真締 正直 の生活と意見

私 真締 正直(まじめ まさなお)
のグ-タラな生活と
年寄りの思い出話を綴ります。

私の 山歩記 南ア 最終日

2006年01月31日 14時23分13秒 | 私の山歩記
               何の実ですか 教えて下さい。



今朝の出発 5時15分 帰宅 5時55分 曇り

今朝も寝坊した、このままだと習慣になりそうだ。何とか気持ちを、切り替えないといけない。

昨日保険会社から電話が有った。是から車の損傷の程度を、見に行くと言う。
ぶつけた当人からは、何の連絡も無い。
最近、良く聞く話だが、総て保険会社に任せていますから、と言って例え人身事故でも、謝罪に
来ない事が有るそうだ。今回は、対物事故なので、尚更かもしれない。
だが 正直言って一言位はゴメンと言って貰いたい。

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南アも最終日になった。鳳凰小屋からの下り道は、燕頭を経て御座石鉱泉に出る尾根道と、
ドンドコ沢を下り青木鉱泉に出る沢沿いの道の、二本ある。
本当はドンドコ沢から青木鉱泉のコ-スを歩きたかったのだが(青木鉱泉からは韮崎駅まで車の送迎
が有った)天気も悪い上、昨日の雨で水嵩が増えている事なので無理をせず燕頭のコ-スを取った。
後年 此のコ-スを歩いた時、一寸危なそうなザレ場が有って少々肝を冷やした物だが、その頃は
それ程荒れていなかったと思う。無事に御座石鉱泉に着き、宿の傍らの河原で小休止していたら、
川の水嵩が急に増え始めたのを覚えている。朝から天候が怪しかったが、
やはり山では雨が降り出したらしい。尾根道を取って正解だった、と思ったのだった。

御座石鉱泉から驛までだが、これもかなり距離が有った。途中 峠を一つ越えなければならない。
着いた驛だが、うろ覚えの道筋を地図で見てみると、日野春駅へ行った様だ。
川を渡ってから2.3回カ-ブを曲がり驛に出た事は覚えている。

三泊四日で、駒、仙丈、鳳凰、を歩くのは少しきつかった。しかし 若かったから無理も出来た。
結局 三泊する様な山歩きは二度と出来なかった。

塞翁が馬

2006年01月30日 16時39分07秒 | 雑記帳
                ハチの巣(アシナガバチ?)



今朝の出発 5時15分 帰宅 6時35分 曇り

今朝は寝坊してしまった。北コ-スを歩いた。
一般道から林道に入る、すぐに坂道になる。其の坂道が黒く濡れている。ゴミ処分場へ行く
ダンプカ-が泥を落として行くので、水を流して清掃してるのかと、思っていた。
だが、帰りがけにキナコ(コロの友達)の飼い主と出会い、その話をしたら、何か白い粒々を
播いて居た、と言う。どうやら塩カルを播いた様だ。すると困る事になるのだ。
両側の排水溝に所々舛が有って水が溜まっている。其の水は塩カルの溶液も当然混じっている筈だ。
その水をコロが飲むのだ。一寸困って仕舞った。

先日の事故だが、後日譚が有る。それは事故車を運ぶ為自動車運搬の専用車がやって来た。
事故車を専用車に積んだが、大事な物は残って無いか、確認してくれ、と言われた。
トラックの荷台に上がり車のドアを開けようとした時、足を踏み外して落ちそうになった。
アッと思ったが、落ちるよりは、飛び降りた方が良いと思い、一瞬の中に足を揃えて飛び降りた。
普段なら五㌢程の段差でも膝は痛むのに、一メ-トル以上の高さからだ。両手も使って
ショックを和らげたが、其れでも膝は猛烈に痛かった。

所が、翌朝、散歩に出掛けた時何と無く膝が軽い。痛みが薄れたのだ。
試しに階段を登って見た。右、左と交互の登れた。前は一段づつ足を揃えて登っていたのに。

着地のショックが膝の関節のズレを直した。としか考えられない。
勿論完全に直った訳では無い、いつ再び痛み出すかは判らない。だが一時的にせよ、
痛みは薄らいだのは確かである。

大事件  其の二

2006年01月29日 16時16分29秒 | 雑記帳
                    事故現場



今朝の出発 4時15分 帰宅 6時15分 晴れ

今朝は合磯海岸へ行った。浜辺に着いたら明けの明星が水平線から出た所だった。
沖合の漁船の漁り火に負けない位、明るかった。

昨日の大事件の二つ目は、車の事故である。ぶっつけられて仕舞ったのだ。山火事騒ぎの後
ス-パ-で買い物をして帰る途中一時停止をしなかった車に側面からぶつけられたのだ。

