真締 正直 の生活と意見

私 真締 正直(まじめ まさなお)
のグ-タラな生活と
年寄りの思い出話を綴ります。

                  思い出のラジオ番組

2015年05月31日 19時31分19秒 | 雑記帳


朝の内こそ曇り空で涼しかったが、日中は晴れ、暑い一日だった。

蓄音機は有っても役に立たず、音楽は専らラジオで聞くだけだった。当時は放送局と言ってもNHKしか無く、放送時間も短かった。朝六時から夜の十時頃までだったと記憶してる。年々放送時間は伸びて行ったが、真夜中の放送は無かった。
日曜日の朝八時から始まる堀内敬三解説の〔音楽の泉〕と言うクラシックの二時間番組が有り、音楽に飢えていた私は毎週欠かさず聞いていた。ジャズ等の軽音楽は当時進駐軍放送と言ってたFENで聞いた。

中学を卒業し働き始めて三年程経ち、少しは小遣いも使える様になり、ラジオだけでは物足りなくなり、思い切ってレコードプレーヤーを買う事にした。



ヤブヘビイチゴ







イタチハギ



イタチハギの花





名前の判らない花









Bonnie Tyler - It's A Heartache (VIDEO) (Best Quality!)




                SP盤の思い出

2015年05月31日 09時36分24秒 | 雑記帳


今朝も曇り勝ちだが、気温は高い。日中はスッキリ晴れて真夏並みの暑さになった。
本も読む気にならず、ただ音楽を聴くだけの一日になった。


我が家にも戦後暫く迄は蓄音機が有った。尤もゼンマイが切れてて手で回しながら聞く、と言う代物だったが。そんな訳でSP盤も何枚かあったが、其の中には変わった盤が有り、今のCDみたいに片面だけしか録音されてない盤が有った。恐らく初期の頃の物だと思うが今は無い。
子供の事とて、物の価値など判らず遊び道具にしてて、いつの間にか行方不明になって仕舞ったのだ。思い出しても残念だ。
SP盤にも十吋と十二吋が有り、録音時間も十吋は三分前後で軽音楽、十二インチは五分前後で主にクラシックだった。
余り知られてないが、十二吋盤には溝の間隔を狭くして録音時間を倍にした盤も有った。言うなればLP盤に当たる訳で、両面で二十分位録音出来、かなりの大曲でも3~4枚で収まった。

私が最初に買ったのもSP盤だが、それも紛失して仕舞った。




キショウブ






アジサイ










Forever Young - Joan Baez






               今日はカミサンの通院日でした

2015年05月30日 07時56分36秒 | 雑記帳


今朝も曇り、散歩日和だった。
カミサンの通院日なので、九時過ぎに家を出る。カミサンは医者へ私とリンは散歩にと別れる。
歩き始めは曇り空だったが、だんだん陽がさし始める。一時間程歩いて医院に戻ったがカミサンの治療は終わってない。再度散歩とも思ったが、リンはへばって仕舞い歩くのを嫌がる。風通しの良い所で治療の終わるのを待つ事にする。
結局、医者だ薬局だと三時間以上待ってしまった。

家に帰る頃には雲一つない青空。気温もグングン上がり、何する元気も無くなって仕舞った。



ハマナス










キンケイギク











Joe dassin - Les Champs �・lys�・es










                   PCも断・捨・離

2015年05月29日 09時27分24秒 | 雑記帳


今日も朝から曇り。

朝からPCを弄ってるが中々思うようにならない。流行の断捨離ではないが、余分な物を捨てて身軽にし、一から設定を始めたが、此れが厄介で最初は上手く行くのだが、最後の最後で躓いてしまう。
今の設定でも何とブログや画像のUP等は出来るので、暫くはこの状態で行く事にしよう。




朝の港




ハマヒルガオ






ヒルザキツキミソウ







uice Newton: Break It To Me Gently, Album/Studio Version











J

               少しは使える様になりました

2015年05月28日 14時52分40秒 | 雑記帳



今朝は曇り、リンも凌ぎやすいのか、頑張って二時間近く歩いた。流石に疲れたのか隅っこでゴロゴロ寝転がってばかりいる。

新PCの調子だが幾ら弄っても思う様に行かない。其処で思い付いたのだが、旧PCから外したHDDを外付けとして利用してる事が原因らしいので、必要最小限なデータだけを本体に落とし、フォーマットして見た。
その結果どうやら正解らしく、多少の違いは有るが以前の使い回しに近づいた。後は時間を掛けて少しづつ直して行く。

庭に咲くバラ




























                リンのフィラリアが治った

2015年05月26日 14時01分59秒 | 雑記帳


今日も朝から晴れ。
暫く続いた暑さもようやく平常に戻った。日差しは強くとも海からの風は涼しく凌ぎやすい。これが本来のこの近所の天気なのだ。
リンもアレルギー性皮膚炎で、二月近く医者通いをしてたが、昨日、獣医師にほぼ快癒しました、と言われた。更に去年まで反応が有ったフィラリアも居なくなりました、とも言われた。所が体重は大幅に増え14.3㌔になってしまった。喜び半分、ガッカリ半分の気分だった。

