はい、探し物が見つからないんだけど、どうしたらいいですか?」「それは困ったね。祈るしかありませんよ!」
心から、祈りたいと思います。どうか早く見つかりますように。
捜索には必ず限界があるのです。どこかであきらめなければならないのです。どうかその前に、見つかってほしいと思います。
そして、私たちは自分の今やるべきことをおろそかにしないよう、みちおさんに教えられたことが生きるよう、精一杯頑張りたいと思います。どの人にも、「あ~今日も生きていてよかった」と心から言ってもらえるように、私たちの役目をきちんと果たしたいと思います。
今も雨が降っています。せめて雨がやみますように。早く家に帰りましょうね。みちおさん。みんなが待ってますよ!
いつもの道をいつものように出かけたまま、帰らない。おそらく道を間違えてしまい、帰るべき方向を見失ってしまったのだろう。連絡が入ったのが、金曜夜10時過ぎ。すぐ家に駆けつけた。
消防が近所の捜索を始めていたので、私たちもすぐ車で近くの山などあちこち探した。しかし夜は、正直どうにもならない。思い当たる限りの場所を回ってみるが、消息不明。見かけた人もいない。深夜2時まで探して、結局その日は終了するしかなかった。暗すぎて何も見えない。
土曜日、夜中にみかちゃんが作ってくれた写真入りのチラシを大量にコピーして、朝6時から消防や捜索に加わる人に配ったり、チラシを貼ってくれるお店を回った。この辺りは山も池も川もある。市街地にいるなら、目撃した人もいるはず。不安に駆られながら、西条・新居浜・今治・松山と足を延ばして捜索する。
土日だったので、日勤の人以外、すべてのスタッフが捜索に加わった。全く情報が得られないままの2日間。そして、日曜の夕方5時半で、消防隊の捜索は打ち切りとなった。
月曜日の今日。大雨の朝。
いつもならいるはずのみちおさんの元気な姿は、池さんにはない。
大ちゃんは休みの日だったが、雨の中捜索に行った。自治会や消防は捜査を打ち切ったけれど、じっとしていられずに探している人もいたらしい。
今日も、結局見つからなかった。もう3日目の夜が来た。探しても探しても探しても・・・
もし、どこかで無事でいるなら、誰か気づいて!たとえ、命を失っていても、どうか誰か見つけてあげて!このままでは、誰もあきらめられないのです。
みちおさんのことを本当に大切にしてきたご家族の想い、みちおさんのことを大好きなおばちゃんのあきらめきれない胸の内を想うと、もうどうしていいかわからないのです。
池さんを作ってから、いろいろな別れを経験してきました。
年をとっているから、いずれ「死」という形で別れがくることは、覚悟できています。「死」ではないにしても、入院という形で別れること、施設への入所という形で別れること、家族の事情で通所できなくなるということもあります。すべてそれなりの「完結」があるのです。納得できる(あるいは全てを納得できないにしても、種々の事情は納得できる)事情があるのです。
こんな形での別れがあるなどと、本当に思いもしませんでした。
はっきりと木曜日のことを覚えています。
木曜日が、みちおさんが池さんに来た最後の日でした。いつもなら午後はドライブに出かけるのに、この日は「眠い」と言って昼寝グループに珍しく加わって、昼寝をしたみちおさん。「ちょっと寝たらすっきりしたわ」と言って起きてきて、それから皆で歌をうたって、炭坑節を踊りました。楽しかった~!
おやつを食べて、(最近私が西条への送迎に出ることはあまりないのだけど)その日たまたま私が西条方面の送迎担当で、帰り道だから一緒に帰ろうということで、みちおさんとふくえさんを乗せて出発しました。
途中、ヒマワリが咲いているから見て帰ろうという話になって、遠回りしてヒマワリ畑を通って、「こりゃあ綺麗な!」と言って大喜びしたみちおさん。「いつも最初に家に着くから、今日は西条まで一緒に行って遠回りして帰ろう」とふくえさんが言いだして、みちおさんも大賛成。「それがええ。そうしよう、そうしよう」それから西条へ行って、帰りにたこ焼きと饅頭買って(これは朝、みちおさんの所からパンをもらったお礼に私が買ったもの)「ばあちゃんに土産ができた」とニコニコしながら、帰っていったみちおさん。
家に着くと、「これ土産!」とおばちゃんにたこ焼きを渡して、「あ~今日も楽しかった!ありがとうございました!またね~!」と車が見えなくなるまで、いつものように手を振ってくれたみちおさん。
その日のみちおさんのすべての表情が、鮮明に頭に焼きついています。
「少しでも早く家に連れて帰ってあげたい」そんな気持ちを抱えて、今日も一日仕事をしました。目の前には、いつもの皆がいます。じいちゃんは、日曜からまた調子が悪くなっています。目の前の人は、一人だけではありません。みちおさんへの想いを胸にしまって、私たちは、目の前の人たちと向き合わなければなりません。
「いつ何が起きるか誰にもわからない」ということを、私たちはみちおさんに教えてもらいました。
真剣にしっかり向き合うことの大切さ。今と言う時を大切にすることの意味。スタッフにとって、今日が後悔のない一日だったと言えるのか。一生懸命に向き合えたのかどうか。楽しかったといって一日を終わってもらえたのかどうか。全力を尽くせたのかと。
再び、心に強く刻みつけたいと思います。
午後、よしこさんが私を見ていいました。「何か考え事でもあるの?」「はい、探し物が見つからないんだけど、どうしたらいいですか?」「それは困ったね。祈るしかありませんよ!」
心から、祈りたいと思います。どうか早く見つかりますように。
捜索には必ず限界があるのです。どこかであきらめなければならないのです。どうかその前に、見つかってほしいと思います。
そして、私たちは自分の今やるべきことをおろそかにしないよう、みちおさんに教えられたことが生きるよう、精一杯頑張りたいと思います。どの人にも、「あ~今日も生きていてよかった」と心から言ってもらえるように、私たちの役目をきちんと果たしたいと思います。
今も雨が降っています。せめて雨がやみますように。早く家に帰りましょうね。みちおさん。みんなが待ってますよ!
本当に心配しています。
顔はうる覚えですが去年仕事で寄らせてもらった時に握手してくれた方だと思います。
私も一生懸命祈っています。
仕事であちこち車で走るので
死角になりそうなところを覗いてみたりする事
くらいしかできないのですが。。
でも心から祈っています。