桜が終わり、近くの芝桜が満開になった先週の木曜日。
「西条の地下水は美味しいという話題から、山の水の方がやっぱり美味しいということになり、一番おいしいのは湯浪の湧き水だとつながって、そうだ、来週皆で水を汲みに行って、その水でご飯を炊こう」という話に広がった。
まだ湯浪に行ったことのないという人もいて、行こう行こうと皆大乗り気。
でも、14日の木曜日はいろんな事情で正直ドライブ便は難しかったため、
代わりに本日12日の火曜日。木曜日のメンバーと同じ人も多かったので「湯浪水汲み隊」希望者を募り、池さん号にじいさまばあさま乗り込んで、いざ出発と相成った。
春の山は美しい。
山の空気は清々しい。
湯浪の山から豊かに流れ出す山の水を汲み、森林浴をして、お昼前、皆笑顔で帰ってきた。
あいにくもうご飯は炊けていたので、「この水でご飯を炊くのは木曜日(14日)にしよう」と約束して、今日は美味しい水でコーヒーを入れて、昼食後のひと時を楽しんだ。
コーヒーを飲みながら、いつものように、みんなでいろんな話をしているうちに、池さんと湯浪のつながりの話になって、懐かしい昔話に花が咲いた。
しかも、同じ時間に、湯浪のじいちゃんの親戚の人が湯浪で採ったタラの芽をたくさん届けてくれたのだ。
湯浪。
じいちゃん。
ふと。
その時。
話をしていて、思い出したのだ。
湯浪のじいちゃんの命日を。
4月14日。
皆が久しぶりに行く気になった湯浪。
水を汲みに行こうとした日。
その日はじいちゃんの命日だった。
ざわざわと心が震え、涙で目が曇る。
ちょうど、10年。
じいちゃんが山へ帰った日。
平成24年の夏、湯浪のシキビ畑で倒れて8か月、じいちゃんは病院のベットの上で、寝たままで生きた。
「人間、生きるしかないんぞ」と教えてくれたじいちゃんは、まさに生きるしかない時間を確かに生きた。
何度も肺炎になってもなお生きようとした命は、春になって桜が咲いた日に、危篤になってたった2分で潔くその命を終えた。
4月14日。
桜が満開になった日に。
桜が咲いた湯浪の山に帰るかのように。
じいちゃんが倒れてからの湯浪は私の中で、今までの湯浪と違ってしまっていて、私は夏から一度も山へは行かなかったけれど、不思議なほど急に行きたくなって、ヒイちゃんを誘って山へ出かけた。
4月15日。
桜が満開だった。
山の水は豊かだった。
空気は澄んでいた。
そして、その前日じいちゃんは亡くなっていた。
その日、私はじいちゃんに呼ばれたように思えた。
春を待って山に帰ったであろうじいちゃんに、「お~帰ったぞ。遊びに来いよ。」とでも言うように、私は確かにじいちゃんに呼ばれた気がしたのだ。
そして10年たった今日。
偶然に池さんの皆が湯浪に出かけたのも、おそらくじいちゃんに呼ばれたのだろう。
本当なら、木曜日の命日の日に出かける予定だったドライブ。
皆を湯浪に誘ってくれたじいちゃん。
私はいつも、疲れた時、悩んだ時、悲しい時、湯浪にじいちゃんに会いに出かけた。
じいちゃんはいつも、池さんのことを心配してくれた。
沢山を語らなかったけれど、雄弁ではなかったけれど、じいちゃんはいつも「がんばれよ」と励ましてくれ、私はいつもその飾らない言葉に、心を癒された。
10年目の春の日。
じいちゃんが呼んでくれた人たち。
大切に想う人たち。
じいちゃんのことを話しながら、山の水で入れたコーヒーを大切な人たちと一緒に飲む。
帰ってきた人たちの、満たされた笑顔に穏やかな時間を感じながら、大ちゃんと池さんの昔を振り返り、新しい職員にいろんな話を伝えてゆく。
大切にしてきたいろいろなものを伝えてゆく。
穏やかで幸せな時間。
食後のひと時の暖かな時間。
「池さんものがたり」の本を開き、
再び、ページの中に、じいちゃんの姿を見つけて、
じいちゃんのことを話しながら、
池さんの歩いてきた日々と大切にしてきたものを、
伝えるべき人がいることを改めて幸せに想う。
じいちゃん。
もう10年たちました。
あいかわらずまだまだ悩むことばかりで、ちっとも器は大きくなってないけれど、
皆で笑って生きてますよ。
じいちゃんの話を聞いてくれる人がいるのは幸せです。
じいちゃんは、今も池さんものがたりの中で、ちゃんと生きてますから。
皆様も、ぜひもう一度、本を開いてみてください。
湯浪のじいちゃんに会えますから。
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14日の木曜日。
私たちは湯浪の水でご飯を炊いて、皆で一緒に食べたいと思う。
じいちゃんと出会えたことを懐かしみ、
じいちゃんから繋がった人たちを想いながら、
じいちゃんが教えてくれたことを思い出しながら、
美味しいご飯を食べたいと思う。