PCも悪戦苦闘中、まだまだ使いこなす迄には時間がかかりそうだ。


ヒルザキツキミソウ






ウツギ






ユキノシタ







メキシコマンネングサ







ACUERDATE DE MI NATY MISTRAL










                      新PCのカスタマイズ

2015年05月26日 13時27分23秒 | 雑記帳



今日もPCいじり、色々手を加えて見るが使い勝手が今一だ。
旧PCのデータを移植しようとしたが上手く行かない。其処でHDDを取り出してケースに入れ、新PCの外付けHDDにしたのだが、
其の所為か色々なソフトが二本立てになってる様な感じがする。外付けと内蔵とで同じソフトを立ち上げても中身が違う。

そういえば此のブログも、新PCのブラウザではログイン出来ず大いに慌てたが、旧PCのブラウザならログイン出来た。
暫くは試行錯誤が続きそうだが、其れが私の流儀で逆に楽しみでもある。




ニシキウツギ







ヒメウツギ




スイカズラ






名前が判りません。楊枝の頭ほどの小さな花



実です。虫ピンの頭くらいです







                        新しいPCの立ち上げ

2015年05月25日 12時42分54秒 | 雑記帳


調子の悪いPCをWin10が出るまではと我慢してたが、とうとう我慢出来ず一週間ほど前買い換えた。
OSは使い慣れたWin7.1にした。まず始めにWindowsのセットアップだが、プロダクトキーの印刷が小さく、読むのに骨折っただけで
難なく立ち上がった。インターネットの接続も済み、一番初めにアップデートを始めたが、此れが時間が掛かり何やかやで一日仕事になってしまった。

翌日、PCにはOS以外のソフトはインストールされてないので必要なソフトを入れる。此れも数が有る上、使ってたソフトもバージョンアップされているのも有るので、使い慣れた旧いバージョンを探す、等と手間が掛かり、やっと今日何とか使える様になった。



ニワゼキショウ






ツユクサ







ノイバラ















                       食糧難の時代

2015年05月20日 13時52分06秒 | 雑記帳



朝の内は曇り勝ちだったが、10時頃から雲一つ無い晴天。

配給と言えば食品以外にもタバコも配給になった。一人一日何本と決められて何日分か纏めて来る。それがタバコを吸う吸わないに関わらず、大人全員に配給になるのだ。父はタバコ好きだったが、叔父夫婦は二人とも吸わない。そこで板橋から省線電車(当時はそう呼ばれてた)に乗り、田町まで弟と二人で月に何回か貰いに行った。

野菜なども配給では足りず、空き地に生えてたハコベ、アカザ、ヨウシュヤマゴボウ、ユキノシタなど何でも食べた。
当時の板橋は至る所に空き地が有り、いくらでも摘む事が出来た。ハコベなどはザルに山盛り一杯採ってきても、茹でるとクタッとなり一握りほどになって仕舞う。食べても味も無く妙に埃臭かったのを今でも覚えてる。
ヨウシュヤマゴボウは調べると毒草と書いてあるが、随分と食べたが腹痛など起こした事は一度も無かった。黙って出されれば野草とは思えない味だった。
魚も勿論配給で、ホッケが良く配給になった、当時は東京を幾つかに分けて、東京何区と何区は何々が配給と、ラジオで放送されたのだが、魚の配給でホッケ以外の名前を聞いた事がない。散々ホッケを食べた所為か今は食べる気がしない。



ノイバラ

      


     

トベラ

  
   
 

シャリンバイ

 

 





I Want To Be A Cowboy's Sweetheart"By"Suzy Bogguss


                     戦後の食糧難

2015年05月19日 12時39分06秒 | 雑記帳



今朝は雨。家を出たリンはスタスタと車に向かう。何時ものコースの折り返し点に行くが、5,6分ウロウロしただけで車に戻ってしまい、散歩は其れで終わりになってしまった。

戦後の食糧難だがほぼ総ての食料が配給制度できっちりと管理されてたと思う。元々量が不足するので配給制度が始まったのでギリギリの量しか配給されない。なにしろ或る検事は配給だけで生活する、と言って頑張ったが遂に餓死して仕舞い、新聞記事になると言う事も有った。其れでも何とか生きていかれたのは、買い出しやヤミ市、物々交換《着物などを農家で米と交換》等で手に入れる事が出来たからである。
しかし配給には天国と地獄があった。地獄とはアメリカの食料援助のトウモロコシの粉、小麦のフスマ、等 家畜の飼料としか思えない物《事実そうだった》などで、煮ても焼いても食べられなかった。苗を取った後のサツマイモ、戦時中の乱伐でよく洪水があったので水を被ったサツマイモ等、も食べられた物ではなかった。其の頃は良くサツマイモが配給になり沖縄と言うイモは白っぽくて大きかった。不味いイモだったが水の浸かったイモに比べればずっと上等だった。
逆に天国とは、此れも食糧援助のバター、コンビーフ、等が米の代わりに時々配給になった。共に大きな缶詰で大部分はお米や何かに化けたと思うが、其れでも少しは私たちの口にも入った。砂糖や冷凍のミカンなども有った。これらは皆米の代替品で米一升に付きなにがしと配給になった。だが良い物は米その他の必需品と交換された。其の他のトウモロコシの粉などは不味いの何のと言ってる場合ではなく、無理やり口に押し込んで飢えを凌いだのだった。
今思えばそんな状況でも餓死者が何千人何万人出た、と言うニュースは聴いてない。ヤミだろうが何だろうがあらゆる手段を講じて食料を確保したのだ。



オオジシバリ

     


     

カタバミ

 


 

ノゲシ

 

 




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The blue dolls - Tornerai