私は免許を取ってから50年近くなる。その間10年位は、乗らなかったが、40年は車を使用していた。
その間事故は一度も起こしていないし、貰ってもいない。尤もドアを開けた時何かにぶつけたとか、
石が跳ねてフロントグラスにクラックが入る、と言った事は有る。しかし車同士とか対人の事故は
無かった。今回が初めてである。その為どの様に対応すれば良いのか、困って仕舞った。
一応先方の責任なので、彼の行きつけのディラ-に運んだ。

幸い車の破損だけで、身体には異常が無い。とは言え精神的なショックは大きかった。

大事件が二つ  其の1 山火事

2006年01月28日 16時03分42秒 | 雑記帳
            道路脇まで燃えて来た。山火事


今朝の出発 4時25分 帰宅 6時25分 

今日は、大事件が二つ続いた。

先ず始めは、山火事に出会った。いつもの様に家事(洒落では無い)を済ませてから三沢の、
林道へ行った。例の如くコロを走らせた後、水を飲ませていた。
その時、山の斜面の下の方でパチパチ音がするのに気が付いた。焚き火の音の様だが、
いくら見回しても、炎も煙も見えない。
不思議に思いながらも、異常が無いので、散歩を始めた。物の100メ-トルも歩かない内に、
木々の間から煙りが出ているのが見えた。即座に車へ戻り煙りの立ち上っている辺りへ向かった。

すると斜面の彼方此方に炎が見える。更に進むと道端の枯れ草まで炎を上げていた。
車から飛び降りてカメラに2.3枚収めて直ぐ引き返した。途中で山仕事の人達がいたので、消防に
通報を頼んだが彼らも、携帯を持っていないと言う。止む終えず一番近い民家まで行き、
119番をした。通報後、隣りの林道に入り、少し離れた場所に車を止めて、山火事の現場へ向かった。

再び現場に着いた時には、早くも消防士が来ていてホ-スを延ばしていた。だが水が無い。
溜め池はあるが、消防自動車は入れない、消火栓までは、可也の距離がある。暫く見ていたが、
水は出そうにも無かった。そこで消防士はスコップを手にして燃えている枯れ草をスコップで
叩き始めた。
私が着いた時には野次馬も来ていたが、昔もスギの枝などで叩いて消した、と言っている。
私も出来ればお手伝いしたいが、足の悪い身では危ない。見ていると、火の回りは以外に早いのだ。

此処に居ても邪魔にもなるし、コロも嫌がっているので、現場から立ち去った。

私の 山歩記  南ア 雨の尾根歩き

2006年01月27日 15時30分43秒 | 私の山歩記
                      港の夜景
  


今朝の出発 4時10分 帰宅 5時50分

昨日は一日中強風が吹き荒れたが、今朝は風も無く、穏やかな天気だった。
家事も早々済ませて、昼間の散歩に出掛ける。今日は三滝堂の林道へ行った。
林道の中程から雑木林に入り込む踏み跡がある。今は歩く人も無い踏み跡だから、
落葉が積もっていた。カサカサ落葉を踏んで歩くのは気持ちが良い。
僅か2,30分だが、里山歩きの醍醐味を味わった。

主夫業も一週間たち、私もコロも慣れたのか、普段と変わらない生活になった。

一つ困った事がある。カミさんが自分と娘、私の三人前の五目ご飯を、大量に炊いたのだ。
オニギリにして、冷凍保存する積もりで、炊いたのだが、其のオニギリを置き忘れて仕舞った。

東京に着いたカミさんから、お父さんが食べちゃって、と電話を貰ったが、私の分も合わせると、
20個以上ある。米の飯は朝の一回だけで一つ有れば充分だ、食べ切るには一月近く掛かってしまう。

時々は二度食べているが、まだ残っている。白い飯を食べたいが、冷凍されたオニギリを見ると
炊く気も無くなってしまう。


無事に仙丈往復も達成し北沢小屋が今夜の泊まりである。
翌朝起きてみたら雨が降っていた。一昨日、昨日、と好天に恵まれたが、良い天気ばかり、
とは行かない。さほど強い降りでは無いので歩き始めた。無理算段して休みを取ったので、
何としてでも明日中に東京に着かなくてはならない。
 
昨日通った仙水峠に出、栗沢山~アサヨ峰と早川尾根を辿る。雨の中を早川尾根小屋に着いた。
小屋で小休止をとる。此の小屋に泊まったのだろう、何組かの登山者がいた。
朝からの雨で行くか、行くまいか、迷っていたのだろう。私が歩き出すと、
彼らも、一緒に行こうと言い出した。私も人数は多い方が心強いので、パ-ティ-を組んで歩き始めた。

暫く歩いていたが、雨の当たらない木陰で小休止を取った。だが其処で彼らは相談を始めた。
このまま歩く自信が無いので、小屋に引き返す、と言う。是から鳳凰までは、可也きついのだ。
彼らと別れて又一人になった。広河原峠、白鳳峠と上り下りを繰り返し高峰へと登り返す。
最後は賽の河原から鳳凰小屋まで一気に下った。雨も賽の河原辺りから止んだ。
この日のコ-スは晴れていたら、北岳を間近に見る最高のコ-スだったのに、一日中何も見えず
残念だった。

アメリカ交響楽

2006年01月26日 19時18分29秒 | 雑記帳
        真冬の中でも青々していた ジガバチソウ (だと思う)


今朝の出発 4時30分 帰宅 6時05分 晴れ

今日は朝から風がつよい、切り通しなどは、更に強まる。

10時過ぎ家事 !! を済ませてから、コロの運動に出掛けた。行き先は三沢の林道である。
車から降ろし2キロほど後を追わせる。車に追いついた所で水を飲ませ、落ち着いた頃一緒に歩き始めた。
風はますます強くなる、回りは葉を落とした雑木林なので風がもろに当たる。
だが日差しは強いので、さほど寒さは感じなかった。二時間タップリ歩いた。

アメリカ交響楽はガ-シュインの伝記映画である。当然 音楽は総てガ-シュインの作品である。
ガ-シュイン大好き人間の私としては、(此の映画に触発された)勿論、文句無しに楽しめる。
制作が彼の死後(1937没)間もなくなので、ミュ-ジシャンなど本人が自分役で出ているのも
興味深い。ガ-シュインが世に出る基となったアル ジョルソンなど懐かしい名前が出てくる。

だがスト-リ-としては、少し物足りない。
ジャズソング作曲家として大成功した彼に、セミクラシック界の大御所、ポ-ル・ホワイトマン
が注目し、管弦楽曲の作曲を依頼してきた。
だがピアノはお手の物だが、オ-ケストラは手をつけた事が無い。其処でグロ-フェの助けを借りて作曲したのが、ラプソディ-インブル-である。曲は大好評だったが、ガ-シュインとしては、
曲の成功の半分は、グロ-フェの力だと感じた。
其処で作曲法を勉強する為ヨ-ロッパに渡ったのだ。自分に足りない所を学ぶ為に行ったのだ。そしてガ-シュインが自分のスタイルを確立する出発点なのだ。

所が映画ではグロ-フェのグの字も出てこない。半ば遊びで行った様に描いている。
ラベルやストラビンスキ-に、教えを乞いに行った時の、有名なエピソ-ドが生きて来ないのだ。

其れは其れとして、ガ-シュインの曲がふんだんに聞ける。
おまけに、私の贔屓のオスカ-・レバントも出ている。(尤も出ないと話にならないが)

此の映画も当時の風俗などその点でも楽しめる。

赤い靴

2006年01月25日 17時16分18秒 | 雑記帳
                   今朝の《明けの明星》


今朝の出発 4時20分 帰宅 6時45分 晴れ

2.3日前から気が付いたのだが、明けの明星が見えている。最近カメラを持たずに歩いていたが
今日はカメラに収める積もりで持って来た。しかし仲ゝ難しかった。木々の間を歩いたので
角度が低いと樹が邪魔をしてしまう。しかも暗い。当然シャッタ-スピ-ドが長くなり、手持ちでは
ブレてしまう。家路に就きながら条件が整うのを待った。頃合いを見て数枚撮ったが、案の定
殆ど手振れで駄目だった。

昨日購入したDVDの「赤い靴」早速再生した。50数年振りなので、スト-リ-は忘れて仕舞った
覚えているのは、バレ-シ-ンの中の一駒だけである。「赤い靴」と聞くと其のシ-ンがだけが
思い浮かぶ。

だが、改めて見て感じた事は、バレ-シ-ンの素晴らしさだ。言うなれば、金が掛かってる、
と言う事だろう。恐らく当時の一流のバレ-団を、丸ごと使っているのだろう。
ヒロインだが、私はマ-ゴット フォンティ-ンだったと思いこんでいた。
だがモイラ シアラ-だった。彼女とて一流のプリマだろう。

今落ち着いて見ると当時のパリ・ロンドン等の、街の様子が窺われるのでは、と思う。
勿論私はパリもロンドンも、行った事は無い。それでも成る程と頷いたり、思わず失笑してしまう
場面なども有った。

踊りの場面では此の「赤い靴」を凌駕した映画は無いのでは無かろうか。

昔昔に見た映画

2006年01月24日 15時27分07秒 | 雑記帳
            何の木でしょうか。赤い実が一つ


今朝の出発 4時50分 帰宅 6時45分 曇り

今朝は合磯海岸へ行った。浜へ降りる手前でマ-ブル(ゴ-ルデン♀)に出会う。
砂浜へ降りてから、マ-ブルは私に甘える事夥しい。飼い主は呆れ、コロはヤキモチを焼く。
その内コロは、我慢出来なくなったのか、吠えながらマ-ブルを追いかけ始めた。

尤も本気で向かって行ったのではない、マ-ブルも心得ている。二匹でじゃれ合っだけだ。

カミさんの不在今日で四日になる。食材の在庫も底を着いたので、買い物に行った。
売り場の片隅に、CDやDVDのバ-ゲンセ-ルの台があった。買う当ても無いが、手に取って
見ていたら「赤い靴」のDVDを見つけた。「赤い靴」は私が後々音楽映画やミュ-ジカル映画
に、のめり込む原因になった映画である。更にガ-シュインの「アメリカ交響楽」も見つかった。
是もガ-シュインを聞く、きっかけになった映画だ。何れも55年以上も前に見たのである。

一枚800円即買ったのは、言うまでも無い。

私の 山歩記 南ア仙丈ヶ岳 2

2006年01月23日 14時43分08秒 | 私の山歩記
                  ヤマアジサイ



今朝の出発 4時55分 帰宅 6時35分 

今朝の天気は大変だった。
朝 散歩の出た時は星も見える空だったが、帰ってきた時には曇っていた。
其れから30分で雪になり、少し積もった位の降りだったが、
9時前には、止んでしまった。9時には快晴となり、雪も忽ち溶けてしまった。

仙丈ヶ岳は少し奥まっている。一回他の山に登ってから下り、改めて登る。
尤も今は新しい道が開けたお陰で、無理をすれば、夜行日帰りが出来る。
だが当時は登り難い山だった。

其れで私も少し日程がきつくなるが、無理を覚悟で仙丈を入れたのだった。
頂上から馬の背方面に下り、カ-ルの残雪の切れる辺りをトラバ-スして、
藪沢小屋への道に出た。藪沢小屋(小屋跡だが)を過ぎ、朝通った尾根道に出合う。
後は今朝の道を逆に歩くだけだった。

改めて地図を見ると、北沢小屋が2,140メ-トルだが、北沢峠(2,040メ-トル)まで下り
其処から3,033メ-トルの仙丈ヶ岳を往復したのだった。
これは一日コ-スだ。前夜 駒ヶ岳の七丈小屋に泊まった登山者で仙丈往復は、
私だけだったのも、頷ける。

植物にも意志があるか

2006年01月22日 14時43分47秒 | 雑記帳
              ウスタビガの繭
   ぶちょうほうさん。の御教示が有りました。訂正します。 ヤママユ⇒ 



今朝の出発 4時15分 帰宅 5時45分 

カミさん不在の二日目、コロは少し元気が無い。何しろ始めての経験だから淋しいのだろう。
そのせいか、散歩に出ると、やたらに甘える。家にいる時は少しも甘えない、隅っこで
丸くなっているだけだ、そして上目使いに私を見る。まったく、可愛く無い奴だ。

気を紛らせる為、昼間の散歩時間が長くなった。今日も神の前の農道へ出掛けた。
コロにも、家に帰ってもカミさんが居ない、と判っているのか、寄り道をして時間を稼ぐ。

私にも好都合だ、カメラ片手に絵になる物は無いかと、目を凝らす。しかし此の時期は何もない。
今日も大した収穫はなかった。

歩きながら回りの木々を見ていたら、面白い事に気づいた。葉を落とした雑木の横に延びている
枝先の、先端が上に向かって反っている。気を付けて見ると、大体の木が反っている。
皆、太陽に向かって背伸びしている様だったが、本当に陽の光を浴びる為、太陽に向かっているのかも知れない。
木にも、意志が有る。と思えた。